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「幸福人フー」書評 敬意と感謝で紡ぐふたりの軌跡

評者: 小澤英実 / 朝⽇新聞掲載:2023年10月21日
幸福人フー 僕の妻は「しあわせ」のお手本 著者:坂口恭平 出版社:祥伝社 ジャンル:エッセイ

ISBN: 9784396618117
発売⽇: 2023/09/04
サイズ: 19cm/204p

「幸福人フー」 [著]坂口恭平

 私たちは、パートナーや家族のことを、どれくらいわかっているだろう。本書は、著者が「生まれて初めて出会った、幸福な人」である妻のフーちゃんを対象に、取材と観察と分析をとおして「幸せとは何か」に迫る「研究書」だという。
 とはいえ、額面どおりの中身ではない。作家・建築家・画家・音楽家と多彩な活動で知られる著者は、20代の頃から長く躁鬱(そううつ)病に苦しんできた。震災後に「独立国家」を樹立したり、携帯番号を公開して「死にたい」と思う人の話を聞く「いのっちの電話」を開設したりといった活動の一方、何日も寝込むこともある著者の調子の波を間近で受けつつ、彼のサポートと育児を両立するのは、並大抵のことではない。みえてくるのは、夫の言動を肯定も否定もせず、ただ尊重するというフーちゃんの一貫した姿勢だ。共感し寄り添うのともちがう、手探りで見つけた距離の取り方だろう。
 著者が20年かけて躁鬱とのつきあい方を知る過程は、当事者による得がたい病気の手引にもなっている。著者の描くフーちゃん像は、本人の自己認識とはおそらくだいぶ異なるだろう。そもそも彼女自身が、幸福とはあまり感じないと述べるのだから。フーちゃんは幸福な人というより、著者にとって幸福の青い鳥のような存在なのだろう。
 だから本書は、自分がなりえない他者に対する、敬意と感謝の表現だし、あるものをとことん語ることで、語る本人がみえてくるという意味で一種の自伝でもある。これほどちがう人間どうしが、助け合い、愛し合いながら生活をともにしてきたその軌跡に、幸せとは何かのヒントがある。
 本書には著者の分析に対するフーちゃん自身のコメントもあり、内容のバランスが取れている。「ずっと生きてほしい、ただそう伝えたい」という、末尾に置かれたフーちゃんのひと言にじんとくる。人とかかわるうえで大事なことが詰まった、なんともいい本だ。
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さかぐち・きょうへい 1978年生まれ。著書に『独立国家のつくりかた』『躁鬱大学』『継続するコツ』など。