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「週末の縄文人」インタビュー 都会のサラリーマン2人組、スーツ姿でゼロから文明を築く

「週末縄文人」の縄さん(右)と文さん=北原千恵美撮影(画像の一部を加工しています)

スタート地点から文明を築きたい

――縄文人のご活動を始めた経緯を教えてください。

縄(じょう):文は映像制作会社の同期で、一緒に旅行に行くような仲でした。僕は大学時代はワンダーフォーゲル部でよく登山をしていたこともあって、山のなかでの生活に憧れがありました。それで、文明の暮らしに必要なものを、自然のなかで自力で作ってみたいと思ったんです。例えば、砂鉄を集めて鉄を作ったり、動物の油から石鹸を作ったりしてみたいなと。それを文に相談すると、元々原始時代に興味があったようで、意気投合して始めることになりました。

文(もん):すごく面白そうだと思いました。ちょうど親族が所有する土地で活動ができそうでした。僕から提案したのは、「人類のスタート地点から文明を築いていきたい」ということでした。僕はどちらかと言うと、技術そのものよりも、昔の人たちがどういう風に世界を見ていたのか、何を感じていたのかに興味がありました。例えば、竪穴住居を再現すること自体が目的なのではなくて、そこでかかる時間や手間を感じてみたい。だから現代の道具は一切使わず、自然のなかにあるものだけを使うことをコンセプトにしました。

縄:火を起こすのにも、ライターやマッチは使いません。摩擦で火を起こす「キリモミ式」という方法では木の枝が必要なんですが、それを切り出す時もナイフは使わずに、自然の中にある石を使うんですね。

文:必要な道具から手作りするので、相当な時間がかかります。でも大変な思いをするからこそ、その道具の画期性がわかる。石斧を作る前は、ハンドアックスという鋭い石で木を切っていました。でもそれでは細い木を切るのにも、数十分もかかるんですよ。しかも手首や肘に負担がかかって痛くなってしまいます。

 石斧を自分たちで作ると、それがたったの10分ほどで切れるようになりました。斧で遠心力を使うというのは、本当にすごい発想だなと。そうした大変さを体で感じられることが、この活動の大きな意味だと思っていて。道具がゼロから生まれる瞬間を体験しているように感じています。

縄:最初にヒモを発明した人は、スティーブ・ジョブズよりも天才なんじゃないかと思いました。「撚り合わせ」といって、2本の束をそれぞれ一方向にねじった後、まとめて反対方向に撚る方法で作ります。撚りが戻ろうとする力が反発しあって、かなりの強度のヒモができるんです。魚を釣るときに力がかかっても、全然切れません。

 どんなものも初めて作るので、試行錯誤だらけです。昔の人たちも同じようなプロセスで悩んだんだろうと思っていました。でもそれを感じられるのは、すごく豊かなことなのではないか。まるで「人類の歴史」という書物を1ページずつ丁寧に読んでいるような感覚でした。

縄文土器は失敗の連続だった

――縄文土器は特に大変だったそうですね。

文:縄文人といえば、やっぱり縄文土器じゃないですか。それは人々の生活を一変させた大発明だと言われています。特に「煮る」ことが可能になって、木の実など食べられる食材が増えました。食料の「貯蔵」も容易になって、食生活が安定し、定住型の豊かな文化が花開いた。

 最初はとにかく作ってみようと思いました。自分たちで粘土質の土を探して、こねることをしていました。それは真冬だったんですが、今振り返ると間違いだったんです。実は縄文土器を作るのにはシーズンがあって、縄文人は春から秋にかけて作っていたと言われています。冬は粘土が凍ってしまって、うまくこねることができないんです。

 当時はまだそのことも知らずに、粘土をこねるために凍りついた小川から水を手ですくってとってきていました。それが本当に人生で一番冷たくて、手がちぎれて凍傷になるかと思うほどで...。だから後に、最初に小さなコップの土器ができた時には、水を手を冷やさずに運べることにめちゃくちゃ感動したんです。コップってすげえな!と。今まで生きていて、初めて感じたことでした。

――何度チャレンジしても、ひびが入ったり、壊れてしまったり……。

文:土器を作る手順や要素の複雑さは相当なものでした。粘土の土の質、こね方、成形の仕方、乾かし方、焼き方……。何が原因でひび割れてしまうのか、理由を特定するのが難しいんです。

 そもそも最初に土の中の根っこや小石を手で取り除く作業だけで、ふるいがないので何日もかかります。ブルーシートもないので、粘土をその辺に置いていたら、風で小石が入ってきたりして。

縄:一番難しかった要素でいえば、天然の粘土では粘りが足りないことでした。市販の粘土のような粘り気がどうしても出ない。2人で工夫をしていろいろな方法を試しても、全然ダメで……。そこでお世話になっている、井戸尻考古館の館長さんと学芸員さんに相談に行ったんです。彼らは何度も野焼き(焚き火で焼く方法)で縄文土器を作ったことがある、いわば縄文人の先輩でした。そして話を聞くと館長さんが「ちょっと教えてあげちゃおうかな」とヒントをくれました。

 それは毎日粘土をこねて保存することを5日間も繰り返して、その後しっかりと寝かせてから成形するということでした。すると「伸びるほどの粘り気が出るよ」と言われて。「いやそんなできるわけないじゃん!」と思いながらも試してみたら、粘り気が出てDNAのような螺旋構造にまでひねることができたんですよ。「これはすごい!」と。縄文人もおそらく同じようなことをやっていたんだと思います。

なぜ、土器は縄文模様になっている?

――何度も失敗するなかで見えてきたことはありますか?

文:縄文土器は縄目の文様がついていますね。実はそれはなぜなのか、はっきりとはわかっていません。乾燥する前に土器の表面に撚ったヒモを転がして文様を施すんですが、それをやりながら僕らなりに考えたのは、土器もヒモのように強くなってほしいという願いを込めたんじゃないか。ヒモは撚った途端に元の繊維と比較すると、めちゃくちゃ強度が上がるんです。縄文中期以降はデザインとして定着していたかもしれませんが、最初期に縄文土器を作った人々はそう感じていたんじゃないかと思います。

縄:また、ある考古学者から聞いたことですが、縄文土器の失敗作はあまり発掘されないそうです。粘土は貴重品なので再利用をしていたんじゃないかと。それを聞いて、すごく理が通るなと思いました。僕たちも何度も失敗して粘土の貴重さがわかっているので、納得できるんですよね。

文:途中まで大きく綺麗にできていた土器があるんですけど、乾燥中にひび割れてしまいました。本当はその幻の土器をそのまま飾っておきたいくらいでした。でも粘土を作ることの大変さを考えて、結局は壊して粘土に戻すことにしました。本当に心臓が痛くなるくらい悲しかったんですけど。

――最後に「縄文人はここがすごい!」と思うところ、そして今後の展望について教えてください。

縄:僕は大学時代によく登山をしていましたが、ある時ふと、山に登って終わりだというのは、めちゃくちゃ浅いなと思って。一方で、里山の木こりさんは、山の植生、土の種類、薬草の種類など、あらゆる自然のことを熟知している。

 同じように、縄文人は本当に誰よりも自然を突き詰めた人たちだと思います。自分たちで衣食住のすべてを自然から生み出せる技術と知識を持っていました。竪穴住居を建てて、衣服を作っていたし、腹痛や生理痛に効く薬まで処方していた。自然にあるものの性質をよく観察して、経験を積み重ねることで、その最適な使い方を知っていました。

 僕はそういう縄文人にたまらなく憧れがあって、少しでも近づきたいと思います。人類の長い歴史のなかで、現代は一番自然から遠のいている。そこでもう一度立ち返って、自然のなかの知識を取り戻していきたい。今後も活動を続けることで、そうした知識を掘り起こせる人を増やせたらと思っています。

(画像の一部を加工しています)

文:縄文人のような狩猟採集の生活では、その日の食料を手に入れるために、かなりのエネルギーと時間を使っていたはずです。そんな暮らしをしながらも、芸術的でクオリティの高い土器や土偶を作っていたのは、本当にすごいことだと思います。土器を作って感性を爆発させられる人を養う余裕が、村にあったということですよね。

 今は人生100年時代だと言われますが、縄文人の平均寿命は三十数歳でした。そんなに短い人生であるにもかかわらず、かなりの技術を身につけていた。岩宿博物館友の会という団体の方に、石器作りについて学んだんですが、その方は30年もの経験がありながら、いまだに作れない石器があると言うんです。当時の縄文人はスピード勝負で、極度の集中力と技術力で作り上げていたんだと思います。

 それは翻って、自分自身の生き方にも関わってくると思っていて。僕はもう30代で彼らの寿命にも近い。これまでゆるゆると生きてきて、彼らみたいに命を燃やせていないんじゃないか。彼らの暮らしはすべての仕事や労力が生きることに直結していましたが、僕たちは普段の生活で一体何を実践できているのか。人の生きがいや生きる意味とは何なのか、突き詰めて考えていきたいと思っています。