未曾有の年が過ぎ去ろうとしています。ささくれだった心を、せめて本の世界に飛び込んで癒したい――。そんな思いで手に取ったのが、山本一力の長編時代小説『だいこん』(光文社文庫)。おそらく、江戸の旬の味覚の移ろい、町人同士の語らいを主軸とした、ほのぼのとした物語だろう。そう予想しながら読み始めてみたら、見事に裏切られてしまいました。
主人公は、明和元(1764)年、江戸・浅草並木町で生まれたつばき。大火や野分(台風)、洪水など、数々の天災や苦難と闘いながら力強く生きていく、立身出世の細腕繁盛記。僕の予想していた「ほのぼの物語」とはおよそ遠い、一人の女性の成長譚です。
つばきの父・安治は腕の良い、通い大工。ところが、渡世人の伸助に誘われて遊んだ賭場で借金を抱えてしまいます。さらに渡世の義理を裏切ったことで、つばき一家はさらに貧困にあえぎ、幼いつばきは「早くお金を稼いで両親を喜ばせたい」と心に固く決めるのです。
明和9(1772)年の「明和の大火(目黒行人坂の大火事)」では、江戸の街の大半が焼き尽くされますが、9歳のつばきは炊き出しの米を美味しく炊く才能を開花させ、吾妻橋の火の見番小屋の「食当(賄い)」に雇われます。火消しの若者たちに囲まれ、昼夜問わずあくせくと働き、大金を貯めたつばきは、17歳で浅草の片隅に一膳飯屋を開業し、独立を果たします。その店の名前こそが「だいこん」というわけなのです。
「私にだってできることがあるはず」と、一つひとつの仕事を丁寧にこなしていく、つばき。自信をみなぎらせ、商いの才覚をみるみる掴んでいきます。そんな彼女を浅草や日本橋、築地の大人たちが温かく見守り、引っ張り上げていきます。鯔背(いなせ)な江戸の息遣いを随所に感じ、読んでいて爽快な気分になります。父・安治は、一滴でも酒を飲むと手の施しようがなくなる酒乱でありながらも、なぜか憎めないキャラクター。「俺が家族を守ってやる」との思いは熱く伝わりながらも、空回りしてしまう。昔気質の愛らしい江戸っ子です。
そんな安治を借金苦に貶めた伸助は、その後も事あるごとに、つばきたちの前に現れます。渡世人ですから「カタギ」にナメられるわけにもいかず、きつく当たるようなところがある。けれども、伸助のおかげで、つばき一家は落ちるところまで落ちずに済む側面もある。この本の続編『つばき』を読めば、よく分かるのですが、つばきのことを伸助は誰よりも大切に考えているのです。子分たちの手前、厳しい顔はしています。でも、深く大きな愛をもってつばきに接しているのが伝わってきます。こういう、一筋縄でいかない伸助もまた、好もしく見えるのです……騙(だま)されているのかもしれませんが。
せっかちな、荒くれ者の客たちが競うように店に押し寄せては、自分がつくった料理をガツガツ喜んで食べてくれる姿を見て、つばきは自らの仕事への「やり甲斐」をかみしめます。そんな描写に、僕も思わず心を打たれます。エンターテインメントの仕事をしている僕は、皆さんにとって役立つ道具をつくれるわけでなければ、お腹いっぱいになる食べ物を提供できるわけでもありません。ただ、皆さんに喜んでいただき、心を満たしてもらうことだけが、僕に唯一できることです。特にこのご時世では、つらい思いを抱えるかたが大勢いらっしゃると思います。もしも、僕の関わる映画や舞台、ドラマ、司会の番組を通じ、一瞬でも現実を忘れ、心を満たして頂けたなら、これ以上の喜びはありません。この年の瀬に、自らの仕事観について、少しだけ再確認の時間を持てたことは、収穫でした。
もっとも、この物語の中には、ちょっと「モヤモヤ感」を抱いてしまう場面もあります。たとえば当初、つばきは酒の提供を頑なに拒んでいたのに、コロッと方針を変えてしまう。あるいは、売り言葉と買い言葉の応酬で始まった、客との口喧嘩から、予想外の事業計画の変更に踏み出してしまう。幾度か訪れる淡い恋の行方もまだ定まらず、回収されていない伏線がとにかく多い。「癒されたいな」と思って読み始めたのに、どうなっているの? どうなるのか?といちいちモヤモヤと気になってしまいます。物語は未完なので、今後の展開をじっくり見守ることとしましょうか。
『だいこん』を読み終えたら、続編『つばき』を読まずにはいられなくなるはず。はからずも、現代の僕らを取り巻く世界とリンクしています。この先、信じられないほど江戸の景気が落ち込み、飲食店や河岸の人々が辛酸をなめる描写があります。つばき自身が女手一つで生きるのは、想像を絶するほど大変なこと。自分の矜持だけを頼りに、社会の荒波を乗り越えようとする姿は、未曾有の事態を生きる僕らに強いメッセージを与えてくれるのです。(構成・加賀直樹)