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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #35  対馬 国境の南、エトランゼの夜

韓国展望所を訪れた東山さん。韓国釜山を望むことはできなかった=長崎県対馬市上対馬町、河合真人撮影

 3月中旬、福岡の北西約120キロの玄界灘に浮かぶ対馬では早くも桜がほころび、猫たちがアスファルトに寝そべって日向(ひなた)ぼっこをしていた。

 燦々(さんさん)と降り注ぐ陽光は申し分なく暖かで、島全体がまるで午睡にまどろんでいるかのようだった。雨に祟(たた)られた3年前の連載開始を思えば、噓(うそ)のような大好天に恵まれた今回の旅である。

 3年前、朝日新聞社の社機「あすか」で台湾へ飛んだときは、雨雲に塗り込められた灰色の世界でさえも旅の興奮で光り輝いていた。与那国島上空から台湾を遠望するという計画は分厚い雲のせいで頓挫したが、連載は始まったばかりで、これから何度でも再チャレンジできると思っていた…

 この3年で、いろんなことが変わってしまった。世界に病毒が蔓延(まんえん)し、それではまだぬるすぎるとばかりに戦争が起こった。現実が想像力を凌駕(りょうが)してしまったせいで、私はエンターテインメントに対する信頼を失いかけている。いまこそ娯楽の力で誰かを勇気づけたいと思うのだが、問題は私自身を勇気づけてくれる娯楽が見つからないことだった。そんな了見では、胸躍るものなど書けるはずがない。

 が、こんなときこそ、おおいに笑うべきなのだ。笑顔をつくれば脳みそが幸せ物質のセロトニンをどばどば放出してくれるはずだし、それに「平和は微笑(ほほえ)みから始まる」とマザー・テレサも言っている。私は気を取り直し、レンタカーに飛び乗って厳原から比田勝を目指して対馬を北上したのだった。

烏帽子岳に登った。対馬の雄大な自然が広がっていた=長崎県対馬市豊玉町、河合真人撮影

 南北に細長いこの島は、南側の下対馬が比較的発展していて、北側の上対馬は牧歌的だ。コロナ前は比田勝港と韓国の釜山を高速船が結んでいたが、残念ながらいまは運休中である。

 「以前は人口3万の対馬に、年間40万人の韓国人観光客が来ていましたよ」。本欄担当のR記者が、車を運転しながら教えてくれた。「コロナのせいで、韓国人観光客をあてこんだ商売は軒並み大打撃です」

 実際、比田勝ではシャッターの下りている店が目立った。

 コロナ前、対馬と釜山はじつに面白い経済圏を形成していた。考えてみてほしい。比田勝から厳原までは約80キロ、車で2時間ほどの距離である。そして厳原港から博多港までは約120キロ、高速船でも2時間かかる。対して、比田勝港から釜山までは、なんと50キロしか離れていない。高速船に乗れば、片道たった1時間の距離なのだ!

 「だから比田勝の人たちにとっては、ふらっと釜山に遊びに出かけたりするのはふつうのことだったんです。厳原で飲むよりうんと便利だし。釜山の美容室へ行く女性もいますよ」

 もちろん、釜山からふらりとやってくる観光客も多い。海とゆるやかな時間のほかはなにもないところだけど、そこが都会の生活に疲れた韓国の人たちを引きつけるのだろう。

 私たちはまず韓国展望所へのぼってみた。天気に恵まれれば対岸の釜山を望めるはずだが、あいにくこの日は目路の届くかぎり春霞(はるがすみ)しか見えず、ゆったりと起伏する朝鮮海峡の上をトンビがゆるゆると旋回しているだけだった。

韓国展望所を訪れた東山さん。残念ながら韓国釜山の町並みを望むことはできなかった=長崎県対馬市上対馬町、河合真人撮影

 釜山を眺めることはついぞ叶(かな)わなかったが、国境の街の空気にはたっぷり浸ることができた。多国籍料理店〈MADO(マド)〉の女将(おかみ)さんは沖縄出身で、釜山で20年以上暮らしたあと、韓国人の旦那さんと一緒に対馬へ移住してきた。夜は彼女の店で、一風変わった人たちと引き合わせてもらった。釜山の新聞社を退職して比田勝でゲストハウスを経営している崔(チェ)さん、大阪から流れ着いて津軽三味線を弾いている在日朝鮮人の巴山(ともやま)くん。

 韓国語の飛び交う、心和む夜だった。お気に入りのマッコリ・福順都家(ボクスンドガ)をたらふく飲めて、私はゴキゲンだった。カメラマンのKさんも本領発揮で、泡盛を手酌でガンガンやった。美味(うま)い料理を出してくれた女将さんも、仕事そっちのけでグラスをあおる。崔さんは中国語も話せるインテリで、私のルーツである中国は山東省の霊峰泰山にも登ったことがあるという。

在日朝鮮人のアーティスト・巴山剛さんが合流。津軽三味線を披露してくれた=長崎県対馬市上対馬町、河合真人撮影

 テレビをつければ病毒はいまも変わらずそこにあって、ロシア軍はキエフに迫りつつある。私の小説では誰も救えず、なにも変えられない。それでも巴山くんが三味線を弾き、私たちは夜更けまで杯を重ねた。酒を飲んで笑っているあいだだけ、ままならないこの世界でなにかを先延ばしにすることができる。そんなふうに思った。そのあいだに、なにかが変わるかもしれない。願わくは、誰にとってもいい方向に。

 内側に抱えこんだものなどおくびにも出さず、私たちはおおいに飲み、そして笑った。対馬で邂逅(かいこう)を果たしたエトランゼたちは、望まぬ現実から逃げ出すことの大切さをよく知る者である。旅先で一瞬だけ袖振り合い、明日になればまたべつべつの道を行く。だからこそ、居心地のいい小さな店に集まって孤独を癒やす夜は暖かく、何物にも代えがたかった。私からプーチンに言ってやれることがあるとすれば、それはこうだ。おい、ウラジーミル、最近腹の底から笑ったかい? さあ、馬鹿なことはやめて、仲間とウォッカでも飲んで楽しくやりなよ。

 けっきょくのところ、そういうやさしい時間だけが、人間を少しずつ良くしてくれるのだ。(おわり)=朝日新聞2022年3月26日掲載