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好物の名前 千早茜

 先日、直木賞を受賞した『しろがねの葉』という小説の主人公がウメという名のせいか、梅干しや梅味のものをちょくちょくいただく。梅は好きだ。傍(はた)で見ていた旧知の編集者が「それ、いいですね」と言った。なにが、と問うと「好きな食べ物を主人公の名にすると好物をもらえるってことですよ。次に生かしましょう」と、すごく良いことを思いついたような顔をした。

 既視感を覚えたまま帰路につき、入浴しているときに思いだした。私はストリップ鑑賞が趣味のひとつだが、踊り子さんの芸名がときどき「めろん」や「りんご」といった果物名のことがある。友人の踊り子に聞いたら、芸名を好物にしておくと覚えてもらいやすく、懇意のお客さんから好物の差し入れがあるらしい、とのことだった。自分も芸名に「いくら」や「マンゴー」を入れておけば良かったと彼女は嘆いていた。長い芸生活の間に飽きたらどうするのだろうと考え、自分は物心ついてからチョコレートに飽きたことはないと気づいた。毎年、バレンタインデーのある二月は、巷(ちまた)にチョコレートがあふれるのをいいことに百貨店やパティスリー、ショコラトリーでチョコレートを自分のためだけに買いあさり、ホワイトデーまでの一ケ月間、毎日、一箱ないし一枚は食べ続けるがまるで飽きない。では、私はペンネームを「千早チョコ」にすれば良かったのだろうか。「ちよこ」でもいい。そうしたら年中、チョコレートをもらえたのだろうか。

 いや、でも、と思う。好物はそんなに単純なものではない。むしろ好物だからこそこだわりが発揮される。私は梅干しは好きだが、梅の香を好んでいるので紫蘇や鰹(かつお)で風味付けされているものはいまいちだ。塩と梅の実だけで漬けられているものがいい。苺(いちご)も果物は好きだが菓子の苺フレーバーは嫌いだ。すべてを「梅」「苺」と安易にまとめられては困る。あと、好物は自分で選びたい。偏屈ものは、どちらかといえば好物は隠しておいたほうがいいようだ。=朝日新聞2023年2月8日