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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #28 マッコリ 晴耕雨飲、プリミティブな慰め

雨が窓ガラスをつたって落ちていく。こんな日は家にこもってチヂミをつまみに冷えたマッコリを一杯=河合真人撮影

 プリミティブな酒が好きだ。

 私がプリミティブな酒と言うとき、それはようするに伝統的な手法で造られる醸造酒のことを指している。

 プリミティブ酒の頂点に君臨しているのは、かつて世界中で造られていた口噛(か)み酒ではあるまいか。これは読んで字の如(ごと)く、穀物類やイモ類などを口に入れ、グチャグチャ噛んだあとでペッと吐き出して溜(た)めたものを自然発酵させた酒のことである。唾液(だえき)に含まれるアミラーゼによって澱粉(でんぷん)が糖に分解されるわけだが、自然酵母がこのオーガニックな糖を食べてアルコールを排出するわけだから、私の知るかぎり口噛み酒は世界最古の発酵酒なのではないかと思う。

 もうひとつ、猿酒というやつがある。一説によると、これは猿がどこかに溜めこんだ果実などが発酵してできた酒だとも言われている。しかし、猿はそもそも果実を貯蔵したりしないそうなので、「人の手がまったく加わっていない、偶然によってできた酒」すべてを指して猿酒と呼ぶのではないか。

 もちろん、私はそのどちらも飲んだことはない。口噛み酒はもしかすると死ぬまでに一度くらい出くわすかもしれないが、よく言われるように、絶世の美女が噛んだものならまだしも、むさくるしいおっさんが吐き出した酒を口にする自信はない。猿酒となると絶望的だろう。そもそも人間が造ってもいないのだから。

チヂミをつまみに福順都家(ボクスンドガ)をいただく。思わず顔がほころんだ=福岡市の韓国料理店「7階のナム」、河合真人撮影

 しばらくまえから気になっているのが、ヤシ酒だ。

 エイモス・チュツオーラの『やし酒飲み』は、ヤシ酒を飲むことしか能のない男が、ヤシの樹から落っこちて死んでしまったヤシ酒造りの名人を探しに死者の街へと旅をするプリミティブかつマジック・リアリスティックな物語である。この男、斗酒なお辞せずどころか、ヤシ酒なら何十樽(たる)でも持ってこいの大酒飲みなのだ。

 ヤシ酒というからには、ココナッツから造られる酒なのだろうと思いきや、さにあらず。ネットで調べたかぎりでは、ココナッツではなく、シュロやトッティと呼ばれるヤシ科の植物から造られるのだそうな。もちろん自然発酵の白濁系である。幻の猿酒や口噛み酒とはちがい、ミャンマーの農村部などでは「タンイエ」という名でいまも細々と造られているらしい。

 プリミティブな酒を飲みながら、プリミティブな物語を読む。想像しただけでうっとりしてしまうが、ただでさえ遠いミャンマーがことさら遠いこのご時世である。政情や感染状況も落ち着かないうちに、のこのこ出かけて行くわけにもいくまい。どこか近場で調達できるプリミティブ酒はないものか? コロナが明けたら、すぐにでも飲みに飛んでいけるような。

 ドブロクならば、飲めるところはある。コロナ前に東京の三軒茶屋でたまたま立ち寄ったドブロクバーでは、地元の水で仕込みましたというのが売りの、美味(うま)いドブロクを飲ませてもらった(三軒茶屋の水ってドブロク造りに向いてるのか?)。東京ならば、仕事で上京したついでに一杯やれる。もうひとつ目星をつけているのが、そう、お隣り韓国のマッコリである。

緑豆のチヂミ(ピンデットック=左)=福岡市の韓国料理店「7階のナム」、河合真人撮影

 じつは昨年あたりから、福順都家(ボクスンドガ)というマッコリに、どハマリしている。韓国は蔚山(ウルサン)市の彦陽(オニャン)という田舎町で、いまも伝統的な製法で造られるこのマッコリのなにが美味いって、味もさることながら、まさにプリミティブな物語のなかへ放り込まれたような気分にさせてくれるのだ。蔚山では雨がしとしと降っている。野良仕事はできそうもない。さて、お隣りさんを誘ってマッコリでも飲むか……てな具合に、韓国人でもない私が、韓国の心地よい古民家で酒を飲んでいる絵が思い浮かぶ。

 実際、韓国では、マッコリは雨の日に飲む酒なのだ。そのことを私に教えてくれたのは、日本で唯一、福順都家を福岡市で輸入販売しているキム・グンホンさんである。梅雨明け間近のその日、私たちはなにを食っても美味い福岡市は薬院の韓国料理店「7階のナム」で、緑豆のチヂミ(ピンデットック)やヤンニョムチキンをつまみながら思うさま福順都家を堪能した。ソウルでいまもマッコリバーを経営するキムさんがこのマッコリに惚(ほ)れこみ、福岡に販売代理店を構えたのは2017年のことだという。

 「10年くらい前まではまったく無名でした。あるとき、ソウルにある私の店に男性がふらりと入ってきて、お母さん(オンマ)のマッコリが美味(おい)しいからぜひ飲んでほしいと言ったんです。それが福順都家との出会いでした」

 その後、このマッコリの美味さが広まり、あれよあれよの間に国家行事の公式乾杯酒にまで登りつめる。

 ところで、長雨(チャンマ)にマッコリを飲むなら、つまみはチヂミと相場が決まっているそうだ。一説には、チヂミを焼く音が雨音のようだからだとも。

 「雨が降ると、韓国ではマッコリの売り上げが2倍にも3倍にもなりますよ。チヂミ屋さんは大行列です!」

 それにしても、晴耕雨読も風情があるけれど、晴耕雨飲というのもかなりいい。雨の日に飲みたくなる酒、雨音から連想されるおつまみ。コロナで外出を控えるのも、雨で野良仕事に出られないのも、そんな酒があれば少しは慰められる。

 「いつか蔚山にある福順都家の蔵へいっしょに行きましょう」

 よし、コロナが終息したあとの愉(たの)しみが、これでまたひとつ増えたぞ。=朝日新聞2021年7月17日掲載