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不当な支配に服することなく―映画「教育と愛国」が問うもの 松本創さん寄稿

記事:筑摩書房

映画「教育と愛国」を監督した斉加尚代さん(毎日放送報道情報局ディレクター)
映画「教育と愛国」を監督した斉加尚代さん(毎日放送報道情報局ディレクター)
日本の学校は心を育てるところではない。政府が選んだ事実や認められた思想のみが教えられる。教育の目的は、同じように考える子どもの大量生産である

 公開中のドキュメンタリー映画「教育と愛国」(斉加尚代監督)の冒頭、古いモノクロ映像とともに英語のナレーションが流れる。太平洋戦争末期にアメリカで作られた国策映画。そこに映る日本の戦時教育は確かに異様だ。だが、これは敵国への恐怖と憎悪を煽るプロパガンダに過ぎないのだろうか。77年前に終わった過去だと片づけられるだろうか──。

右派の標的になり教科書会社は倒産、学校には大量の抗議はがき

 「教育と愛国」は、大阪の毎日放送(MBS)で記者/ドキュメンタリーディレクターとして20年以上学校現場を取材してきた斉加監督が、2017年に制作した同名の番組をもとに追加取材を行い、新たに映画として編集した作品。テレビ版はギャラクシー賞テレビ部門大賞、「地方の時代」映像祭優秀賞を受賞している。

 本作は、教育への政治介入と圧力の実態を追う。その主戦場となっている歴史教科書をめぐって多数の関係者インタビューを重ね、教科書検定で、学校で、さらには学術研究の場で今何が起きているのか、明らかにしてゆく。

 かつて中学の歴史教科書で圧倒的シェアを誇った大手教科書会社は、慰安婦問題など日本の戦争加害の記述を増やしたことで右派勢力の標的となり、シェアが激減。2004年に倒産した。元編集者は「原爆とか空襲とか、被害の歴史だけでは戦争学習にならない」と今も信念を語るが、人生の歯車は狂ったまま。執筆した歴史学者は責任を感じ、以後は教科書に関わるのをやめた。

 沖縄戦の集団自決を生き延び、語り部として悲惨さを伝え続ける元中学教師は、軍の命令や関与があったという教科書の記述を削除するよう検定意見が付いたことに「胸が裂けそうな怒りを感じた」と振り返る。2007年のこと。沖縄県と県内全市町村の議会が検定意見の撤回を求め、抗議の県民集会には11万人が集まった。

 慰安婦問題の記述がある教科書を使用する学校では2016年、国会議員から「問い合わせ」と称する電話があり、ほどなく「反日極左」「採用を中止せよ」という同一文面の匿名はがきが大量に届く。大阪の中学校では2018年、生徒に慰安婦問題を深く考えさせる授業を行っていた教師が吉村洋文・大阪市長(当時)のツイッター投稿をきっかけにバッシングにさらされ、学校に脅迫の電話や手紙が押し寄せた。

慰安婦問題を記述した教科書を採用した学校に届いた大量の抗議はがき(映画「教育と愛国」より)
慰安婦問題を記述した教科書を採用した学校に届いた大量の抗議はがき(映画「教育と愛国」より)

長い時間軸で一本の糸につないだ時に見えてくるもの

 背景をたどれば1990年代にさかのぼる。慰安婦問題が日本と韓国の政府間で争点となり、戦後の歴史教育を「自虐史観」と否定する「新しい歴史教科書をつくる会」の運動が始まった。

 政治介入を強める法制度が作られたのは、安倍政権時代。2006年の第一次政権で教育基本法が改正され、愛国心条項が盛り込まれた。第二次政権の2014年には文部科学省が教科書検定基準を見直し、閣議決定など政府の統一見解を記述に反映するよう定めた。

 こうして学術研究に裏打ちされた史実よりも政府見解が優先される仕組みができあがったのである。

 そして2021年、教科書に対する最大の政治介入が起こる。既に検定合格済みの歴史教科書に対し、文科省が書き換えを事実上指示したのである。朝鮮半島からの「強制連行」が「動員」「徴用」に、「従軍慰安婦」は「慰安婦」に。日本維新の会の質問主意書に対する答弁書を菅内閣が閣議決定し、その内容を反映させたのだった。「ここまで来たのか……」と歴史学者は漏らす。

斉加さん(右)と、毎日放送での先輩であり同作のプロデューサーを務めた澤田隆三さん(左)
斉加さん(右)と、毎日放送での先輩であり同作のプロデューサーを務めた澤田隆三さん(左)

 テレビ版に引き続き、本作のプロデューサーを務めたMBSの澤田隆三氏はこう話す。

「歴史の書き換えが今、子供たちの学ぶ教育現場で行われている怖さ、危うさを感じてほしい。一つ一つの出来事はニュースで取り上げていても、長い時間軸の中で一本の糸につないだ時に見えてくるものがある。時系列で並べた事象が数珠つなぎになり、だんだんやばい方向に行ってるなと伝われば」

 一方、教科書を書き換えたり、圧力をかけたりする側にも丹念にインタビューしている。ところが彼らの言葉は、圧力を受けた側の苦渋に比べると驚くほど軽く、無責任に響く。

 右派的志向の強い育鵬社教科書の代表執筆者である伊藤隆・東京大学名誉教授は「歴史から学ぶ必要はない」と断言し、歴史教育の目的は「左翼ではない日本人」を作ることだと語る。

〝反日教科書〟を使う学校に抗議はがきを送った「教育再生首長会議」初代会長の松浦正人・防府市長(取材当時)は、標的にした当の教科書を「知りません」と首を振る。

 同様のはがきを執拗に送ったという籠池泰典・森友学園理事長は、日本会議の指示だったと言い、当時の行動を問われると、「そりゃ行き過ぎじゃないですか」と失笑するのだ。

教育への政治介入が始まった大阪からの視座

 時間軸に加えて、大阪の学校現場から社会を見つめる斉加監督の視座が重要な意味を持つ。教育への政治介入は実質的に大阪から始まったからだ。そのことを示す象徴的な場面がある。 

 2012年2月、「日本教育再生機構」が大阪市内で開いたシンポジウム。第一次政権を退き、下野していた安倍晋三元首相が壇上で語る。

「日本人というアイデンティティを備えた国民を作ることを教育の目的に掲げ、教育目標の一丁目一番地に道徳心を培う」

「(教育に)政治家がタッチしてはいけないのかと言えば、そんなことはないですよ。当たり前じゃないですか」

 当時、大阪維新の会幹事長で、大阪府知事に就いたばかりの松井一郎氏が呼応する。

「教育の現場に対して民意が反映されていない。あまりにも遠ざけられている」

 二人は「政治の力で教育を変える」と意気投合し、握手を交わす。安倍氏はこのシンポで活力を取り戻し、第二次政権への推進力を得たという。一方、大阪ではこの後、首長が学校教育を主導する条例が府と市で相次いで制定された。

 この時期、教育担当記者だった斉加監督が振り返る。

「大阪を拠点に取材する中で、教育現場から自由が失われ、どんどん息苦しくなっていくのを感じていました。政治の大波が最初にやってきたのは橋下徹知事時代の2011年、大阪維新の会が教育基本条例案を提案した時です。グローバル人材育成を掲げて学校や地域を競争させ、先生を5段階評価で選別し、評価の低い先生は排除する。そして政治家の意に沿う先生に入れ替える。府の教育委員長は『知事のやろうとしていることは教育ではなく政治です』と直訴したそうです」

「ただ当時の私は目の前の維新の動きを追うばかりで、安倍政権との関係はあまり見えていなかった。はっきり意識したのは数年後の2014年です。教育委員会制度が改正され、橋下氏が『戦後、指一本触れられなかった教育行政を変えた。国が大阪に追いついた』と言った。この時、維新が大阪で進める『教育改革』と安倍氏が目指す『教育再生』の結びつきを確信しました。維新が大阪でいち早く動いたのは、安倍政権の教育方針を具現化する先兵の役割だったんだと」

 愛国心や道徳など保守的な言葉を唱える安倍氏に対して、橋下氏や松井氏は「教育に民意を反映させる」「教員にルールを守らせる」と改革イメージを打ち出した。公務員が既得権益とみなされる空気の中、これを支持する人は多かった。

 だが実際のところ、維新の言う「民意」とは選挙の勝者である首長や与党、つまりは「自分たちの意見」を意味していた。

首相官邸前で、日本学術会議が推薦した会員候補が任命されなかった問題について抗議する人たち=2020年10月6日夜、東京・永田町(朝日新聞社)
首相官邸前で、日本学術会議が推薦した会員候補が任命されなかった問題について抗議する人たち=2020年10月6日夜、東京・永田町(朝日新聞社)

なぜ教育は政治から独立しているべきなのか 

 それでも、「教育に民意を反映させて何が悪いのか」と考える人は少なくないだろう。「公立校は税金で運営しているのだから首長や政府に従うべきだ」という意見もよく聞く。

 斉加監督にあえて訊いてみた。なぜ教育は政治から独立しているべきなのか。

「一つの価値観を押し付けず、一人一人の子供に向き合うのが教育の普遍的価値だからです。これは、その時どきの政府や民意に左右されてはいけない。戦前戦中は真面目な先生ほど政府の言うまま子供たちを教え、『国のために命を捧げろ』と戦地へ送ってしまった。先生が政府の代理人になった時にどんな悲劇が起こるか。その反省の上に旧教育基本法(1947~2006)はできたんです」

「映画にも〈理想の実現には、根本において教育の力にまつべきものである〉という前文を引用していますが、この旧教育基本法の中にこそ、教育の普遍的価値が埋め込まれていたと私は考えているんです」

 政治の介入は教員を委縮させ、疲弊させる。創意工夫を奪う。維新の教育改革で大阪の学校は明らかに活力を失った。取材に回ると痛感するという。

「以前なら活発な議論が飛び交っていた職員室も静まり返っています。誰も意見を口にせず、会話もない。校長先生の連絡事項に黙って従うだけ。ある先生は『考えると苦しくなるんです』と言っていました。次の行事をどうしよう、この学習指導要領はどうなんだ、教育委員会の通知はおかしいんじゃないか……そんなことをあれこれ考えてもしんどいだけだから、何も考えず上から言われた通りにやっておく方が楽なんだと」 

 そんな中で新型コロナ禍に突入する。安倍首相は教育現場の意向も聞かず、文科省の反対も押し切って全国一斉休校を決めた。準備も環境も追いつかないまま、オンライン授業の話が進んでいった。

 政治が教育を混乱させている。両者の関係をもう一度取材しなければと考えていた2020年10月、菅政権による日本学術会議の任命拒否問題が起こった。

「あれが決定打でした。教育だけでなく、学問の自由まで政治に妨げられる。これは見過ごしておけない。人生最大のギアが入った。自分に何ができるか考えた時、テレビから踏み出して新しいことに挑戦しなければと思ったんです。それで、映画をやってみようと」

 実は、配給会社や映画関係者から「教育と愛国」の映画化を勧められていたが、「無理です」と断ってきた。

 しかし政治の流れが意識を変えた。社内の理解者は当初少なかったが、1年かけて正式決定に漕ぎつけた。

「バトル」ではなく問題の本質、普遍的価値を伝える映画にしたかった

 MBSには「映像」という1980年から続く月一回のドキュメンタリー番組がある。斉加監督は2015年にその専属ディレクターとなり、これまで約20本の番組を制作してきた。2年先輩の澤田プロデューサーも、数々の秀作を送り出してきたテレビドキュメンタリストだ。

『地方メディアの逆襲』書影(ちくま新書)
『地方メディアの逆襲』書影(ちくま新書)

 『地方メディアの逆襲』(ちくま新書)という本の中で、私は二人を取材した。澤田氏は斉加監督をこう評している。

「斉加の取材テーマは教育や歴史認識、沖縄やメディアですが、もっと大きく言えば、民主主義や言論状況ということになるでしょう。われわれの社会が大事にしてきた普遍的な価値観が今、政治によって歪められようとしている。どこかおかしくなっている。そういうテーマに取り組む人間は、今のテレビには少ないんです。どちらかと言えば、関わりたくない。面倒くさいからです。政府や自民党の圧力もあるし、ネットをはじめ市民からの反発もある。テレビは今、双方から挟み撃ちに合っている」

 斉加監督自身、激しいバッシングを受けたことが何度かある。沖縄を貶めるデマを検証した時、学者や弁護士に対するネット上の攻撃を追った時、そして教育担当記者時代、橋下市長の囲み取材で質問した時。

 2012年5月だった。この年の府立高校卒業式で、民間人校長が教職員の国歌斉唱時に「口元チェック」をしたことの是非を問うと橋下氏が激高し、30分近くにわたり面罵された。ネットに動画が流れると、誹謗中傷や罵詈雑言が大量に書き込まれ、3カ月以上続いた。

大阪市役所の慣例だった橋下市長の囲み取材(2013年5月)
大阪市役所の慣例だった橋下市長の囲み取材(2013年5月)

 この橋下氏との「バトル」を映画に入れるべきだという意見が映画関係者たちから寄せられたが、やめておいた。

「あの場面を入れると、インパクトはあるかもしれませんが、個人と個人のバトルに矮小化され、問題の本質からそれる気がするんです。誰であっても、どの政党であっても、教育の内容や教育行政そのものに手を突っ込んではいけないという教育の独立性、その普遍的価値を伝える映画にしたかった」

 教育の独立性。それを記した旧教育基本法の重要な条文について、斉加監督は今年4月に出版した『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』(集英社新書)に書いている。

「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」(旧教育基本法第10条)

 これが安倍政権の法改正によって以下のように変えられた。

「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」(改正教育基本法第16条)

 不当な支配に服することなく、の部分はかろうじて残ったが、法律に則ってさえいれば不当な支配にはならないとしたことに斉加監督は異を唱える。その法律は誰が作るのか。時の政府が提案し、議会で多数決によって決まるではないか。全体主義国家であっても法律に則って教育をしてきたはずだ、戦前の日本の学校教育だってそうだった、と。

 教育は誰のためにあるのか。「不当な支配に服することなく」の条文を真に実現し、教育の普遍的価値を取り戻すにはどうすればよいのか。「教育と愛国」は、そのことを私たちに問うている。

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