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習近平の素顔 巨大な個人から読み解く世界 ルポライター・安田峰俊

中国共産党大会の閉会後、会見に臨む習近平氏=2022年10月、北京の人民大会堂

 先月開催された広島サミットの大きな話題は、G7(主要7カ国)首脳が揃(そろ)って原爆資料館を見学し、慰霊碑に献花をおこなったことだった。各国の安全保障戦略はシビアなリアリズムに立脚しており、サミットの評価もまだ定まらない。それでも、米英仏の核保有国を含む主要諸国の首脳らが、原爆の痛みを肌感覚で認識したことは大きな意味があった。
 ところで、原爆の惨禍を知る核保有国の指導者は他にもいる。それは習近平(シーチンピン)・中国国家主席だ。彼は福建省長だった2001年、同省と友好提携を結ぶ長崎県を訪問し、長崎原爆資料館を見学しているのだ。
 当時の彼がいかなる感想を残したかは不明である。だが、いまや世界で最も核のボタンと近い人物の1人が、22年前の視察から、なんらかの教訓を汲(く)み取ったことを望みたい。

無名時代を知る

 習氏については、さまざまな人物像が伝わるが、情報は玉石混淆(こんこう)だ。信頼できる情報源のひとつは、彼が頂点に上りつめるまでに、直接接触した経験を持つ人々の記憶である。それには日本人も含まれる。
 私の取材によれば、長崎県のほか沖縄県・静岡県などの自治体の首長や商工関係者には、地方勤務時代の彼と接した経験を持つ人たちが何人もいる。
 たとえば2000年まで那覇市長を務めた親泊康晴(おやどまりこうせい)の回顧録『心 水の如(ごと)く 那覇市政十六年の回想』(沖縄タイムス社・品切れ)では、友好都市である福建省福州市の琉球館の復元にあたり「翌近平」氏からのあいさつが紹介されている。習氏が国家主席となった今なら考えにくい誤字だ。当時、彼はまだ福州市の「無名」の地方幹部だった。

 習氏に会った日本人で、トップに上りつめる直前の彼と、公的な場以外で何度も接していたのが、元駐中国大使の宮本雄二だ。著書『2035年の中国』などによれば、宮本は習氏が浙江省や上海市の指導者だった時期に3回にわたり会食している。さらに09年、次代の指導者就任がほぼ確定した習氏が、国家副主席として訪日した際に、その全過程に同行している。
 宮本は「組織をたばねる度量や胆力」の面で習氏の大きさを覚え、「政治家の力量」を感じたと語る。私が過去に取材した、習氏と友好交流があった各県の元知事たちもやはり、「西郷隆盛みたいな雰囲気」など宮本と近い感想を述べていた。
 一般には見落とされがちだが、習氏が独裁的な権力を握る原動力となった政治力の高さは、よく認識しておきたい。

原点に文革あり

 ほか、習氏の個性を知るうえで重要なのは、彼が党の元老・習仲勲を父に持ち、青少年期に文化大革命を経験していることだ(中国共産党の党史は石川禎浩〈よしひろ〉『中国共産党、その百年』をひもといておきたい)。
 彼は下放先の陝西省の農村で中国共産党に入党し、村の党書記として最初の政治経験を積んでいる。文革は「負の記憶」のみではない可能性が高い。
 文革に肯定的な同時代の中国人の若者の心情を理解するには、西園寺一晃『青春の北京』が良い。1950~60年代の中国で暮らした西園寺は、繰り返される政治運動に共鳴し続け、文革を礼賛する。大衆動員的な政治運動に加わる当事者の熱気と狂気。若き日の習近平もまた、人格形成の原点に同様の快感を覚えた経験を持つだろう。
 広島サミットは、今後の国際情勢の緊張を予感させるものでもあった。日本や西側諸国が対峙(たいじ)する指導者は、極めてタフであり、古いタイプの中国的な人心掌握術に長(た)ける。習近平という巨大な個人に向き合うことで、未来の世界を読み解く。そうしたアプローチも必要となる。=朝日新聞2023年6月10日掲載