東京・池袋に、昼間から薄暗い、穴蔵のようなホールがある。8月のとある週末、ステージで縦横無尽に踊る白い裸身を食いいるように見る男たちに交じって、桜木紫乃さんは目を輝かせていた。
性的マイノリティーへの色眼鏡がまだ濃かった時代に先駆けとなったタレント、カルーセル麻紀さんをモデルに、その半生を書き続ける。「この世にないもの」を目指す、秀男ことヒデ坊が脱いで踊り、性転換の手術を公言するまでが6月に刊行された『緋(ひ)の河』(新潮社)。現在は小説新潮で第2部を連載中だ。
「女になりたかったわけじゃないの。きれいに踊る体がほしかった」。麻紀さんが、桜木さんにそう語ったことがある。「カルーセル麻紀という作品をもっとも美しく見せるためにしてきたこと、何を思い、何に出会ってきたかを書きたかった」と言う。
ただ、あくまで「想像で」だ。例えば麻紀さんは過去、ヘビを使って踊っていたが、なぜヘビなのかは語っていない。本人が沈黙していることは聞けない。
虚構で書くという申し出に、麻紀さんは「とことん、きたなく書いて」と応じたという。「そう書いたら物語が美しくなることをご自身がよく知っている」
2人はともに北海道・釧路出身。「持っている原風景が同じ。ほかの誰にも書かせたくなかった」。夏の釧路で、中学生のヒデ坊は、セミの抜け殻に「体を捨てて新しいものに変わる」ことの答えを見いだす。セミの抜け殻がばらばら落ちていたのは、桜木さんの幼い頃の記憶だ。
答えを見つけた帰り道、乗り合わせた三輪トラックの男がヘビを載せていた。指でつまむと、しっとりと冷たかった。「セミとヘビ、どちらも殻や皮を脱ぎ捨てて命一つで出てくるのは、命が一つしかないから」
ヒデ坊は大阪のストリップ小屋で、共演する女優を魅了する。「悪いけどあたしはおかまじゃないの。ゲイボーイ」「あたしたちの売り物は体じゃなくて芸なの」。この世にない「オリジナル」を求めて、「脱皮」を繰り返していく。
「ヒデ坊に限らず、みんなオリジナルになりたいんじゃなかろうか。他者からの承認ばかり求めないでさ。自分にしかできないことをしたいって思いながら生きることは悪いことじゃない。ヒデ坊は常に自分にいいね!をしているんだ」
冒頭のホールに桜木さんがいたのは、ある踊り子の引退興行があったからだ。踊り子からは多くを学んだという。「見せて恥ずかしくない体を作る。あれは裸という名のコスチュームですよ。踊り子さんはみんなその名前のプロ。カルーセル麻紀も、カルーセル麻紀という表現方法のプロ。踊り子さんは脱げないことが恥ずかしい。私は書けないことが一番恥ずかしい」(興野優平)=朝日新聞2019年9月18日掲載
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