「エリ・ヴィーゼルの教室から」書評 狂気迫る社会で傍観者は共犯者
ISBN: 9784560097205
発売⽇: 2019/09/25
サイズ: 20cm/304p
エリ・ヴィーゼルの教室から 世界と本と自分の読み方を学ぶ [著]アリエル・バーガー
ホロコーストの証言者であり人権活動家としても名高いエリ・ヴィーゼルが、愛の反対は無関心だとしてこれを強く非難したことはよく知られている。怒りや憎しみは、対抗し反発する気持ちをかきたてるが、無関心は何の反応も喚起しない。無関心は敵を利するだけ、すべての終わりだ。
その教え子による本書は、教育者ヴィーゼルがその思想の根幹を学生に説く姿を描く。正義を追求するヒューマニストの育成という教養教育の実践として、ユダヤ教の聖典からエウリピデス、ブレヒトまで、多様なテクストを読みながら彼は学生に問いかける。記憶、他者性、信仰、反抗について。取り上げるのは彼が生涯格闘した問題だ。
その一つ、「信仰と疑い」は、第一作『夜』以来のテーマである。強制収容所での過酷な経験は、彼の信仰を根底から揺るがした。苦悩の原因が神にあるならば、神に抗議すべきではないか? 神も論争を期待しているのではないか? 傷ついた信仰もまた、深い信仰なのだと彼は語る。
あるいは、狂気について。ここでは、自分が見たユダヤ人虐殺の話を信じてもらえず、狂人扱いされた堂守(どうもり)の記憶が蘇る。社会に集団的狂気が迫るとき、邪悪なものや圧政の接近に気づく人はしばしば狂人とされてしまう。そんな中、自分まで狂気に陥らないよう、真実を語り続けて抵抗しようとする人々を挫けさせるのが、周囲の無関心なのだ。カフカの『審判』で、裁判の進行を不条理と恐怖へと堕落せしめたのも無関心。狂気の巣喰う社会では、傍観者は共犯者となる。
公共的知識人としてのヴィーゼルは、ときに強い批判に晒された。とくに彼のイスラエル擁護は、パレスチナ人の人権無視だとして非難されることも多かった。しかし、そこに生じた論争も、また無関心の対極に位置したのだろう。教室でヴィーゼルが促したのも、道義的責任をめぐる途切れのない対話であった。
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Ariel Burger 1975年生まれ。米ボストン大でエリ・ヴィーゼル教授の教育助手。現在はユダヤ教正統派ラビ。