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岩本馨さん「明暦の大火」インタビュー 寡黙なデータで通説覆す

岩本馨さん

 明暦3(1657)年、世界史上最大級の大火が江戸を襲った。

 正月18日(新暦3月2日)、本郷・本妙寺の火が市中に広がり、翌19日、小石川から出た第2の火は江戸城天守を焼き、麴町から第3の火も出て、市街地の大部分が失われた。

 この後、幕府は大規模な「都市改造」を行い、火除地(ひよけち)を設け、武家屋敷や寺社を郊外に移し、江戸拡大の画期となる……というのが通説だ。

 だが、本当か。建築史や都市史を専攻し、将軍交代による武家屋敷の変化を調べてきた岩本さんは疑問を抱いた。先輩研究者の示唆も受け、「史料を読んでいくうちに『大火をはさんで変わったのではない』と、予感を持つようになりました」。

 これまでの研究で重視されてきた仮名草紙を使わずに、幕府の公式記録や絵図など「寡黙だが、信頼できる史料」で裏付けられるデータを、一つ一つ地図に落とし込んだ。

 すると、寺社の移転は大火前にピークがあったことがわかった。グランドデザインのない幕府は調整役に徹しており、火除地の決定は武家に配慮していた。武家屋敷の郊外移転には、火事を機に、大名側が広い屋敷を得ようとした面があった。

 俗称の「振り袖火事」も、同時代の記録には類する話がなく、のちの豪商・紀伊国屋文左衛門の伝説と共に広まったのではないかとみる。

 「大事なのは、物語の真偽ではなく、なぜ信じられるようになったのかです。大火後の廃虚に一獲千金や世界の改造の機会が、というリセット願望ではないか。歴史は積み重ねです。スーパーヒーローがいて、ガラッと変わるものではありません」

 あとがきで、火事で亡くなった祖母にふれ、大きな物語に回収されがちな大火にも「それぞれ異なる人生の悲しみがあったであろうことを忘れずにいたい」と結んでいる。=朝日新聞2021年10月16日掲載