なつかしい記憶を思い出す
――暗い色彩の表紙が、ひと際目を引く豊福まきこさんの絵本『わすれもの』(BL出版)。あるヒツジのぬいぐるみが、公園のベンチにちょこんと置き去りにされ、持ち主の少女ミナを待ち続ける切ない物語だ。人物ではなく、ぬいぐるみの視点で描かれた繊細な絵や文の仕掛けによって、子どもはもちろん、大人もこの絵本の世界にはまる人は多い。
私は、表紙にはどうしても静かで美しいイメージの絵を描きたかったんです。直感でこの絵が思い浮かんで。表紙を見て、怖い話だと思う読者もいるようで、子ども向けではなかったかもしれないかなと思います。でも、むしろ大人が書店で手に取って、別に怖い話ではないなと感じて、子どもに与えてくれることもあると思います。出版社としては、絵本といえば明るい色彩の表紙の方が良かったとは思いますが、私の気持ちを通してくれました。落ち着いた色彩にしたことで、逆に書店の絵本コーナーでは読者の目に留まったのかもしれませんね。
おそらく子どもだけでなく、老若男女の誰もが感情移入できることが、読んでもらえる理由かなと感じています。多くの大人が懐かしさを感じてくれるのかもしれません。読者の中には「自分にも大事にしていたぬいぐるみがあったな」と、思い出話をしてくれた母親もいます。
『わすれもの』というタイトルは、子どもが読みやすいようにひらがなにしました。漢字にすると駅の拾得物みたいな感じになりますからね(笑)。単に忘れものという意味だけでなく、忘れていた記憶を思い出すという意味としてもいいかなと思い、付けたんです。
――家族で公園へピクニックにやってきたミナは、蝶々を追いかけ始めた瞬間から、お気に入りのぬいぐるみをベンチに置き忘れてしまう……。残されたヒツジの気持ちの変化を表すのは、公園のグリーンや空の色などの豊かな色彩だ。
公園に誰もいない夜、ヒツジが「おうちに帰りたい」と思う時に見えるのは、空だけだろうと思ったんです。この場面では、雨の線をわかりやすく描いています。でも、雨の日に、ミナがヒツジを迎えにくる場面ではページでは線や点々を描かず、水彩絵の具をぼかし、濃淡を付けただけで、雨の線を感じられるようにしました。風景が霞んで見えるだろうと考えたからです。
実は物語は、雨に濡れたぬいぐるみがぽつんとベンチに置いてある場面から想像していったんです。まさに想像の原点となった絵です。いっぽう、木々の葉は細かく描いて立体感を出して書いています。4~5月ごろのイメージで描いたので、その時期に咲くコデマリやチューリップも至るところに描いています。
最初にミナが着ていた洋服は真っ赤。翌朝、ミナがヒツジを迎えに行ったときは、緑色のレインコートに赤い傘にして、目立つように工夫しました。赤い色の傘が見えたら、「ミナだよ」とヒツジが気づいてくれたらいいなと思って。もともと描いた傘はもう少しグレーがかった赤でしたが、再会して嬉しいページなので明るい赤に変えたのです。
私の絵本は全て透明水彩を使って表現しています。透明水彩のイメージはセロファンです。たとえば赤いセロファンに黄色いセロファンを重ねたら、真ん中がオレンジになる。透明水彩は重ねることで色が出るので、明るくしたいときは黄色を敷いたり、その上に同じ色を重ねたりします。一発勝負なので大変! 私はパレットの上で色を調色しないで生のままで使い、手作りした色見本の中からこの絵にはこの色を使ってみようと決めるのです。
「大人の中の子ども」に響く絵本を
――やさしいタッチで描かれた水彩画と心温まる物語を作風とする豊福さん。かつてはフリーランスのイラストレーターとして主に雑誌や新聞で挿絵の仕事をしていたという。そんな中、「もっと時間をかけて世に残っていく絵を描いていきたい」と思ったのが、絵本作家になるきっかけだった。
雑誌や新聞のイラストは、一度載ったらそれで終わり。それで方向転換して絵本の作り方を勉強していきました。絵本の塾や単発の絵本作りのイベントにも参加して、コンテを描く練習もしていました。話の種を作り、鉛筆書きの絵を描いて、編集者に見てもらいアドバイスを受けるといったことを繰り返しました。そんな、挑戦しては挫折するの繰り返しが長く続き、やっと形になったのが『わすれもの』だったんです。
落ち込んだり、喜んだり、読者が感情の浮き沈みを絵本の中で体験してくれたらいいなと思って作っています。ただ今でも気を付けているのですが、くどくどと説明してしまう癖があって。ヒツジとミナの感動の再会場面で、「涙のように雨のしずくがぽろぽろこぼれました」と書き添えたかったんです。でも、編集者にアドバイスされ、「わすれてごめんね」という言葉だけにしてよかったと今は思います。
読み聞かせをすると「ここにもヒツジがいる」と気づく子がいます。青空のもと、洗濯物が干されているページでは、子どもたちから「あ、ヒツジも干されている!」とよく言われます。ミナが発見したヒツジを丁寧に洗った後、洗濯機で脱水するわけにもいかないので、水が滴り落ちているんです(笑)。大人はどうしても話を追ってしまうけれど、子どもは絵をよく見ているからかもしれません。
――絵本は書籍と違い、何度も読まれることが多い。豊福さんはそれに耐え得る絵を描き続けたいと話す。
「毎晩毎晩、読んでいます」という声はとても嬉しいですね。そしてこの絵本が小さい頃の記憶を思い出すきっかけになって、楽しんでもらえたら作家冥利に尽きます。仕掛けをいっぱい入れてよかったと思いますね。
大人になっても子どもの時から変わってない部分ってきっとあると思うんです。大人だって、本当は水たまりでパシャパシャって遊びたいのにしないですよね。今後は、そういう心の奥にしまっているけれど消えていない、大人の中にある子どもの部分に響く絵本を出していきたいです。
(文:石井広子)