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吉原真里さん「親愛なるレニー」 世界的指揮者と2人の日本人、手紙が描き出す「愛と信念」

吉原真里さん

「見つけてしまった」 日本人2人の思い 応えたバーンスタイン

 この夏、帰国して講演やイベントに走り回り、読者の熱い反応に驚いている。

 「バーンスタインのファンだった、コンサートに行ったというだけでなく、合唱団にいたとかクラシック音楽が好きとか。本を読んでご自身の人生をたどるような思いをなさっている。読む人にとっての物語でもあるんだなと感じます」

 世界的指揮者バーンスタインと2人の日本人の人生が交わっていく様を、手紙を通して描き出したノンフィクション。2人の日本人とは、ずっと理解者だった天野和子さんと、マエストロと激しい恋に落ちた橋本邦彦さんだ。1通1通がバーンスタインへのほとばしる思いに満ち、愛情の軌跡をたどることができる。これを吉原さんが「見つけてしまった」ことが物語の始まりだった。

 10年前の夏、吉原さんは冷戦期の文化政策の日米比較をしようとワシントンのアメリカ議会図書館に行った。そこにはバーンスタインの膨大な資料が集められている。目録の中、多くの手紙を送った日本人2人が目をひいた。知らない名前だ。橋本さんからの1通を読んだ。これは何なんだ……。2日間読みふけった。

 手紙そのものが物語だった。何かの形にしたい。でも、手紙は至極プライベートなもの。丁寧にやりとりをしようと決めた。

 オーストラリアで俳優やプロデューサーとして活躍する橋本さんに会いにいった。バーンスタインのレガシーを後世に伝えられるなら貢献したいという気持ちを明かされた。

 1929年生まれの天野さんは子ども時代にパリでピアノを学んでいたが、戦況の悪化で帰国。海外文化への思いを募らせる中、CIE図書館でバーンスタインのエッセーや録音に触れ、終生のファンになる。ファンレターを送り続けた天野さんは61年、初来日ツアーで夫や子どもと楽屋を訪ねた。優しい「レニーおじさん」に子どもたちはまとわりついた。

 すさまじい勢いで録音やコンサートツアーをする中、橋本さんたちへの返事に心を砕いたバーンスタイン。核兵器廃絶を訴え、85年に広島で平和コンサートを指揮したバーンスタイン。

 今、吉原さんが思うのは「愛の人だった」ということ。「音楽や芸術に対する愛だけでなく、個々の人間に対して、そして人類に対して体に収まりきらない愛をもっていた人。愛と信念をエンジンとして生きた人だったんですね」

 吉原さんはニューヨーク生まれ。一時帰国をへて小学5年生からの2年半ほどをカリフォルニアで暮らした。東大でアメリカ研究を専攻し、アメリカの大学院へ。昨年には、共著で「私たちが声を上げるとき」(集英社新書)を出した。アメリカで#MeTooやBLM運動が広がる原点となった女性たちを紹介する1冊だ。

 アメリカと日本、両国に共通して感じるのは、声を上げることに対して風当たりがまだ強いこと。スポーツ選手やアーティストは口を出さず本分にとどまっていろという風潮だ。「社会に生きる市民なのだから、人間として言うべきことがある。その声をつぶすようなことがあると、声を上げにくくなってしまう。上がった声に対して寄り添うことが大事です」

 3歳からピアノを習い、アマチュアコンクールにも出場する。大学で研究を続けながら、私小説も書き進めている。日本語と英語の二つの言語を生きてきた吉原さんの物語はどんな音色なのだろう。

吉原さん「刊行までの道程も物語」河合隼雄賞授賞式

受賞した吉原真里さん(左)と國分功一郎さん

 第11回河合隼雄物語賞・学芸賞の授賞式が14日、京都市内であり、「親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語」(アルテスパブリッシング)で物語賞を受けた吉原真里さんと、「スピノザ 読む人の肖像」(岩波新書)で学芸賞を受けた哲学者で東大教授、國分功一郎さんがあいさつした。

 物語賞ではノンフィクションが初めて選ばれた。吉原さんは「調査から執筆、本の刊行と私自身の道程も物語です。数々の出会いやチャレンジで私自身も成長した、と思いたい」と話した。

 國分さんの受賞作は17世紀の哲学者スピノザの現代性を解き明かした一冊。國分さんは「哲学というと『考える』という言葉が最初に浮かぶが、私は自分の哲学の中で読むこと、語ることを大切にしてきた。『物語性』を強調した賞をいただけて大きな喜びの中にいます」と話した。=朝日新聞2023年7月19日掲載