
小説がいちばん開かれていて自由
――小説を読むようになったきっかけから教えて下さい。
小さい頃、小説しか娯楽がなかったんです。生まれ育ったのが、音楽、テレビ、映画、ゲームなどに触れる機会がない家庭だったので。小説は装丁とかタイトルで好きそうなものを図書館で20冊とか借りて、ひたすら読んでいました。
――日比野さんは、ラップ、和歌、短歌、俳句、都々逸、お笑いなど、様々な言語表現がお好きだとおっしゃっていますね。その中でなぜ小説を選んだのでしょう?
数ある言語表現の中で小説がいちばん外に扉が開かれていて、自由だからだと思います。例えば、ものすごく長い詩を書いて、これは小説だと言い張っても通るし、全文を短歌にして「これは小説だ」とも言えますよね。短歌やラップだと競技的な側面もあるけど、小説はそういう縛りもない。どれだけ長くても短くてもいいと思うんです。あと、俳句もラップも凄く面白いと思いましたけど、その面白さを小説というフォーマットに落とし込みたい、と考えていました。
――色々な言語表現すべてを盛り込めるほど、小説は懐が深く、器が大きいということでしょうか。言葉の面で特に影響を受けたのは?
ダウンタウンの松本人志さんの言葉の扱い方が面白くて、ツッコミとボケをした時の言葉はノートに書き留めていました。音楽だと大森靖子さんを筆頭に、竹原ピストルさん、志磨遼平さん。小説家だとフリオ・コルタサル、ヘンリー・ミラー、アンドレ・ブルトンとか。シュールレアリスムの詩人の作品もロシアの現代詩も好きだし、広告のコピーなども気になります。
優しい言葉より強い言葉の方が好き
――好きになる言葉や文章の傾向って何かありますか?
多分、優しい言葉より強い言葉の方が好きだと思います。強くて勢いがあって、言い切っている方が好き。それと、自己完結しているよりは、言葉が語りかけてくれるほうが好きですね。
――『ビューティフルからビューティフルへ』には、ザ・ブルーハーツやゆらゆら帝国の歌詞、大森靖子の曲のタイトルなどの引用が多数あります。これは日比野さんの好きなものの表明なのでしょうか。
それもあるんですけど、小説に固有名詞を入れると、その文章が絶対的に強くなる部分があるんです。自分の中から出てくる言葉だけだったらするする読めちゃうのが、固有名詞を入れると読者に立ち止まってもらえる気がするというか。読んでいて目に引っかかるし、目の滑りを止められるんです。小説を書いていると、自然に「あ、この辺で固有名詞入れなきゃな」と考えるくらい。要するに、引用も文体の一環として考えているんだと思います。あと、元ネタを自分なりに小説に流し込むのは、自分の得意なことだしある程度自信もあるんです。
――言葉遊びをした小説、ともおっしゃっていますね。
はい。でも、言葉遊びをするには、既存のものをねじったりもじったりする必要があって、そういう過程を経て新しい文章を生み出すのが楽しいんです。私の引用の仕方はサンプリングとも言われますし、実際その通りなんですけど、サンプリングだけに重きを置くならもっと他の書き方をしていたと思います。
元ネタが分からなくても感覚的に読める
――その固有名詞って、読んでいて分かる人と分からない人と分かると思うんですけど、全部分からなかったとしても、日比野さんはOKなんですか?
全然大丈夫です(笑)。これは自分の小説やし。『ビューティフルからビューティフルへ』は、いわゆる元ネタというものが分からなくても、感覚的におもしろく読める小説だと思っています。
――『ビューティフルからビューティフルへ』に盛り込まれている引用って、5~10年経ったら古びて、分からなくなる可能性もあるじゃないですか。それはそれで問題ないですか?
そうですね。今の自分が書いた小説やし。これはよく(ミュージシャンの)大森靖子ちゃんが言っていることでもあるんですけど、どんどん古びていくだろう言葉を使うのもオッケーなんです。
――大森さんは自分の歌詞は風俗資料になればいい、って本人が言っていますからね。2013年発表の曲「音楽を捨てよ、そして音楽へ」では、〈脱法ハーブ 握手会 風営法 放射能〉という歌詞があります。
それは分かりますね。私の使う言葉も結果的にではあれ、風俗資料になれば面白いと思います。
――あと、引用されるジャンルの幅が広いですよね。
ザ・ブルーハーツはラップのMCバトルでめっちゃ引用されていて。そこから知って、この小説で曲名などを使っています。あとは、YouTubeで調べたらいくらでも色々な音楽が出てくるので、ここから入って音楽を掘るようになったというよりは、気づけば知っていましたね。
ラップは言語感覚に影響している
――ラップのMCバトルがお好きだと聞いています。即興でラップバトルが展開されるテレビ番組「フリースタイルダンジョン」もご覧になっていたとか。
フリースタイルも大好きです。あれこそまさに言葉遊びの極みだと思うし、絶対に私の言語感覚に影響している部分があると思います。ラッパーって、言葉遊びに真剣にのめり込んでいるけど、そんな職業って他にそうそうないですからね。そういう意味では、小説ももちろんですけど、ラッパーが言語表現の最前線を行っている感じはしています。
――例えば、ラッパーやミュージシャンになるっていう選択肢はなかったですか?
自分にはできないなって思います。小説ってひとりで完結するものだと思うんですよ。ひとりで書けるものだし、読者もひとりで読める。でも、音楽って絶対に人との関わりがたくさんある仕事ですよね。それに、ファンの方をたくさん集めて作品をライヴで発表できる。それは、羨ましいと思う反面、実際やるとなると怖いというのもありますね。
絶対的な名作と言える小説を書きたい
――ちなみに、友達や家族には小説を書いていることは言わなかったんですか?
言ってないですね。そもそも小説が好きな子が周りにほとんどいないですし。あと、家族とか友人といると感情を抑制してしまう部分があって。でも、小説ではそんなことする必要がまったくないから。小説を書くのはある意味、自己開示だと思っているんです。
――創作を続けるモチベーションって、以前と変わったところはありますか?
幼い頃はノートに物語っぽいものを書いていたんですけど、それはただ作るのが楽しくて、誰かに見せたいという気はなかったんです。でも最近は、誰かが読んだ時に面白くない部分が一個もないように、ということを考えながら書いていて。そこは小さい頃とは大きな違いやと思います。
――ちなみに、10年後の自分はどうなっていると思いますか?
絶対的な名作と言える小説を書いていたいです。安部公房の『砂の女』とかガルシア=マルケスの『百年の孤独』、村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』、三島由紀夫の『金閣寺』とか。ああいうものを書きたいですよね。有無を言わせぬ名作を。
