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「1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀」速水健朗さんインタビュー 「世代論、そもそも答えはない」

速水健朗さん=斎藤大輔撮影

事件と絡むメディアの変遷

 本書の発案は、1973年生まれの速水さん自身ではなく、編集者からだった。

 「1973年は団塊ジュニアのピークで、その世代の目線から見た世代論という企画案は、編集者から持ちかけられたままです。僕も『自分探しが止まらない』という本で世代論を16年前に書いていますのでそれ以来の世代論を書いたということになります。世代と消費みたいなテーマは、自分の書いてきたテーマでもあるんですけど、50年分の現代史を取捨選択しながら書くのはめちゃめちゃ大変でした」

 松本清張が好きで、昭和初期の日本現代史の埋もれた事実に光を当てた『昭和史発掘』(文春文庫)が執筆時の50年前から遡って書いていることを思い出した速水さんは、「ヤバいものを引き受けた」と一瞬思った。しかし、同世代史であれば、物心ついて記憶があるのは80年代以降で、ましてや全てを書くわけではないことに気づき、気を取り直した。

 そこで、速水さんはいくつかのルールを設けることにした。ひとつは自分たちが見てきた印象的な事象を、メディア史と絡めて書くということ。例えば、冒頭に登場する、「ピッカピカの一年生〜」というCM(1978年から放送開始)は、当時はまだ珍しいビデオカメラで撮影されたもの。少人数の撮影が可能だからこそ、子どもたちは自然体のまま、方言でしゃべっていたのだろう。

 また、80年代に大注目を集めた「ロス疑惑」では、メディアで容疑者と名指しされ、後に逮捕された故・三浦和義氏は、妻の殺害容疑においては無罪だったものの、過剰な報道合戦が繰り広げられた。今でいうメディアスクラムだ。1985年の日航機墜落事故では、自衛隊の捜索隊の到着よりも、報道ヘリの方が現場に先着。上空から生中継で現場の様子を伝え、メディアが現実を追い越していく様をありありと見せつけた。

 「当時はまだ小学生で、すごい騒ぎになっていたので知っているけど、実はわかっていなかったことってたくさんあります。調べ直して見ると異常なメディアスクラム事件なんですよね。検察も警察もまともに捜査ができないレベルの出来事でした。ワイドショーの全盛時代でもあって、当時のテレビは、カメラが映し出すものが真実というか、自分たちが現実を作り出すんだっていう意識でつんのめっていたんだと思います」

 「2000年代は、カメラの中の出来事が現実を追い越した時代でもあります。2001年のアメリカ同時多発テロでは、2機目の航空機の追突は、世界中が生中継で目撃しました。時間差で監視カメラの映像なんかでも、その詳細が伝えられる。この直後からリアリティー番組が出てきます。カメラの前の出来事なのか、現実の生活なのか、その境が消滅していくことが当たり前になる時代です」

デジタル移行「すべて忘れてきた世代」

 もう一つのルールは、すでに語り尽くされ、歴史となっている出来事よりも、その前後に埋もれた、まだ語られていないことに着目するということ。例えば、任天堂の「ファミリーコンピュータ」が発売されたのは1983年だが、このことに割かれた行数はそう多くはなく、男の子の趣味の中では、第2の勢力だったファミリーベーシックやMSXなどの「ホビーパソコン」について深く掘り下げている。

 「この本は自分史なのでは? と思われそうですが、ぜんぜんそうじゃない。同世代の視点ではあるけれど、自分の趣味はあまり反映しすぎないようにしています。僕が地方出身で男ということで、じゃあ女の子はどうしていたか? って考えた時、何を選んでもたぶんバランスは悪くなる。重要な事件でみんな知っていることだけど、評価されていないことや、埋もれているところを書きたかったんです。オタク文化について言及がほとんどないのも、みんなが書いてきているから僕はいいやと思ったから。語られすぎているものを語りたくないし、本当に大事なものはその前後にある、という思いが強かったんです」

 80年代以降の出来事に絞ったとはいえ、それでも約40年分はある。さらには、ちょうどこの間に、黒電話からコードレスフォン、ポケベル、ガラケー、スマホという電話の変遷、レコードやラジオのエアチェックからカセット、CD、MD、配信などの音楽フォーマットの激変ぶり、インターネットの普及など、あらゆる分野でアナログからデジタルへの移行やテクノロジーの進化があり、1973年世代は、その変化とともに年齢を重ねてきたことになる。

 「アナログからデジタルという大きな社会変化を経験しているにも関わらず、語り方が難しい。1995年にWindows95が登場して……、ということではなく、日常生活の中で少しずつデジタルが現れ、気づいたら全部デジタルに変わっていたんですよね」

 「テクノロジーは導入されて普及した瞬間に、それ以前の状態のことをすべて忘れてしまうもの。それは記憶しておく必要がないからなのですが、僕らはすべて忘れてきた世代でもあるんです。記憶として雑になったものを、もう一度思い返してディテールを記録していく。自分の脳みそもすっかり忘れて上書きされたものをそもそも間違ったものととらえて、調べ直す。この本を書く上ですごく大変な作業だったし、そこをアピールしたいけど、『あ、知ってる知ってる』って思われてしまって、意外と伝わらない(笑)」

「面白いものを受け入れてきた世代」

 この世代が、「就職超氷河期」「ロスジェネ(ロストジェネレーション)」「お荷物」などと呼ばれるようになったのは2000年代以降であることを、速水さんは本書のまえがきで指摘している。非正規雇用が急増し、少なくない人たちが経済的困難に直面したのは事実ではあるものの、「あ〜、あの世代ね」と紋切り型のネガティブイメージとして語られるのが完全に定着し、当事者であるこの世代の人間も、そのイメージに上書きされてネガティブな空気感に覆われてしまっているところがあるのではないだろうか。

 「その感想は、一番この本を書いたかいがあったなと思います。ロスジェネ以降の世代の語り口が、同じことばかり言うようになって、多様性がなくなっているんですよね。不況と重なり、自己責任を押し付けられ、そういう視点でしか語られなくなってしまった。でもその一方で、僕がコンピューター雑誌の編集者をやっている時に、パソコンやブロードバンド、Macの雑誌などが山ほどあって、IT界隈はすごく盛り上がっていた。社会が目まぐるしく変わり、目の前に面白いものがあり、それを受け入れてきた世代でもあることも、きちんと書かなくてはいけないんじゃないかという気がしたんです」

 本書の最終章は、「人口減少時代と団塊ジュニアの死生観」というタイトルが付けられている。そこで、1973年生まれの柴崎友香さんや、1975年生まれの平野啓一郎さんが発表した、団塊ジュニア世代が主人公の作品を取り上げている。柴崎さんの『わたしがいなかった街で』では、30代半ばの主人公は、「これから子供を生む可能性は低いだろう」という思いを抱いている。平野さんの『本心』では、主人公は、次世代は残すものの、人工授精によって子供を得て、育てることを決意している。

 「どちらも絶望感を出している小説ではなく、絶望を受け止めた上での冷静な小説という印象を受け、団塊ジュニア論として刺さりました。僕自身の本では、本の最後にこの世代はこうなんだみたいな結論を示してません。僕にはあまり答えがない。その代わりに、これらの小説に触れておいたという感じです」

社会が変化しても諦めることもない

 団塊ジュニア世代は、団塊ジュニア“ジュニア”世代を残すことなく、50代に突入していく。

 「かつての団塊世代は50歳以降になると、ちょっとゆとりある暮らしや、歌舞伎やクラシックといった文化度の高い趣味に走ったり、そば打ちや般若心経みたいな落ち着いた趣味がはやったりしたと思うのですが、僕らの世代はたぶんそういった方向には行かない気がします。相変わらず夏フェスに行って、奥田民生とかエレカシとかを見てたり、引き続きSNSとか掲示板で悪口を書き合ったりしているんじゃないですか」

 「状況が目まぐるしく変化するのは、僕たちが20代の頃からそうなので。中身は中学生の頃から何も変わっていないような感じはするものの、鈍感になりすぎてはよくないと思っています。僕自身、書き手としてなるべく敏感でいたいし、ググれば出てくるような話を書くのではなく、新しいモノや視点を見つけていきたいと思っています」

 人はとかく、世代論がつい気になってしまい、結論を求めたくなるもの。しかし、本書は、1973年生まれの当事者はもちろんのこと、その前後の世代も、多少のタイムラグはあるものの、リアルタイムで経験してきたことばかりで、「あー、あの時はあんなことがあった」と振り返る絶好の機会となる。

 また、本書はリトマス試験紙のような側面もあり、「この出来事が自分に大きな影響を与えた」「これはあまり自分には関係なかった」などと、自分を形成してきたものが何かをチェックできるような面白さがある。そして、誰かと話すことで、上書きされて忘れ去られていた記憶が、ありありと呼び覚まされることになるはずだ。

 世代論で結論を知りたい気持ちもよくわかるが、本書は、「ロスジェネ」「お荷物」といった枠にとらわれず、自分の過去の歩みを再構成、再確認する一助になるのではないだろうか。