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角田光代さん「ゆうべの食卓」インタビュー コロナで一変した生活、でも人生は無味乾燥じゃない

角田光代さん=家老芳美撮影

小説の書き方を忘れてしまった

――14年にわたって雑誌「オレンジページ」でエッセイを連載してきた角田さん。ここにきて、短編小説の連載に挑戦した理由は。

 編集部からのご提案で。長くエッセイをやってきたので、そろそろ読者に飽きられちゃうかなと私も思って、お引き受けしました。でも、自信がなくて「苦しくなったら言いますね」と、逃げ道を作りつつ……。

――自信がない? 直木賞の選考委員も務める角田さんが、なぜ……。

 2015年から「源氏物語」の現代語訳のために、いったん小説を書くのをやめたんです。全三巻をようやく訳し終え、5年ぶりに書き始めた小説がこの『ゆうべの食卓』でした。その翌月には新聞連載の長編『タラント』も始まったんですが、5年経つうちに、長編も短編も、すっかり小説の書き方がわからなくなってしまって。どう書けば面白いのか勘所もつかめず、ちょっと途方に暮れました。

 ただ、この連載は同じ号の「オレンジページ」で特集されている「卓ドンごはん」や「手作りミールキット」などのキーワードを小説の中に入れる、というお題があったんです。それが結構ヒントになって、ずいぶん助けられました。3カ月ほど先の特集の概要を編集部の方が送ってくださるんですが、文字だけのそれから、あれこれイメージするのは楽しかったですね。

「新しい生活様式」も前向きに

――連載がスタートしたのは2020年6月、コロナによるパンデミックの初期でした。「パパ飯ママ飯」では、コロナ離婚をする夫婦が登場し、「私たちのちいさな歴史」では、シニアマンションに入居した老母に面会制限で会えなかった後悔が描かれます。コロナによって、本来食卓を囲んでいた人々の関係性はどう変わったと感じますか。

 それまでは、相手に本当に会いたいかとか、気が合うか合わないかとか、とくに考えもしないで、「仕事の会食だから」とか、「最近ご無沙汰してたから」とか、軽い感じで大勢で飲み食いしてたじゃないですか。その判断基準をみんなが見直した気がしますね。今後は本来の付き合いだけが残っていくと楽ですよね。

 家族の食卓でいうと、よく聞くのが「夫がリモートワークになって、3食用意しなきゃいけないのがものすごいストレス」という話。私自身、毎回料理するのが嫌になって、結構テイクアウトを利用するようになりました。反対に、「以前は昼食抜きで忙しく働いていたから、家で家族みんなと食べられる今が幸せでしょうがない」という人もいたりして、それぞれの抱えていた問題があぶりだされた気がします。

――まさに「パパ飯ママ飯」では、夫・紀行の自分勝手な行動が、リモートワークで24時間一緒にいることで目につくようになり、妻のひとみは家庭内別居を宣言します。パンデミックが収まっても溝は埋まらず、離婚に至りますが、娘の結麻含め、家族それぞれが変化を前向きに受け入れているのが印象的でした。

 この連載は読者をほっとさせるようなものにしたかったんです。せっかくおいしそうな料理のページを眺めて良い気分になっているところに、ギスギスした人間関係や暗い話を読ませるのはちがうかな、と。

――「明日の家族」というお話では、家族が「ばらばらになったんじゃなくて、ただ変わっていく」という一文があります。ほかにも、娘の独立後、夫とキャンプを始める「グラタンバトン」や、大好きだった妹が結婚で遠方へ引っ越す「私の無敵な妹」など、<家族の形は変化する>という前提の上で、<それでも続いていく>という希望が繰り返し描かれていました。

 それはやはり、コロナも関係していますね。今までと生活様式が変わることを余儀なくされる中で、変化をネガティブに書いていたらどんどん落ち込んでいっちゃう。そうではなくて、変化を新しい風景と捉えたいと思いました。

――角田さんご自身も、常に変化を前向きに捉えるタイプですか。

 いえいえ(笑)、私はネガティブ人間なので、個人的には全部ネガティブに考えちゃいます。

ここ5年で変わった「男女の当たり前」

――ひとり暮らし18年目の珠実が婚活アプリを始める「充足のすきま」や、恋人に振られた純也がお弁当作りを始める「ようこそ料理界へ」は、食を共にする男女の淡い恋のお話。好きな男性のために女性が料理を作るというような関係性でなく、お互いの食の趣味が合うところを探っていく、対等な関係として描かれます。

 そこはとても注意して書いています。私の世代って、「男子の好きな料理ベスト3」とか、「男を捕まえるには胃袋を掴め」とか、普通に言ってた世代。そんなこと今言ったら石礫を投げられるでしょ。私自身、その頃は「男子が好きな料理一位は肉じゃがかぁ……」とか、どこかおかしいとは思いながらも無意識に取り入れちゃってたんですよね。だから常に自分のこの目線で大丈夫かどうか気にしています。

 恋愛を描くにしても、今の人ってそもそも恋愛にあんまり興味がないじゃないですか。恋愛よりもっと楽しいことがいっぱいあって、だから恋愛しなくても全然生きていける。だから、この短編にも恋愛にがつがつしている人は出てこないんです。

――まさに“今”が描かれていますね。「明日の家族」で母親の麻耶はお弁当作り卒業宣言をし、「パパ飯ママ飯」のひとみは家庭内別居を宣言。母という役割から脱却しよう!という応援歌のように受け取りました。

 小説で何か思いを表明する、ということを私はしませんが、そういう話が多かったというのは、やはり、社会がそう変わったからでしょうね。「ご飯を作るのは母親の役割」というのは、「源氏物語」にとりかかった7年前にはまだまだ当たり前のことでした。それが、ここ5年で、「その固定観念はよくない」「誰もそんなの決めてない」って、みんながはっきりと口に出すようになった。私が引きこもって「源氏」を訳している間に、どんどん変化していった。自分もアップデートしないとヤバいという自覚があるので、家事のシーンも「女性がするもの」というふうに書かないよう気を付けました。

――だから、余計なことにモヤッとしないでストーリーに集中して読めるんですね。食をテーマに小説を書いてみて、改めて気づいたことはありましたか。

 単純に食卓風景を描くのは楽しいですね。「のっけ丼」とか「小さなおせち」とか、食のトレンドを知ることができたのも面白かったです。そして、食には、ジェンダー、恋愛観、コロナ禍以前以後と、そういう世の中の変化が敏感に現れると思います。やはり、食は暮らしそのものだから。

――ちなみに、角田さんの“ゆうべの食卓”は?

 ふふ。お取り寄せした「ハイパー干物クリエイター」の干物と、菜の花と豆腐のだし煮です。パンデミック以降下がりっぱなしだった料理熱が、最近ようやくちょっと上向きになってきました。

小説を読むのは「生きているのが辛いから」

――この作品は年齢も性別もさまざまな人々の食卓が描かれ、ダイニングテーブルで読むような、暮らしの中に溶け込む小説集だと思いました。今、動画配信サービスなど新しいエンタメが溢れ、小説は以前ほど読まれなくなっていると思います。暮らしの中に小説があることの楽しさを教えてください。

 逆に私は小説を読まない人がどう生きているのかわからないんです。私も、ネットフリックスで韓国ドラマを見るのにハマっているんですが、だからといって小説を読む時間が減ったわけではないんです。いつも食後に1、2話見るって決めていて、それって、子どものころ、夕食後にテレビドラマを見ていたのと変わらないんですよね。結局、今小説を読まない人は、それを必要と感じていないんだと思います。

――では、どんな時に人は小説を必要とするのでしょう。

 それは結局、「人はなぜフィクションが必要なのか」っていう話になるじゃないですか。私は「源氏」をやっている間、それをすごく考えたんですよね。そこで出した答えが「生きているのが辛いから」だったんです。

 だって、わかんないじゃないですか。明日どうなるかわかんないし、将来どうなるかわかんないし、来週生きているかすら、わかんない。だけど、物語の中では人が生きていて、明日がちゃんとやってきますよね。他人が生きる様を読むというのは、それを自分に照射して、「この人に明日があるっていうことは、自分にも明日がある」って無意識に信じることだと思うんですよ。

 先日、林芙美子文学賞の記念トークショーで川上未映子さんと井上荒野さんと「なぜ人は小説を読むのか」という話になって、荒野さんは「人はただ生まれて死ぬだけじゃないって知るためだ」って言うんですね。「人がただ意味なく生まれて、意味なく辛い思いをして、時々おいしいものを食べて死んでいくって、なんかすごく空しい。でも小説を読むと、そんなことだけじゃない。生きて食べて死ぬだけじゃない。もっといろんなことが起きてるってわかるから、人は物語を読むんじゃないかな」って言っていて。私の考えと、とても似てると思ったんです。

 今生きていることが、無意味でもなく、無味乾燥でもないって、フィクションで知ることができる。あるいはフィクションによってしか、わかることができないのかもしれない。

――たしかにこの小説を読むと、ふつうの人々の中にそれぞれのドラマがあるのだと感じます。では、この本をどんなふうに受け取ってほしいですか。

 しんどくない本だと思うので、しんどくなく読んでほしいです。ごちゃごちゃ色々ある毎日の、休憩みたいな感じで。