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佐藤卓己さん「池崎忠孝の明暗」インタビュー 「共感」を追い求めた末に

佐藤卓己さん

 夏目漱石門下の文芸評論家から、日米決戦をあおった軍事評論家へ。衆院議員に当選し、A級戦犯容疑者となった池崎忠孝(ちゅうこう)の数奇な運命に、「メディア議員」という視点から光をあてた。「近代日本メディア議員列伝」の第1回配本である。

 漱石「十弟子」に名を連ね、文芸評論家・赤木桁平(こうへい)の名で健筆を振るい、新聞「萬朝報(よろずちょうほう)」の論説記者も経験した。軍事評論家・池崎として書いた「米国怖るゝに足らず」がベストセラーとなり、メディアの足場をいかして政治家に転身した。

 真珠湾攻撃の日の夕刻、朝日新聞大阪本社主催の講演会で「戦わねばならぬ」と怪気炎をあげた代議士・池崎の姿も紹介されている。戦後、巣鴨プリズンに収監され、釈放されるも失意のうちに他界した。

 その明暗は何に起因するのか。

 「読者の共感を追い求め、世論を反映するメディアをテコに社会を動かそうとした結果です」

 池崎の軍事評論は、海外のデータに基づいて大艦巨砲主義を批判し、「攻めた方が負け」と的確に見通した。一方で、その筆致は勇ましく、当時の強硬論を反映し、読者の溜飲(りゅういん)を下げさせるものだった。

 ときどきの空気や大衆の感情(世論〈せろん〉)に流されず、責任ある公的意見(輿論〈よろん〉)を担うのが本来の政治であり、ジャーナリズムだとすれば、格好の「反面教師」となっている。

 「アクセス数や『いいね』の数といった影響力を求める『メディアの論理』が優先されると、池崎のようなタイプは世論の先読みをする。同じ考えの人たちの共感を得たとしても、世界の動きから取り残される」

 教訓を得るべきは、SNSを駆使する現代の政治家ばかりではないだろう。記者として世論の反応に目をこらす大小の「池崎」たちにとっても、耳の痛い話ではある。(文・小村田義之 写真・槌谷綾二)=朝日新聞2023年10月28日掲載