1. HOME
  2. インタビュー
  3. 韓国文学
  4. イ・チャンドン監督「鹿川は糞に塗れて」インタビュー 韓国映画の巨匠が「映像の世界への転換点となった」小説集

イ・チャンドン監督「鹿川は糞に塗れて」インタビュー 韓国映画の巨匠が「映像の世界への転換点となった」小説集

イ・チャンドン監督=初沢亜利撮影

ずっと心の中で作家でした

――日本に来たのは何年ぶりですか。

 「バーニング 劇場版」の公開時以来、約5年ぶりです。

――久しぶりに訪れた日本に変化を感じますか。

 いいえ、特に変わったと思うことはないですね。これは日本の良い面かもしれません。韓国は変化が速いので。

――映画を撮る以前に、小説家として創作の世界に足を踏み入れました。小説を書こうと思ったきっかけを教えてください。

 10代の頃からいつも「文章を書かねばならない」と思っていました。韓国では「新春文芸」(各新聞社による文芸賞。年明けに発表され、新人作家の登竜門とされる)などでデビューします。つまり受賞してこそ、作家としての資格が得られるのです。でも私は、そうした場で認められる前からずっと心の中で作家でした。なぜならいつも文章を書いていて、文章で誰かと疎通したいと思っていたからです。

 実際に受賞したのは、1983年の新春文芸でしたが、それはたんなる現実的な通過儀礼にすぎません。文章を書いていたのは、幼い頃から。その背景にあったのは、寂しさでした。現実のなかでいつも疎外されているように感じ、誰かと手をつなぎたい、疎通したいと思っていたのです。

――なぜ「寂しさ」を感じていたのでしょうか。

 おそらく現実的な理由があったと思います。当時は、韓国社会が朝鮮戦争の傷から抜け出そうとしていて、経済的に厳しい時期でした。さらに私の家族は事情があり、何度も引っ越しを繰り返しました。子どもにとって引っ越しは、その町の子どもたちが集まる路地裏に入ることを意味します。新しい環境、新しい子どもたち、新しい世界に適応しなければならない。そんな中、特につらかったのは、脳性麻痺の姉の存在でした。姉をからかう子たちと、私はたえずケンカをしていました。私と近所の子どもたち、そして姉をめぐる世界のなかで、疎外されていると感じざるを得ませんでした。

――子どもの頃の経験は、映画「オアシス」などにも影響を与えているように思えます。そして監督の本には、映画以上に個人的な経験が投影されていて、もしかすると私小説なのではないかという印象を受けました。特に表題作の「鹿川は糞に塗れて」は学校の先生が主人公です。監督も大学卒業後に高校で国語を教えていました。もしかして、小説には監督自身の経験が色濃く描かれているのでしょうか。

 その通りです。一部に投影されています。

――どの部分でしょうか。

 「鹿川は糞に塗れて」で、主任教師が出版社からもらった小切手を教師たちに配り、その会社の教材を使ってくれと促す場面があります。いわば不正ですよね。最近はそういうことはなくなりましたが。

 あとは、少し脚色はしていますが、民主化運動を行っていた弟が手配されて、兄の家に身を隠すというシチュエーションが登場します。実際に、私の友だちで警察に指名手配された人がいて、その友だちが身を寄せるために、私の家に来たことがありました。

 ところが、私が学校で仕事をして帰宅すると、彼が私の家族と、つまり妻と親しくなっている様子を目の当たりにしたのです(笑)。友だちはとても家庭的な人でした。私は(韓国南部の)慶尚道出身で、家族にあたたかく接したりできないタイプ。友だちはよその家に来たから余計に妻に親切にしていたのでしょう。彼と妻が本物の家族のように見えて、妙な気分でしたね(笑)。それがこの小説の設定を思いついたきっかけです。

タイトルに「糞」と入れた訳

――ソウルに実在する鹿川駅のあたりを、インターネットの地図でバーチャル散歩してみました。現在は整然とアパート群が並ぶ郊外の住宅地という印象で、「糞」にまみれていた土地だとは想像がつきません。この小説の着想を得た瞬間について教えてください。

 その部分も実話がもとになっています。1990年代初めにソウルの上渓洞という場所に住んでいました。ソウル市内で大規模なアパート団地が造られたさきがけのひとつが上渓洞団地で、その後さまざまな場所に造られるようになった。いわば、韓国社会が開発を続けながら空間そのものを変化させた時期でした。

 上渓洞の近くに鹿川駅があり、時々鹿川駅に行って電車に乗っていたのですが、一度トイレに行ったとき、小説に出てきたように、糞にまみれていたのです。おそらくそのトイレは、造っただけでそのままになっている、本来は使用できないもので、工事をする人たちは他にトイレがないのでそこで用を足したのでしょう。それがだんだん積もってきて、トイレ全体が糞まみれに……。すごく衝撃的な光景でした。

――小説で「糞」が象徴する意味とは。

 大規模な開発が行われた街にあった糞まみれのトイレは、韓国社会をかなり長い間支配してきた暴力的な論理と結びついているのだと感じました。経済を発展させるためには、政治的な独裁も必要であれば行わなければならないという論理。あるいは、韓国社会の住宅問題を解決するためには、利己的で暴力的な手段を使わなければならないという論理。こうしたことが実際に結びついていたのです。また、韓国社会の問題を解決するためには、経済的なことであれ政治的なことであれ、暴力的な論理を働かせて解決する。このような二面性があったのだと思います。

 アパート団地は短期間で工事が行われ、そんな中で労働者のトイレ問題なんて誰も気に留めず、軽視されていたのかもしれません。でも、それは他の問題と深く結びついている。私は直感的にそう感じ、目の当たりにした光景をもとに小説を書きました。だから、タイトルにもわざと「糞」という単語を入れたのです。

 じつは韓国で出版した時、担当編集者は「タイトルを変えてもいいですか。本として出版するには、ちょっと……」と言いました。でも私は譲歩したくなかった。なぜなら、糞が原点だったから。タイトルが読者にとって暴力的に感じられたとしても、仕方ない。なぜなら、その暴力性に衝撃を受けて小説が生まれたからです。

街は洗練されたけど…

――1992年に出版された小説なので、今とは異なる思いが記されているかもしれません。この作品集が今、日本で出版されてどんな気持ちになりましたか。

 すこし複雑な感じがしました。なぜなら、これはあまりにも昔に書いた小説です。今も書き続けているのならともかく、映画を作るようになって、実のところ映画によって日本語版が出版されることになった本だからです。それは私もわかっています。

 今になって出版されたのは、私が映画監督として活動したことによって、本にも関心を持たれたということでしょう。数年前に中国で翻訳版が出て反応が良かったから、台湾、香港、日本、そしてアメリカでも出版されることになりましたが、映画のために世に出たのだという複雑な思いがあります。

 一方で、今、様々な国で翻訳出版されるということは、時が経っても普遍性があるからかもしれません。80年代、90年代の韓国的な状況のなかで書き、当時の現実にたいする私の悩み、つまり自分の文章と現実がどのような関係なのかという、作家としての本質について悩みつつ書いた本でありながら、韓国以外の国の人たちも普遍性を感じている。そうした点では、ありがたく思っています。

――インタビューの冒頭で監督は「韓国社会は変化が速い」と言いましたが、小説を書いた当時と現在ではどんなところが変わり、どんなところが変わっていないと思いますか。

 表面的にはすごく変わりました。80年代、90年代は、道も汚れているのが当たり前でした。生活空間をセンス良く飾る余裕がなかったのです。とりあえず大きな家を造って、橋を架けて、道を造るという感じで、きれいな橋を架ける、美しい家を造るという余裕がなかった。

 いまは、街や家が洗練されて清潔になり、カッコよくなりました。でも、その変化をもたらした内的な動機は、あまり変わっていないとみています。暴力性が形を変えているだけで、変わっていない。80年代、90年代は政治権力が社会の変化を導いていましたが、今は経済的な論理が支配している。内的なものは変わっていないとみています。

小説を書く日も、きっと来る

――映画と小説の違いとは何だと考えますか。

 メディアとして本質的な違いがあると思います。小説は、それ自体で完成するものではなく、読み手の想像力によって完成されるもの。どのように完成されるかは、読んだ方の想像力にかかっているような気がします。小説は言葉の力を使って書かれるわけですが、読者にたくさん想像させることができれば、立派な文学作品だと言えると私は考えます。

 一方、映画はすべてを見せるもの。観客としては、すべてを見せられたと思いながらも、作品にたいして満足できないこともあるかもしれません。小説を原作にした映画もよく作られていますが、小説を読んで映画を観たときに、映画のほうが不安定だと感じるのは、映画はすべてを見せているようで実は見せていない部分もあるからです。

 映画はスクリーンを通して観客に作品を見せますが、映っている以外のもの、つまりスクリーンの向こうにあるものも感じてもらえるような作品を作りたい。映画の作り手はそうあるべきだと思っています。そうした映画を生み出すにはどうしたらいいのか。私はつねに悩み続けています。

――今後また小説を書きたいという希望や予定はありますか。書くとしたら、どのような小説を考えていますか。

 小説を書かなければいけないと、いつも考えています。社会を見つめる短編小説を書いてみたい。でも、映画もこれからも作れると思っているので……(笑)。小説を書く日も、きっと来ることでしょう。

他の国にはないエネルギー

――作品が様々な国際映画祭で賞を得ているイ・チャンドン監督は、韓国コンテンツを世界に紹介した先がけのひとりです。ドラマや映画が人気ですが、韓国コンテンツの強みは何だと思いますか。

 韓国についての肯定的な話をしなければいけないようですね(笑)。……実際のところ、韓国人たち自身もよくわかっていないのではないでしょうか。韓国のコンテンツの強みは何か。私も正確にはわかりません。でも、他の国にはないエネルギーは感じます。躍動感、ダイナミズム。それがどこから生まれるのかは、おそらく韓国人だけが探すことができるのだと思います。

 韓国人だけが持つダイナミックなエネルギーがあるとすれば、それは何か考えてみる必要があるでしょう。でもそれは、必ずしも良い土台から生まれるものだとは考えていません。なぜなら、映画でも小説でもドラマでも、ストーリーが力を持つときは、激しい葛藤の中から湧き出すからです。つまり、観る人を惹きつける人物やシチュエーションなどが生まれる、韓国ならではの環境がある。その環境に打ち勝とうとするエネルギー、つまり韓国人たちが数十年間、日本の植民地時代、朝鮮戦争、その後の暴力的な開発を経て、生み出してきたエネルギー。それが今のコンテンツを作っているのだと思います。

 日本にも葛藤はあると思いますが、日本は表にあまり出さない社会のように感じます。それに比べると韓国人は葛藤に対して異なる反応を見せる。それがコンテンツを生み出す原動力になっているのではないかと考えます。人生は、葛藤や苦痛を避けることができない。芸術や文化的なコンテンツを生み出すのは、生き抜くためのもう一つの方法なのではないでしょうか。