「休館日の彼女たち」書評 平行線が交わる彼方を見つめて
ISBN: 9784480805102
発売⽇: 2023/03/20
サイズ: 20cm/151p
「休館日の彼女たち」 [著]八木詠美
男性が自己の創造物たる女性の彫像に恋をするピュグマリオンの神話は、ホフマン「砂男」など多くの物語の源泉になってきた。その男性視点の物語を、本作は冴(さ)えざえとした知性とユーモアで換骨奪胎し、ツイストの利いたシスターフッドの物語に書き換える。
冷凍庫で棚卸しの仕事をするホラウチリカは、ラテン語の堪能さを見込まれ、大学の恩師からアルバイトを頼まれる。その内容は休館日の博物館で、ヴィーナス像の話し相手をすること。なんとも奇想天外な設定だが、モノとの対話が幻想というなら、人間同士なら意思疎通ができると思い込むのもまた幻想だ。
凍りついた食品に囲まれ、人の口から絶えつつある古典言語の習得にひたすら励み、最小限のコミュニケーションで暮らすリカは、人と触れあうことでわかりあえない孤独が募ることに誰よりも敏感で、だから隠れるように生きている。そんな彼女が「お手を触れないでください」とガードされ、一方的に見つめられつづける受動の塊のようなヴィーナス像に出会い、恋に落ちる。だがその道ならぬ恋にはさまざまな障壁がある。ヴィーナスは台座から動けず、女神を偏愛する学芸員のハシバミが恋敵として立ち塞がる。
服を着たくとも着られないヴィーナスとは対照的に、リカは他人には見えない黄色のレインコートをいつも着ている。それは小学校の頃、算数の授業で「平行の直線はどこまで伸ばしても永遠に交わることがありません」という説明を聞いた時に出現した、リカを外界から覆う膜だ。人と人とのわかりあえなさを宣告するような公理だが、非ユークリッド幾何学では、私たちが生きる地球のような曲面上の平行線は、無限の彼方(かなた)で交わるという。
そんな無限の彼方を見つめて、私たちは誰であれ愛し、どこにでも行ける。読み終えると、胸が湧き立ち、少しさびしい自由の感覚にとらわれていた。
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やぎ・えみ 1988年生まれ。2020年に第36回太宰治賞を受賞した『空芯手帳』は各国で翻訳が進んでいる。