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高殿円さんの読んできた本たち 阪神大震災に遭い、新地で働いて知った「表と裏」

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「自転車本屋さんの思い出」

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

高殿:ディック・ブルーナの『うさこちゃんとうみ』ですね。たぶん1歳くらいの頃でしたが、母いわく、私はそれを何百回と読んでいたそうです。私も読んでいた記憶がありますし、絵本の色も憶えています。

 私は本さえ与えておけば大人しくしている子供だったそうです。本が好きというよりも、家に本があることも、読むことも、水を飲むのと同じように自然でした。

 一度「自転車本屋さん」というエッセイを書いたことがあります。播州の田舎に引っ越したら、近所に本屋さんがなかったんです。母が子供に本を与えたいと考える人で、いちばん近い町のおじさんがやっている小さな書店に本の配達を頼んで、週一回本を持ってきてもらっていたんです。祖母の六畳の部屋で、神棚の下に一人で座って本を読んでいた時のゆったりとした空気は今でも憶えています。

――引っ越される前はどちらにいらしたのですか。

高殿:生まれた時は神戸の東垂水でした。神戸の人ならわかると思いますが、うちは祖父も父も母も川崎重工に勤めていたんです。私が生まれ育ったのも川崎重工の社宅で、住人たちとは親戚のようにつきあいがありました。いろいろ作ってくれた手先の器用なおじさんがいたり、よく知らないおじさんのお葬式に行ったりしたこともありましたが、後で母に聞いたらみんな川崎重工の人たちだって。

 母は私が生まれた後に退職して、祖母を引き取ったんですね。祖母は着物を作る人で、その影響か母も手先が器用で、絵を描くのもうまかったんです。退職して書道の先生になるのが母の夢で、それでお教室を作れる広い土地を探して田舎の住宅街に引っ込んだと聞いています。当時はちょっと駅から遠くてもいいから新興住宅地の庭付きの一軒家に住む、みたいなものが流行っていたと思います。

――『うさこちゃんとうみ』のほかに、書店のおじさんはどんな本を持ってきてくれたのでしょう。

高殿:最初のうちは絵本だったと思いますが、途中でおじさんのレパートリーが尽きたのか、よくある「まんが日本の歴史」や、世界の名作や日本の昔話の全集に切り替わりました。今思うと、おじさんも毎週選ぶのが大変だったろうなと思います。

 母の書道教室は本当に生徒さんが多くて、最大で200人くらいいたんです。小さい子にとっては書道というよりお行儀教室なんですね。じっと座って先生を待つ、みたいなことを教えてくれるのが、たぶん、書道教室しかなかったんでしょうね。4歳くらいの子から中学生まで芋洗い式に毎日いろんな人が出入りしていました。家に入ったらすごく墨汁の匂いがするので、途中で増築して教室と自宅のドアを分けたんですよ。教室に入るドアを開けると、そこに私が読んでいた本がずらっと並んでいました。教室待ちをしている生徒がそこで本を借りて読んでいる。だから本は私だけのものじゃなかったんです。あそこで「まんが日本の歴史」を読んだ人はわりと多いんじゃないでしょうか(笑)。途中から私も自分で買った漫画などもその本棚にいれるようになって、我が家はミニ図書館のようでした。

――素晴らしい地域貢献。世界の名作全集などで憶えている作品はありますか。

高殿:「シートン動物記」が好きでした。「狼王ロボ」とか、最後はガス山で老いて死んでしまうクマの話とかが好きでした。あとは「アルプスの少女ハイジ」の原作とか。私の世代の子供の多くはアニメの「世界名作劇場」を見ていたと思いますが、アニメから入って原作を知ることも多かったです。「ロミオの青い空」の原作は『黒い兄弟』っていうんだな、とか。

――本の配達はおいくつの頃まで続いたのでしょう。

高殿:途中からは私が店に本を取りに行くようになったんですけれど、ある時母に「おじちゃん、ちょっと年で店を辞めるらしいから、これでおしまいよ」って言われたんですよね。それがいつだったのかな。確かとてもキリのいいところだった気がします。司馬遼太郎さんの本が終わった時だったかな。

――小学生で司馬遼太郎を読んでいたのですか。

高殿:途中から配達される本が、有名な作家さんの著作に切り替わったんですよね。司馬遼太郎さんの『翔ぶが如く』とか、あのあたりは全部読みました。うちはNHKの大河ドラマを絶対に見る家族だったので、それで司馬遼太郎さんの本を読むようになったのかな。

 話が前後しますが、幼稚園に通っていた頃にNHKで「三国志」の人形劇が始まったんです。幼心に森本レオさんの声がめちゃくちゃ格好いいなと思ったんですが、諸葛亮が自分の死を悟る最終回で、己の死もろとも司馬懿を策略にかけるところが印象的だったのですが、そこがクライマックス。あれ、もうこれで終わっちゃうの? このあと蜀はどうなったの?」って思ってしまって。もっと先を知りたくなったんですよね。小学校1年生の時に、ちょうど大河ドラマで「徳川家康」が始まり、家族で観ていたのを覚えています。それで母が「まんが日本の歴史」だけではなく、もっと深掘りできるものを頼んでくれたのだと。なので、低学年の頃から歴史ものは大好きでした。それと平行して「りぼん」に連載していた『ときめきトゥナイト』にもおおハマりしていました。

――読むのは速いほうだと思いますか。

高殿:読書体験とはちょっと違うのですが、私はたぶん難読症をもっています。ディスレクシアなんですね。なので普段からすごくたくさん本を読むかというとそうでもなくて。というのも、読み方が特殊なんです。

 私、本を開くと真ん中の字から、らせん状に読んでいくタイプなんです。 画像で見て、それを頭の中で映像化して理解する、みたいな感じ。人の本でも自分の本でもそうです。私の本が映像化しやすいと言われるのは、文字をすべていったん頭の中で映像化するからかもしれません。それを毎回やっているとものすごく脳みそが疲れるので、1冊読み終えるとバーンアウトしちゃうんです。なので、一度にたくさん摂取できない。でも1回読むとほぼ内容は憶えてしまいます。

――ほぼ憶えているのはすごい。

高殿:難読症だからかわからないんですが、私、メモをとれないんですよ。授業でもノートがとれなくて、ひたすら怒られていましたし、自分でもコンプレックスでした。母が先生に「娘さんはどうしてノートをとらないんですか」と叱られていたことも憶えています。テストでも、ノートをとらずに憶えられるものしかいい点数をとれませんでした。

 今も、私、取材の時に一切メモをとらないんです。ひたすら全部見て聞いて憶えて、取材の間にすべて取捨選択をしています。

 文字として摂取することは結構ハードルが高くて、なのに昔から本を読んでいるなんて不思議ですよね。母が「あなたは小さい頃からずっと同じ本を読んでいた」と言うんですが、たぶん摂取するのに時間がかかったからだと思います。でも同じ本を何度も読むのは楽しいです。小さい頃から再読は好きです。

――一度読むとほぼ全部憶えてしまうけれど、再読するということですか。

高殿:何回も何回も読むと、また違う旨味があるんです。

 たとえば萩尾望都先生の『トーマの心臓』という漫画があるじゃないですか。小さい頃に読んだ時はあまりよく理解できなかったんです。でも信仰とか、ギムナジウムの文化を知ってからもう一回読んで、なるほどねと思いました。そこから、これがなぜ人気だったのだろうと思いながら読み返す段階や、私だったらどうするだろうなと思って読み直す段階がある。そうやっていろんな角度から切り込んでいって、何回も何回も楽しむんです。1回好きになったものは何回でも好きになれるタイプです。

「あのシリーズにはまって進路を決める」

――小学校生活はいかがでしたか。

高殿:学校生活よりも書道教室のうるささみたいなものを憶えているんですよね。そちらのほうが私の人生の中で大きかったんだと思います。学校の図書室にもよく行っていましたが、本を読むのは当たり前のことだったので、特別な記憶はないというか。それよりも逆上がりができなくて、友達に見てもらいながらずっと練習をしたことなんかを憶えています。マンモス校だったので、とにかく人が多くて、そのなかに紛れていました。

 小学校での記憶といえば、私が5年生のときに父がくも膜下出血で倒れました。その頃は同居していた祖母の介護もあったので、母の負担が大きくなりました。

 当時の嵐のような家庭環境は、いまの自分のベースのひとつになっていると思います。父が倒れたのは豊岡のスキー場だったので、2年父の顔を見ませんでした。その間も母は働かないといけない。母が豊岡で父に張り付いている間は、私は近所の家に預けられて、とにかく肩身が狭く、どこにも居場所がなくて、放課後の校庭でずっと逆上がりの練習をしていました。

 父が倒れると母がこんなにも働かなくてはならないのかとか、父が明日死んだらどうなるかとか、ずっとそういうことと向き合うのが日常でした。その間も母の書道教室は稼働しなきゃいけない。助手の先生が来て、祖母をホームにいれて、お金はなくて、我が家はぐっちゃぐちゃなのに、生徒さんの数はいるのでもうかっていると妬まれたようです。よく頼んでもいない特上の寿司がいやがらせで届いて、商店街中にうちからの注文は受けないでくれと母と頭を下げにいきました。

 経済に対する恐れのようなものを意識し始めたのはこの頃ですね。家のお金のことをずっと気にしていました。よく「高殿さんの小説は数字をきっちり書きますね」と言われますが、ものの値段とか、何故人がリッチになったり貧乏になったりするのかということを丁寧に書くのは、この時期の家庭環境からきているのだと思います。

――あの、差し支えなければ、その後お父さんはどうされたのでしょう...。

高殿:めっちゃ元気です。首の骨も折ったし腰の骨も折ったし、大腿骨の骨を首に移植したし、頭蓋骨の3分の1がプラスチックなんですけれど、生きながらえました。父は胃がんもやっていて病気のデパートのような人なんですが、そういう人って何かあると即病院に行くせいか、今も元気です。左半身はちょっと不自由になってしまったんですけれど、その後も車で一人旅に行って、道の駅とかで温泉に入って、車の中で寝て、みたいなことをやっていました。今は団塊の世代の楽観的なおじいさんです。

――学校で、国語の授業が好きだったとか、そういうこともあまり記憶にない?

高殿:そうですね。あまり勉強ができるとかできないとかも意識しなかったですね。いい意味で田舎だったし、ぼんやりした子だったんです。自分に何ができて何ができないか意識したのは中学校に上がってからでしたね。

――中学時代はいかがでしたか。

高殿:中学は、成績が全部貼りだされる学校だったんです。1年生の時は成績がよかったんですが、早くに自覚する人たちはコツコツ勉強しはじめるから、次第に抜かれていきました。そうなった頃に、2年間会えずにいた父がようやく歩けるようになって帰ってきて、なんと、川崎重工に復職できたんですよ。

 会社に復帰できたのはよかったんですが、田舎から通うのが大変だったので、中学2年生の時に神戸に引っ越しました。そうしたら、神戸の学校は受験戦争がすごくて、みんな当たり前のように進学塾に通っていたんですね。バーンと成績が落ちたんですが、私はヘボい人間なので対抗しようと思わなかったんですよ。なんか、しんどいなと思っちゃったんです。その時たまたま、武庫川女子大学の付属高校が、専願の募集を始めたんです。私が受験戦争に戸惑っているとわかっていた先生が、「専願で受けなさい」って言ったんですよね。

 私は当時、『銀河英雄伝説』にハマっていたので、続きが読みたくて、勉強したくなかったんです。先ほども言いましたが再読が好きなので、本篇10巻を何度も再インストールする体制に入っていたんです。勉強なんて1日もしたくないと思ったんで、先生のその話に飛びつきました。「銀英伝」で人生が変わったとよく人に言っています(笑)。その頃はすごくSFが好きだったように思います。

――「銀英伝」にはまったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

高殿:小学生の頃、ひたすらアニメを流している「アニメだいすき!」という番組があったんです。その頃はガンダムなどロボットアニメの全盛期で、それを見ているうちにSFというものがあるんだなと知ったんですよ。『銀河英雄伝説』も確かアニメのほうを先に見た気がします。先が知りたくて原作に手を伸ばし、近所の書店になかったので隣町まで探しに行き...。手に入れるのに本当に苦労しました。

――では、高校に進んでからは。

高殿:「銀英伝」をたっぷり摂取したあと、SFという手つかずの原野があることに狂喜し、いろんなSFを読みましたね。「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズなんて無限のように長いので本当にお世話になりましたし、「ダーティペア」シリーズも最初はアニメで見て、原作も好きでした。

 高校に進学した後は、そのまま大学にも進めるので受験勉強の必要がないものですから、もう止まらないんですよ。数学の勉強などは捨てて、ひたすら自分の好きなことしかしない子になりました。図書館に住んでいました(笑)。古い全集など、もうあまり流通していない「禁帯出」の本がたくさんあったのでそれを読んでいました。

 初めの頃はそれで名作文学を読んでいたんですけれど、流行りのものも読みました。その頃にいちばん好きだったのは氷室冴子さんです。私の高校時代はコバルト文庫の全盛期で、書店にいくとたくさん並んでいるので手に取りました。氷室さんの『銀の海 金の大地』は日本史をこんなふうに解釈して物語を作れるのだ、ということにすごく感動しました。

 それと、ちょうど『反三国志』が翻訳されたんだったかな、森本レオの声で好きだった「三国志」に違う解釈があるのかっていうことで、狂喜乱舞して読みました。そこから中国文学にはまりました。それが高校3年生から大学にかけてですね。

 漫画は「りぼん」から「花とゆめ」に移行し、友達同士で貸し借りもして、とにかくたくさん読みました。私と年齢が変わらないのにデビューする人たちがいて、この年齢でお金を稼げるんだ、と感じたことを憶えています。だからか、高校のときからみっちりバイトをしていて、交通費も自分で払っていました。ほかはほぼ本や漫画に消えましたね。

――中国文学にはまったというのは。

高殿:漢詩です。韻を揃えるってこんなにきれいで、同じ内容でもこんなに印象が違うんだと思ってはまりました。大学1、2年の頃は大漢和辞典とともに過ごしました。

「シャープの書院、阪神大震災」

――その頃、ご自身では何か書きたいと思っていましたか。

高殿:さきほどノートがとれないという話をしましたが、でも高校1年生の時に、シャープの書院というワープロが出たんです。あれは神様が私に与えてくれたプロメテウスの火だったと思います。文字にアウトプットする手段がそこで得られました。カタカタとキーを押すだけで文章ができるので、はじめて自分も小説が書けるのではないかと気づきました。あれは人生で一番嬉しかった瞬間じゃないですかね。

 私、本当にシャープの書院を愛しています。書院を作った人にインタビューしたいと思うくらい。「ありがとうございます」と伝えたいです。

――買ってもらったのですか。

高殿:そうなんです。シャープの書院は当時流行ってましたし、昔から書道教室のお知らせを作るために家にコピー機があったりしたので、母もワープロに興味を持っていたんだと思います。母に「これが欲しい」と言って買ってもらった時はすごく嬉しくて、無我夢中でなんちゃってSFみたいなものを書いていたので、3日くらい記憶がないくらい(笑)。

 自分がまともな人間になれた気がしたんですよね。本当に嬉しくて嬉しくて、シャープの書院を抱いて寝ていました。ずっと一緒にいました。今まで頭の中の妄想でしかなかったものをアウトプットすることに夢中になりました。

 そうしたら、アウトプットするって、難しいんですよね。てにをはを含めて文章のロジックを学ばなければならないとわかって、それで今まで好きだった小説をもう1回、違う目で読み直して文法の勉強をしました。高校時代はずっとその作業に夢中でした。

 その後、NECのPC9801というパソコンが出て、それを買った時の喜びも憶えています。インターネットは私のようなハンディのある子に光を当てたと思います。テクノロジーは救う人を増やしていく。だから私は、子供にそういうものを与えることはどんどんやっていこうと思います。

――そのまま武庫川女子大学に進学されたわけですよね。

高殿:高校の頃になると要領よくなって、好きな日本史など丸暗記できるものは点数がとれたので、すーっとエスカレーターで上にいけました。

 でも、阪神大震災があったんです。大学1年生の時でした。

 自分の人生で大きかった出来事をふたつ言うとしたら、父が倒れたことと、これから大学で好きなことをするぞという時に阪神大震災で何もかも変わったことですね。本当だったら大学生活ではもっとオタク活動、創作活動をしていたかもしれない。だけど、当たり前のようにきれいで、当たり前のようにある程度豊かだと思っていた神戸がああなってしまって。電車が走ってなかったから学校にも行けないので、尼崎の友達の家に転がり込んで通っていました。

 ただ、神戸で電気が通っていない頃でも、なぜか本だけは読んでいました。それがあったから、あまり落ち込まずにこられたのかもしれない。小さい頃から本を与えられてきたことで、自分の心を癒す方法を知っていたのはものすごくありがたいことかもしれません。

 でも家の経済状況が大変になったので、大学2年生の頃はバイトの鬼になりました。なにが一番稼げるのか考えて、大阪の新地でヘルプとして働きました。当時、神戸が無茶苦茶になって、夜職で働く女の人が増えたんですよね。働いているうちに、性差とか経済格差とか、表と裏みたいなものを考えるようになりました。

 神戸は見渡しても電気が通っていなくて、ブルーシートしか見えない。でも新地はバブルの名残りがあってキラキラしていました。会社のお金で飲みに来て、お金をバンバン落としていくおじさんがいっぱいいたわけですよ。田舎で育った娘っ子には刺激的すぎました。その刺激を吸収しようとしたのは、やっぱり神戸があまりにもしんどかったから。明るいものを見ていたい気持ちがあったと思います。

 私は大阪のキャバレーを舞台にした『グランドシャトー』という本を書いたことがあるんですが、それもやはり、あの時に大阪で働いていたことが大きかったと思います。神戸で働けなくて、大阪で働いているうちに愛着がわいて、あそこを物語にしたいという思いがありました。それも、女同士が男の寵愛を巡って闘うような話でなく、もっと違う切り口で夜職の人たちを肯定的に書きたい、男の目線から切り込んだ物語ではないものを作りたいと思いました。

 なんでもやってみるものですね。あの頃はとにかく、お金のために夜職のバイトをしたり、工場のバイトをしたりしていました。合間合間に当たり前のように本は読んでいたと思うんですけれど、体験から摂取することも多かったです。

――では、学校で何か活動されたりとかは...。

高殿:小説と並行して漫画も描いていたので、漫画研究部にも行きました。いろんなものが好きなオタクの子たちがいっぱいいて楽しかったですね。好きな漫画やアニメや小説やゲームの情報を交換しながら、いろいろ摂取しました。

 ただ、大学には卒業という最終出口があるじゃないですか。私の頃の神戸は、震災直後とバブルがはじけたことによる大・大・大氷河期でした。好きなものに夢中になりながら、就職先なんてあるんだろうかという不安と闘っていた大学時代のようにも思います。

――プロの漫画家か小説家になりたいとは思わなかったのですか。

高殿:漫画研究部で出会った後輩がプロの漫画家さんだったんですよ。本当に漫画がうまかった。その子は、目の中を描くのに1時間かけるんです。「しんどくない?」ってきいたら、「いや、私はこれくらいしないと真似されるから」って。これがプロ意識なんだなと尊敬しました。私にはそこまでの情熱はないから、漫画家にはなれないと思いました。それに、早い人はデジタルで漫画を描くようになっていて、自分がこれまで「漫画を描くにはこうすべき」と思っていたことが覆された時期でもありました。シャープの書院が出た時はテクノロジーに助けられましたが、この時は「これからデジタルを一から学ぶなんて無理」と思いました。

 それに、私は物語を書くほうが好きなんだなとも思ったんですよね。大学4年生の時に、ふたたび小説をアウトプットする喜びを感じた瞬間がありました。

――何があったのですか。

高殿:大学1、2年の時に好きな中国文学は学び尽くして、ひととおり満足してしまい、ゼミはまだやったことない分野に挑戦しようと思いました、それで飛び込んだ近代文学のゼミが、福永武彦の研究でした。短編集や長編、翻訳やミステリなどむさぼるように読んで、どうやったらこんな文章が書けるんだろうと感動しました。私の知らなかった沼がこんなところにあったのかと思って。

 アウトプットのやり方を極めればこんなに素晴らしい文章表現ができるのかと思い、それでまた小説のアウトプットにはまりました。それまではふわっと書いているだけでしたが、ちゃんと一本書き上げることに対する情熱が生まれたんです。

 大学3、4年生くらいの頃にNECのPC9801が出たので、それで卒業論文も書き、ハプスブルグ家の小説も書きました。書き上げた時は脳内からよくわからない汁が出ていましたね(笑)。むちゃくちゃ楽しかったんです。こんなに楽しいことが世の中にあるんだって思うくらい。

――卒業論文のテーマは?

高殿:「芥川賞と直木賞の功罪」についてでした。なぜ福永武彦はこんなに評価されていないのだ、なぜ賞をとれなかったのだと思って芥川賞や直木賞の歴史を調べ、そうしているうちに純文学と大衆文学というカテゴライズはいつ生まれたのかなどの疑問が出てきて、めちゃくちゃ調べるのが面白くなってきたので。卒業論文は2日間で書けてしまったんです。自分は書けるという手応えを感じたし、パソコンがどんどん進化していくなかで、小説を書きやすい環境になっていって、楽しくてしかたなかったですね。

「23歳で小説家デビュー」

――就職はされたのですか。

高殿:私の頃はちょうど2000年問題があって、IT関連の求人だけはたくさんあったんですね。それで私も、大阪の船場のそうした会社に就職しました。

 でも書き上げた2本目の小説を角川学園小説大賞に応募したら、23歳でデビューすることになったんです。

――高殿さんは2000年に学園小説大賞の奨励賞に入選されたんですよね。

高殿:応募した小説は、西欧音楽が禁止された終戦間際の日本の学園ものでした。地下でジャズピアノを弾いている高校生の話です。それをどうしてライトノベルの賞に応募したのかという感じですが、変なやつが来たと思われたのか賞をいただき、でもあまりにもライトノベルではないのでこれでデビューはさせられませんと言われました。

 その時に、「角川ルビー文庫のティーン版の角川ティーンズルビー文庫というレーベルを作るのだけど、まだそこに作家がいないから書きなさい」と言われたんです。私以外の人はみんなスニーカー文庫からデビューしているし、私もスニーカー文庫で『アルスラーン戦記』みたいなものを書かせてもらえると思っていたのに、男の子と男の子がいちゃいちゃするものを書いてくださいと言われてびっくりしました。そこで一から勉強して書いたのが、デビュー作です(『マグダミリア三つの星』)。

――デビューが決まって、すぐ専業になられたのですか。

高殿:そうなんですよ。命知らずでしたが、会社と執筆は両立できないと思いました。大学4年の時に小説を書き終える喜びを知り、もっと書いて形にしたいと思ったタイミングで就職しなければならなかったんです。神戸からは通えないので、はじめはシェアハウスに住んで、自分で生活のことをしながら会社に通わなくてはいけなくて、土日もない仕事で、さすがにしんどかった。なにがしんどいかって、仕事がしんどいというよりは、小説を書くことにノリノリになっているのに書く時間がないということでしたね。当時、ライトノベル作家は3か月に1冊本を出すのが当たり前でしたから、やめないと書けなかったというのもありますね。

 神戸で震災を経験している作家さんと話すと、やはり「明日死ぬかもしれないとしたら、恥ずかしいことなんてない」って言うんですよね。震災を経験した人って、好きなものを好きなだけ摂取して、出し惜しみなくアウトプットして、思い切り活動したいって感じていると思います。私も23歳でデビューしたのは、そういう感覚があったからだと思います。明日死ぬかもしれないから、怖いものなんてないからって、すぱっと会社を辞めました。2年だけ小説家としてがむしゃらにやってみて、芽が出なかったらまた就職して、あとは普通の一般人のオタクとして暮らしていこうと思いました。

――専業になって、執筆に没頭されたわけですね。

高殿:はい。最速で2週間で1冊書いたりしていました。苦しかったことや理不尽だったこともいっぱいありますけれど、とにかく書くことが楽しくてしかたなかったので乗り越えられました。

――その後、角川ティーンズルビー文庫以外のところでも書くようになられて。

高殿:もともと自分がやりたいと思っていたレーベルではないので、レーベルに沿ったものしか書けないのはだんだん窮屈になっていきました。当初ライトノベルは3年奉公と言われていて、年季が明けるまでは他のレーベルでは書いてはいけないという鉄則があったんですね。そこから、ありがたいことに他社でも書けるようになって、そのたびにそこのレーベルの勉強をして書く、という感じでした。違うことがやりたくてたくて他の畑に行き、その畑で収穫できるものを勉強し、作付けをしてある程度収穫できるようになったらまた違う山を切り拓きに行くという、創作の畑の旅をしています。

「旅と読書」

――社会人になってからはどのような読書を?

高殿:うわべだけしか知らなかった横溝正史を読み返したり、昔読んでわからなかった川端康成の『伊豆の踊子』を読み返して、なんて男目線でえぐい話だなって気が付いたりしていましたね。

 その点、今でもパーフェクトな作家だと思っているのはアガサ・クリスティーです。あの時代、あの環境下で、女性としてあんな目線で多岐にわたって書けるのってすごいなと思う。私がいちばん好きなのは小説ではなく『アクナーテン』という戯曲です。エジプト王が出てくる、信仰の話ですね。歴史ものでもこんな完璧な作品が書けるんだと感動しました。で、クリスティーはたしか、高校生の頃に全集を見つけて読んで、それで戯曲も読んだんだったと思います。そこから深掘りして、クリスティーを研究している人の論文まで読んだりしていました。

 そういえばアガサ・クリスティー先生から入って、イギリスの古典小説にひたすらハマった時期がありました。有名な『高慢と偏見』も最初は映画をさらっと観ただけだったんですが、改めて文字で摂取すると、女子の一生ってそんなに結婚がすべてなのか、とか別の切り口が気になって。それでイギリスの階級制度を勉強したくなりました。『嵐が丘』も、文化的背景を知った上で再読すると、ヒースの丘がまた違った意味で受け取れますよね。そうすると、今度はヨーロッパの文化の根っこにあるキリスト教への探究心が生まれて、モーリアックなどフランスの古典文学沼にずぶずぶ入水しました。その後、文章を読むのに疲れたときはマイケル・フレインの戯曲集を読んで、またシカゴ大学の(早い頃からネットに公開していた)論文を読んだりして、気がつくと何か月も経って...みたいな。そういうことをしていると、その土地に行きたくなるんですよ。大学時代はアルバイトしたお金で放浪しました。行くと見えてくるものが全然違って、もう一回読みたくなる。小説を読み、歴史を勉強し、その土地に行き、またその小説を読む、ということがひたすら好きですね。宇宙に行けるようになったらきっとSFを読み返しますね(笑)。

――具体的にはどのような土地に行かれたのですか。

高殿:ヨーロッパはわりと行きました。あとはウズベキスタンとか。というのも、うちの父と母がスパイものが好きで、「007」を当たり前のように摂取する家だったんですよ。イアン・フレミングの原作があると知って読み、映画とは全然違うなと思いました。スパイが一番活動したのは東西冷戦の頃で、一番の敵がソビエトですよね。イギリスはロシア帝国とずっとグレート・ゲームという植民地戦争をやっていたじゃないですか。中央アジアのあたりでスパイ合戦でイギリスが負けたんですよね。それで、イギリスはあたりの土地にコンプレックスを持っている。じゃあなぜ負けたのか知りたいなと思い、一度ウズベキスタンのあたりを周遊したことがあります。スラムを再開発しているエリアに行き、どこの資本が入っているんだろうと気になって見て回ったらサウジ資本。なるほどロシアに対抗するためにイスラムを導入していると考えられなくもない。昔から行われててきたことですが、宗教というものの多様性を感じます。

 読書体験と旅体験って密接ですよね。人が一番はじめにする旅は読書なのかなとも思います。本の中で旅をして、そこから飛び出して実際の旅に行き、旅をしながらも本の中をなぞって、そしてまた本を読むという。

――小説を書く際、毎回取材をされるのですか。

高殿:私はタイプ的に記者で、取材がほぼすべてだと思っています。とにかく体験や情報を集めないと書けない。取材のための営業もまったく気になりません。それよりも好奇心を抑えられないです。なぜなら明日死ぬかもしれないから、恥ずかしいことは何もないので。

 今回のこのインタビューも、お話が来た時は、私は大して読んでないので恥ずかしいと思ったんですけれど、いやいや私は恥知らずでいいやと思って。たくさん読めないんだもん、しょうがないよって。それよりも、私のような変な作家がいてもいいかなって思ってくれる人がいるんじゃないかなって考えました。

――読書は読んでいる冊数ではないですから。一冊の本を丁寧に読んだり、何度も再読するほうが読みが深まっていいなあ、と思いながらお話をうかがっていました。

高殿:本当はもっとたくさん読みたいんですよ。でも読めない自分がもどかしいですね。手の届かない星にずっと手を伸ばしている感じがします。
でも本当に、1冊の本に没頭してしまうんですよね。前にマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を読んだ時に、これはアトウッドの歴史を把握してからじゃないと理解が深まらないと思ってトロント大学にアクセスして論文をずーっと読んで、気づいたら1か月終わってたんですよ。だから本を読み始めると、仕事にならないんです。映画やドラマもそうですね。この脚本家さんがすごいなと思ったら、その人の作品を全部観たいと思いますし。

――ああ、映像作品にもはまることがあるという。

高殿:たとえば、今、韓国ドラマでサイコサスペンスを勉強しているんです。食わず嫌いはよくないから、一回自分で書いてみようと思ったのがきっかけです。サイコサスペンスとして面白いのは韓国のドラマなので、テクニカルの部分を知るために観て、わからない部分は韓国人の友達に聞いたりしています。で、韓国のサイコスリラーはなぜこんなに突出しておもしろいのだろうと思って、今度は韓国の歴史や社会について勉強をしてしまうんですよね。まあ、まだ沼にはまりはじめたばかりなんですが。

「新作ファンタジーと今後の予定」

――新作の『忘らるる物語』は異世界ファンタジーですね。広大な国を統べる国の次期皇帝を選ぶために、候補の王たちのもとを巡らされる"皇后星"の環璃(ワリ)という女性が、触れただけで男を殺せる伝説の民の女性と出会う。2人の数奇な運命が描かれます。

高殿:最初は、ちょっとした脳トレのつもりだったんです。世界のニュースを見ていると、いろいろなことが進歩しているといえども、なぜこんなに性被害が減らないんだろうと思うんですよね。これは本当に、ずっとずっとずっと思っているんです。人間がいい感じに進歩しているなら、前時代の悪いことが淘汰されていいのに、性被害は全然減らない。いったいどんな世界だったら、性被害はなくなるんだろうと思って。

 自分の武器は小説なので、エンタメ小説の中で性被害のない世界をなんとか成立させられないかと思いました。こういう未来になれば、なにかいい世界になるということを証明したかった。絶望したくないから。この小説は、そのもがきの過程です。

――環璃がいろんな治世の国に行くので、いろんな権力構造や国のシステムを面白く読みました。こういう国だったらどうなるのか、と思考実験しながらひとつひとつの舞台を作られていったわけですか。

高殿:そうですね。最初はなぜ女性がこんなに性搾取されないといけないのかという怒りのもとに書き始めたんですが、それを考えるためには、支配の法則を明らかにしないといけないなと気づいたんです。男性が女性を支配することだけでなくて、人が人を支配するシステムを言語してつまびらかにしないといけないんだな、って。それがわかった時、私はやばい箱を開けてしまったと思いましたね(笑)。

 結局、人に搾取された人が、そのストレスを別の誰かにぶつけ、その誰かがまた違う人にストレスをぶつけ...と連鎖していく。そのストレスをなくすためにはどうしたらいいのかとなると、私の手に負える話ではないんですよ。ただ、解決策を提示するというより、私のように解決策を知りたい人にとって、少しでも扉を開ける手伝いができる本になればいいなと思いました。もちろん、ファンタジーなので異国見聞譚として楽しんでもらってもいいですし。私が一冊の本を何度も再読するように、10年後にもう一回読んでもらえたら嬉しいですし、私も10年後くらいに、自分の中でもこれを再構築する時が来るだろうと思っています。

――いま1日のサイクルはどのような状態でしょうか。

高殿:だいたい午前中に家のことをして、午後は執筆をして、一日のノルマである原稿用紙17枚を書いたら自由時間、という感じです。子供が高校生になり、昔みたいに保育園に送り迎えするということもなくなり、だいぶ自分の時間も増えました。それはちょっと寂しくもあるんですが、自分も新しいことをやってみようと思っているところです。

――17枚というのは、ご自身の経験からくる、ちょうどいい枚数なんですか。

高殿:最速の時と比べると半分になりましたね。調子が悪くてもとにかく前に進むという感じで書けるのが17枚くらいで、そのペースでいけば2か月で1冊分書ける計算なんですよね。2か月で1冊書いて1か月かけてブラッシュアップして、3か月に1冊出せるなら、執筆ペーストしてはそんなに遅くないはず。ただ、小説以外の仕事が入っている時は5~6枚でもいいと思っているので、実際は年間2冊くらいのペースですね。

――小説以外の仕事というのは。

高殿:私、これからは地方創生ってもっと盛り上がると思っているんですね。掘れると思っているんですよ。その一番のきっかけは、全然なにもなかった井伊谷が、NHKの大河ドラマで「おんな城主 直虎」が放送されたらものすごい都会になって、バスが増便されるなどして、みんなが幸せになったことですね。それがエンタメの力なんだと思いました。

――高殿さんも『剣と紅 戦国の女領主・井伊直虎』という小説を出されていますよね。

高殿:私が井伊谷にいった時は、本当に何もなかったんです。その土地を宣伝したりする時って、絶対に物語の力が必要だと思うので、自分はそういう必要とされるところに行って物語を掘り起こしたいんです。そうやって人に喜んでもらえる仕事がしたい。

 今は伊豆に温泉が出る家を98万円で買って、神戸と行き来しながらコンクリートを打ったり壁を塗ったりしているんですが、そこは伊豆山の土石流があったところなんですね。小学校がずっと閉鎖になっていて、再開した時にボランティアに行って本を寄贈したらすごく喜んでくださったんです。私は2019年の館山の台風被害の時からずっと本の寄贈活動をしているんですが、行くとみんな本を必要としてくれるし、読んでくれる。でも、ただ本を寄贈するだけじゃなくて、そこにお金が集まるようにしたいんです。お金があれば図書館にしろ書店にしろ何かができる。何もないように見える地方の場所をちゃんと商品化するお手伝いをして関わっていきたい欲があります。それが小説以外の仕事になりますね。

――今後のご予定は。

高殿:「シャーリー・ホームズ」という、シャーロック・ホームズの登場人物が女性になったシリーズを書いておりまして、その新作がおそらく年末に出ます。コロナ禍の間取材に行けなかったので、ちょっとヨーロッパを放浪して取材をしてから書きます。

 その次に、人生初のサイコスリラーを書くことになりました。その連載が今年の末か来年から始まります。「上流階級」シリーズの新作も書かなくてはいけないし、あとはもう一度、「トッカン」シリーズとは別の切り口で税金を書きたいなと思っています。

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