「生業(なりわい)はサンボアです」。バーを営む著者の自己紹介。風変わりな言い回しだが、そのこころは本書に溶け込んでいる。
東京、大阪、京都で現在14店が構えるバー、サンボア。発祥は1918(大正7)年、モダンな街、神戸に開かれた喫茶店のごとき、ミルクホール。今年、創業100年を数える。
戦災を越え、戦後を生き……昔、なじみの薄かった洋酒一杯一杯を、無名な人々が商ってきた。その足跡の濃淡を著者はたどる。少し謎めいた創業者、岡西繁一(しげいち)さんの人生。のれん分けでつながるサンボアは店ごとに経営者が違い、それぞれの流儀で親しまれてきた。ただ、通底する何かがあるのか、自らが知るほかのサンボアと一緒、と語る客が少なくない。
「いい加減で適当」な著者は35年前、ひょんな勘違いから学生バイトでサンボアへ。「おもろい」ことが大好きなマスターを、師と仰いだ。修業10年。北新地で独立し、2003年に銀座での開店に挑み、浅草もあわせ3店を営む。縁あって、乏しい史料を読み、方々を巡り、足かけ8年。本書は未明まで働くバーテンダーの、時のカクテルの産物でもある。
バーテンダーとはつくづくデリケートな営み、と語る。コンビニでいつでも酒が買え、お気軽に酔える現代。ましてストレートを求める人には、ちいさなグラスに注ぐだけ。「料金を頂戴(ちょうだい)する根拠は何か、自問しつづけないと」
店内はカウンターのほか、随所で真鍮(しんちゅう)が磨きあげられている。お客とは当意即妙、できればクスッと笑っていただきたく。自身、ハイボールを両手で同時に2杯仕上げる。余興ではなく、待たさぬよう身につけた技。どこで見られてもいいよう、出退勤はスーツで。
駆け出しの頃、亡き客に聞かされた一言を、心に刻む。「バーとゆうもんはやな、板が一枚あって、その向こうに酒を並べる棚があってな、その間に『人格』があったらええんや」
だから生業はサンボア、と言いたくなる。どこにいても切り離せない、わたくしを映すものとして。
(文・木元健二 写真・飯塚悟)=朝日新聞2018年1月7日掲載
編集部一押し!
- となりの乗客 解像度と幸せの輪郭 津村記久子 津村記久子
-
- 朝宮運河のホラーワールド渉猟 空木春宵さん「感傷ファンタスマゴリィ」インタビュー 社会の痛みに向き合った幻想SF 朝宮運河
-
- 図鑑の中の小宇宙 「すごすぎる絵画の図鑑」 フェルメールの名画の黄色の正体は…… 岩本恵美
- 鴻巣友季子の文学潮流 鴻巣友季子の文学潮流(第13回) 「女性は存在しない」!? メイル・ゲイズ(男性の眼差し)を超えて 鴻巣友季子
- 新作映画、もっと楽しむ 映画「陰陽師0」奈緒さんインタビュー 平安時代の女王役「負の感情を『陽』に。自分の道は変えられる」 根津香菜子
- マンガ今昔物語 パッとしないが、実はすごいヤツ。令和の会社員像は 鍋倉夫「路傍のフジイ」(第143回) 伊藤和弘
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(後編) 辞書は民主主義のよりどころ PR by 三省堂
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(前編) 「AI時代」の辞書の役割とは PR by 三省堂
- インタビュー 村山由佳さん「二人キリ」インタビュー 性愛の極北に至ったはみ出し者の純粋さに向き合う PR by 集英社
- 朝日ブックアカデミー 専門外の本を読もう 鈴木哲也・京大学術出版会編集長が語る「学術書の読み方」 PR by 京都大学学術出版会
- 朝日ブックアカデミー 獣医師の仕事に胸が熱く 藤岡陽子さんが語る執筆の舞台裏 「リラの花咲くけものみち」刊行記念トークイベント PR by 光文社
- 朝日ブックアカデミー 内なる読者を大切に 月村了衛さんが語る「作家とはなにか」 「半暮刻」刊行記念トークイベント PR by 双葉社