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半藤一利さんは、なぜ「墨子を読みなさい」 と言い遺したのか

記事:平凡社

『墨子よみがえる』の著書、半藤一利さん
『墨子よみがえる』の著書、半藤一利さん

墨子ぼくしが読まれるべきとき 

 いまの山東省西部から浙江省や江西省にかけて存在した宋・斉・楚の国々の帝王や政治家を歴訪して、理想とする非戦と兼愛とを説いて回った。いわゆる遊説ゆうぜい の士のひとりというわけで、帝王や諸侯はこれら遊説の士を厚遇したのである。その過程で、宋の昭公につかえ大夫たいふ になったとの説もあるが、はたしてどんなものか。むしろ墨子は生涯をとおして、官につかえることを欲しなかった自由人とみたほうがいい。

 活躍の時期は、前に書いたように紀元前五世紀後半で、孟子よりも少し前の時代である。いずれにせよ二千五百年も前の人物ということになる。

平凡社ライブラリー『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』(半藤一利著)
平凡社ライブラリー『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』(半藤一利著)

 『墨子』十五巻七十一篇が残されたとされているが、現存するのは五十三篇である。ここには「子墨子曰」とか「子墨子言曰」とかの語がやたらにでてくるから、墨子その人が書いたものではない。ちょうど『論語』が弟子たちによって書かれた孔子の言行録であるように、『墨子』もまた墨子の弟子たちによって記録されたものであろう。しかも、相当に長い歳月がかかってまとめられたものらしい。

 そんな昔のものゆえ、かなりややこしくて理解に苦しむところもあり、くり返しもあり、いやはや詭弁にすぎるよと呆れざるをえないところもあり、スラスラと頭に入って、そんなに楽しく読めるようなものではない。それに、ちょっというをはばか られるが、『墨子』の文章は、『論語』や『老子』にくらべると、相当に落ちる、つまりヘタくそであるような気がする。要は推敲不足というところか。ただし、その説くところは単刀直入で妙に熱気がある。そこがいい。

 なかで墨子の思想がよくでていると思われるのは、第二巻から第九巻までの、現存の二十四篇であろう。その諸篇で何が主張されているか、その概略をいまのべてしまうと、この前口上で終了となってしまうけれども、ま、世には予告篇というものがある。PRを兼ねて、ぜひ今後ともよろしくという意味をこめて、優秀な中国文学者でもある作家駒田信二さんの文章を引用することとしたい。わたくしが主張するより、駒田さんのほうがはるかに権威があるゆえに、である。

 「墨子はまず幸福な生活の根本は人々が互いにひとしく愛しあうことにあるとした。兼愛の説がそれである。愛の普遍を求めるならば当然平和を求める。そこから、侵略を非とする非攻が主張された」

 ここが『墨子』のいちばん肝腎のところで、「兼愛」の説は第四巻、つづく第五巻が「非攻」篇となる。さらに、

 「兼愛の根拠として、墨子は主宰者としての天を認め、神の存在を認めた。そして、万物の主宰者として天があるように万民の主宰者としての君主を認め、天が万物を平等に育成するように、君主が万民にひとしく福利を与えることが、天の意志であり、神の心にそうことであると説いた。これが天志の論であり、明鬼の説である」

 第七巻が「天志てんし」篇、第八巻が「明鬼めいき 」篇であるが、この“天”の問題はそう簡単にいいきっていいかどうか、いささか疑問とする。儒教の“天”とはかなりの差違があるからである。墨子の“天”は、いかにも墨子らしくちょっと意表をついている。そこがすこぶる面白い。

 他人のふんどし で相撲をとるようで照れくさいので、引用はこれまでとするが、以下、帝王や政治家は義を守らねばならないとした「尚同しょうどう 」篇が第三巻、人材は大いに登用せねばならないと主張した「尚賢しょうけん 」篇が第二巻、そしてまた、“運命”や“宿命”なんてものはないのであるから、人間たるものは帝王とか政治家とか一般民衆とかの区別なく、ひたすら奮闘努力せよ、と説いた「非命」篇が第九巻、というわけなんである。以下は略。

 PRとしての前口上はこれでおしまいとするが、ちょっとばかり具体的に、『墨子』のなかの名言のようなものを、これもまた以下に関心をもってもらうためにあげてみる。多くの人に読んでもらいたいばかりに、物書きはそれこそ墨子のいうように万事に奮闘努力するものなのであります。

「福は うべからず、わざわいく べからず、敬は益することなく、ぼうそこな うことなし……」
──「非命」篇より。

 〈福は得ようとしても得られるものではない、禍いは避けようとして避けられるものではない、うやま われるようなことをしても大して益はない、乱暴をしても破滅をまねくとはかぎらない〉と、そんな風に世の宿命論者はいうが、これは大間違いだ、こんなバカな話があるもんか、なぜならば……と墨子は説くのである。

 もう一つ、

「その友をみるに飢うればこれをくら わしめ、こご ゆればこれを衣せしめ、疾病にはこれを持養じよう し、死喪しそう にはこれを葬埋そうまい す」──「兼愛」篇より。

 もう文句なしに宮澤賢治の有名な詩が想起されてしまう。東ニ病気ノコドモアレバ、行
ツテ看病シテヤリ、西ニツカレタ母アレバ、行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ……そうか、宮澤賢
治もまた、墨子の兼愛の思想をもっていた詩人であったのか。

(平凡社ライブラリー『墨子よみがえる』「前口上 墨子が読まれるべき秋」より一部抜粋)

 

『墨子よみがえる』目次

前口上 墨子が読まれるべき秋
第一話 あまねく人を愛すること
第二話 国家百年の計は人材登用にあり
第三話 「天」と「鬼神」は存在する?
第四話 「運命論」「宿命論」を否定する
第五話 「君子は鐘の如し」について
第六話 義のために死すとも可なり
第七話 いかなる戦争にも正義はない
第八話 心の中に強靭な平和の砦を築かん
後口上 墨子の精神を世界に拡げよう
[特別附録] 中村哲さんに聞く──民主主義で人は幸せになれるのか?(聞き手=半藤一利)

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