1. HOME
  2. インタビュー
  3. 作家の読書道
  4. 斜線堂有紀さんの読んできた本たち 小学5年で読む物がなくなり「講談社ノベルズ」がホラーの扉を開く(前編)

斜線堂有紀さんの読んできた本たち 小学5年で読む物がなくなり「講談社ノベルズ」がホラーの扉を開く(前編)

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で

「青い鳥文庫、星新一、海外ファンタジー」

――斜線堂さんは大変な読書家なので、愛読書のほんの一部しかうかがえないかと思いますが...。よろしくおつきあいください。いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしています。

斜線堂:いちばん古い記憶は、こいでやすこ先生の『おなべ おなべ にえたかな』という、原っぱで草を詰んで最終的にタンポポのスープを作るというお話の絵本です。すごく好きで、夜になるとそれを読んでから眠って、幼稚園に行く時も持っていっていた記憶があります。なにがそんなに好きだったのか分からないんですけれど、最後にみんなでタンポポのスープを作る描写にすごく惹かれていました。

――周りに本がたくさんある環境だったのですか。

斜線堂:物心がついてから...幼稚園の年中さんくらいなんですけれど、身体が弱くてすぐ熱を出すようになってしまったので、私の病院通いが始まりまして。当然ながら病院はすごく苦手だったので、毎回断固拒否の姿勢でした。そうしたら「病院に行くたびに本屋さんで何か一冊本を買ってあげるよ」と条件を出されるようになって、そこから読書の習慣が始まったように思います。最初は『ドラえもん』を1冊ずつ買ってもらっていました。『名探偵コナン』もその病院ラインナップのひとつでした。でもそのうち親が漫画だとすぐ読み終えてしまうことに気づいてしまったんです。それで時間稼ぎのために文字の本を読ませようと思ったらしく、子供向けの文字の大きな星新一の本を買い与えてくれたんです。母親はあまり本を読まないんですが、母も星新一だけはずっと読んでいたようです。それが、私が自覚的に読書を始めた理由ですね。

――それまでは能動的な感じでもなかったのですか。

斜線堂:そうなんです。幼稚園の頃からふりがなが振ってあればなんでも読める子供だったので、漫画...それこそ集英社版の<世界の伝記>シリーズなども読んでいたんですが、勢いづいたのは星新一を読み始めた頃でした。こんなに面白いものがあるのかと思いましたね。SF要素があるところが『ドラえもん』の面白さと似ていて、そこからずっと星新一を買ってもらう時期に突入しました。

――学校の国語の授業は好きでしたか。

斜線堂:正直、最初の頃はあまり好きじゃなくて。教科書に載っている話はどれもこれも短すぎると思っていました。先に全部読んでしまっているから授業が退屈でした。

 その頃から、私はとにかく落ち着きがない子供で、授業をちゃんと聞いていることができなくて。小学校2年生の時から脱走癖みたいなのが出ちゃったんですよね。教室から脱走してどこに行くかというと図書室で、それを繰り返して先生が手を焼いて、「もう、そこにいていい」みたいな感じになったんです。なのであんまり好きじゃない授業の時は図書室に行っていました。その時に読んでいたのは桜井信夫先生の『ほんとうにあったこわい話』という〈世界子どもノンフィクション〉のシリーズでした。親から「なんで授業から逃げるの」と訊かれて、「今は〈世界子どもノンフィクション〉を全部読まなきゃいけないから」みたいなことを言って怒られたりしたんですけれど。

『おまえが魔女だ』という、魔女狩りを取り上げた巻があって、それがものすごく好きで。ものすごく怖いんだけれど読んでしまっていました。

――今の斜線堂さんの源泉を感じます(笑)。

斜線堂:そうですね(笑)。〈世界子どもノンフィクション〉シリーズのなにがよかったかというと、載っていた話を休み時間に友達に話すと、すごく受けがよかったんですよ。「なんかさ、ファラオの呪いっていうのがあって、墓を暴いた探検隊が全員死んでるんだよ」などと話をすると、もう低学年の子供はそれだけで結構沸くんです。あの頃はみんな怖い話が大好きだったなと思います。

――語って聞かせるのが好きだったんですね。

斜線堂:そうですね。自分が考えた話でもないのに星新一のお話を語り直して人気を得る、というようなこともしていました。

――自分でお話を空想したり、文章を書いたりとかは。

斜線堂:小学校中学年の頃に、青い鳥文庫にもはまったんですね。ノンフィクションやショートショートとは違う長いお話があることを知り、面白いから自分でも書いてみたいと思いました。それで、自分が編集長という設定で友達を集めて、1冊の自由帳にみんなに小説を書いてもらって、雑誌を編集するようになるんです。月刊誌と週刊誌の2冊作って回し読みしていました。

――斜線堂さんはそこにどんな小説を書いていたのですか。

斜線堂:その時は青い鳥文庫のはやみねかおる先生の〈名探偵夢水清志郎事件ノート〉シリーズにはまっていたので、「自分は探偵ものを書くぞ!」という意志を強く持って女刑事二人が事件を解決するミステリーを連載していました。犯罪現場になった小屋をいったん燃やして新しい小屋を一晩で建ててそこで密室を作るといった、ありえないくらい自由な発想で書いていて、今考えると逆にそれ面白いなって思うんですけれど(笑)。その頃は、自分はめちゃめちゃ天才だと思って友達に読ませていたので、思い出すと「わー!(恥)」って気持ちになります。

――その頃にはもうミステリーには密室ものがあるとか、そういう認識があったのですね。

斜線堂:そうなんですよ。それこそ夢水清志郎のシリーズの『魔女の隠れ里』や『人形は笑わない』でそういう概念を学ぶなりすぐ自分でもやりたくなっていました。今なら密室を成立をさせる理屈をいろいろ考えちゃうんですけれど、その頃は「もうどうしても書きたいからこれでいきます」みたいな感じで書いていました。

 高学年になるとすっかりパソコンが普及していて、当時の小学生は個人で作った掲示板に友達同士で書き込み合う文化だったので、みんな日常のこととかを掲示板上で報告し合うんですよ。あるいはイラストを載せたりとかね。そんな中私は友達の掲示板に延々と小説を書くという、今思うと半分荒らしだろうっていうことをしていました。自分と友達を主人公にしたファンタジーみたいなものを延々と綴ったあのログが残っていたら私は恥ずかしくて死ぬ...。さすがにもう残っていないと思うんですけれど。でも、友達と作っていた月刊誌とかは実家に残っていて、見つけると「わー!(恥)」ってなります。

――ファンタジーを書かれていたということは、読書でももなにかファンタジー作品に触れていたのですか。

斜線堂:ハリー・ポッター全盛期だったんです。小学1年生の時のクリスマスプレゼントがそれこそ『ハリー・ポッターと賢者の石』で、周りもみんなハリー・ポッターを読んでいました。そうしたら小3か小4の頃に『ダレン・シャン』が流行るんですよ。ハリー・ポッターの続刊を待っている子供たちが『ダレン・シャン』シリーズを読むようになって、ブームになっていました。『ハリー・ポッター』や『ダレン・シャン』は漫画に近い立ち位置だったというか。「今週の『ジャンプ』読んだ?」みたいな感じで「ここまで読んだ?」みたいな話をしていました。『ダレン・シャン』は人気がありすぎて図書室でも借りられないので、友達の1人が買ったとなるとそれをみんなで回し読みしていました。ファンタジーの名作を持っていると回し読みの輪に参加できるんです。ある子は『デルトラ・クエスト』、ある子は『ナルニア国ものがたり』みたいな感じで。『指輪物語』はさすがに分厚くてあまり人気がなくて、持っていても輪に入れていなかった。

 やっぱり、私のクラスでは『ダレン・シャン』が一番人気でした。ちょっとグロテスクで怖い世界観だから、「いやーこれを読める自分達は大人だわー」みたいな風潮ができていました。小5の頃に同作者の『デモナータ』が発売されて、これが『ダレン・シャン』から更にグロテスクでハードな世界観で、あまりにショッキングなので読めない子も多くて。読める人はすごい!みたいな枠に入ってしまっていたんですよね。純粋に物語の筋が気になって読んではいましたが、自分の中でも周りに「あれ読んでるんだ...」と言われるのが嬉しかったり。そんな風にダレン・シャン(著者)の作品が本当に好きだったので、自分がファンタジーものを書く時は必ずヴァンパイアの要素を入れていました。ヴァンパイアについては『ダレン・シャン』の設定をそのまま流用していたのを覚えています。『ダレン・シャン』のヴァンパイアってかなり独特な設定なのに...。影響されやすいから『デモナータ』を読んだ後にチェスを勉強したりもしたなあ...。

――その頃はもう将来作家になりたいと思われていたのですか。

斜線堂:そうではなかったです。その頃はすごく目立ちたがりだったので、漫画家か政治家になろうと思っていました。当時は顔が広くて目立つ子が学級委員長になれる時代だったので、授業をさぼりまくる問題児だったくせに学級委員長をやり、結局生徒会長までやっていて、将来作家になろうというよりは、自分はこのまま目立って生きていくぞ、みたいな気持ちでした。今思うと本当になんなんだろうこの子供は、って人生をやり直したくなるくらい恥ずかしいんですけれど。

――内にこもるタイプではなく、わりと人前に出ていくタイプだったんですか。

斜線堂:そうなんですよね。もうとにかく落ち着きがなかったし。じっとしてられないから毎日面白いことを探してました。勉強が嫌いだったから、毎日が退屈で仕方がなくて。落ち着きのない私が唯一静かになる時間が、本を読んでいる時だったんだと思います。

「夕食の時間は映画鑑賞」

――ちなみに生まれ育った街の環境ってどんな感じだったのですか。

斜線堂:生まれたのは秋田県の小さな町で、当時は大きな病院もなかったので皮膚科をメインにやっている病院で生まれたんです。物心ついた頃はあまり周りに人がいない生活を送っていて、でも絵本をいっぱい買い与えてもらっていました。小学校に入る前に埼玉県に引っ越して、いきなり大都会に来たぞとはしゃいでいた思い出があります。私にとっては大きな本屋さんがあることが都会の象徴だったんですよね。親に「好きな本を好きなだけ買ってあげるよ」みたいなことを言われて、なんていいところだ、と思いました。

――漫画もよく読みましたか。

斜線堂:すごく読んでいました。『ドラえもん』が好きだったので藤子・F・不二雄先生のSF短篇集にいって、かの有名な『ミノタウロスの皿』を読み、こんなに面白い漫画があるのかと思い、今度は『ミノタウロスの皿』っぽい物語を書いたりしていました。

 そこから手塚治虫作品にいきました。小学校の図書室になぜか手塚治虫作品が揃っていたんですよね。あれって全国共通なのかな?小学生の頃ってみんな図書室においてある漫画は挙って読むという感じだったので、取り合いのように読み『ブラック・ジャック』ブームが来て。私も『ブラック・ジャック』のセリフを言って遊んでいました。お兄さんが象皮病になってしまった弟の話があるんですが、ブラック・ジャックがお兄さんを手術して助けてあげた後、その男の子の前でドラキュラのふりをして、お兄さんにわざと倒されるっていうごっこ遊びの場面があるんですよ。ブラック・ジャックが「ドラキュラーッ」って牙を剥いてね。親友のお気に入りエピソードなこともあり、なぜかあそこを異常に真似していました。

――本や漫画意外に、何か夢中になっていたものってありますか。ゲームとかスポーツとか...。

斜線堂:私の父親がすごく映画好きで、夕食の時には必ず映画を流す決まりがありました。父はまったく子供に配慮せずに自分の観たいものを観るので、すごく怖い映画ばっかり流すんです。夜になると怖い映画が流れるし、部屋には『マーズ・アタック!』のフィギュアだったり『チャイルド・プレイ』のチャッキー人形だったりが飾ってあったので...まるでお化け屋敷のような家だなって思って震えていました。けれど、小学校高学年になると自分でも映画が好きになってきて、幼稚園や低学年の頃は怖かった映画も自分で観られるようになりました。思い出深いのが「ザ・フライ」という、研究者が人体実験の末に自分が化け物になる映画で、小さい頃観た時はすごく怖かったんですけれど、改めて観たらすごく面白かった。そこから映画をよく観るようになりました。家に父のDVDコレクションがたくさんあって、好きなものを観ていいと言われていたので、ポータブルDVDを買ってもらってからは部屋の隅っこで思うままに観ていました。

――それもホラーや怖い作品が多かったのですか。

斜線堂:そうなんです。最初に自分で能動的に観たのは『シックス・センス』でした。当時のDVDのジャケットがすごくお洒落だったので「これなんだろう」と思って再生したら、すごく怖かったんですけれどヒューマンドラマの要素も濃いし、どんでん返しもあるし、すごく面白くて。思うとこれが初めての映画体験だったのかもしれません。

――ごきょうだいはいらっしゃいますか。本や映画の情報や感想を共有することはあったのかなと思って。

斜線堂:三歳下の弟がいますが、小さい頃は弟も身体が弱くて、親が病院に連れていっている間に私は家で一人、みたいな状況が多かったんです。ついていったら今度は勝手にどこかへ行ってしまいますし。大人になった今は弟ともすごく仲良くて結構いっぱい一緒に遊んでいるんですけれど、その頃はあんまり。私は「この弟という生き物はなんだろう...?」と思って、ペットみたいな感覚でペタペタ触りまくっていました。悪気はないんですけれどあんまり触りすぎて泣かせてしまって、母にものすごく怒られた経験は心に残っています。だからたぶん、親も私を野放しにしちゃ駄目だ、くらいのことは思っていたかもしれません。

――ところで、青い鳥文庫は〈名探偵夢水清志郎事件ノート〉シリーズ以外にはどんなものを読みましたか。

斜線堂:星新一を大人向けのものまで全部読んでしまった後は、読むものに飢えているのに次になにを読めばいいか分からず迷走していた状態だったんです。なので、さしあたって青い鳥文庫の新刊を全部さらうことにしたんです。みんな大好き<パソコン通信探偵団事件ノート>通称パスワードシリーズだったり、眉村卓『ねらわれた学園』だったり、あとは倉橋燿子さんの『いちご』という青春ものはよく憶えています。シャーロック・ホームズも青い鳥文庫のものから読みましたが、文章も硬かったせいかそこまで好きになりませんでした。

「講談社ノベルスとの出合い」

――読むのは速いほうですか。

斜線堂:速いと思います。今も速いんですけれど、子供の頃はスマホとかもなくて他に気が散ることがなかったので、もっと速く読めました。すぐ読んでしまうので、母に「なるべく文字が小さくて分厚い本を選びなさい」と言われていました。

 それで、小学5年生の時に転機が訪れるんです。青い鳥文庫もほぼ読んで、いよいよ読むものがなくなってきたなという時期に、はやみね先生の『少年名探偵 虹北恭助の冒険』で講談社ノベルスの存在に気づくんですよ。たしかサティで映画を観た帰りにはじめて『虹北恭助の冒険』を買ってもらって、青い鳥文庫以外にもはやみねかおる先生の作品があるんだと知り、そこから講談社ノベルスに異常に惹かれる人生が始まるんです。

 虹北恭助がすごく自分のツボだったんですよね。とにかく探偵役が格好いい。私の中で物語上の初恋は間違いなく虹北恭助です。それでシリーズを読みはじめたんですが、当時4冊までしか出ていなくて。この4冊を読み切ったら次はどうしようと思っていた時に、虹北恭助シリーズの巻末広告で大塚英志さんの『多重人格探偵サイコ 雨宮一彦の帰還』の存在を知るんです。この内容紹介がものすごく怖くて。「両手両足を切断され電解質のゼリーに浮かぶ女」とか「脳を養分として育ち咲き乱れる大輪の花」とか書かれてあって、あまりに怖すぎてそのページをカッターで切り取って処分したくらいです。でも、切り取りまでしたくせにどうしても気になって『多重人格探偵サイコ』を読んだんです。そうしたら面白かったんですよ。読むとなぜか怖くなくなるんです。むしろなんて面白いんだと思って、ということは講談社ノベルスには自分が楽しめるものがいっぱい入っているんだろうと思い、はまっていくんです。

――ノベルスではまった作家やシリーズは他になにがありましたか。

斜線堂:私が読み始めた頃はノベルスがメフィスト賞受賞作でにぎわっていて、なかでもいちばん目立っていたのが西尾維新先生の『クビキリサイクル』でした。そこから入って、とりあえずメフィスト賞作家を全部読もうと思いました。

 たしか、汀こるもの先生が『パラダイス・クローズド』でメフィスト賞を受賞された頃かなと思うんですけれど、そのあたりからはリアルタイムで読んでいきました。子供ながらに舞城王太郎先生の『煙か土か食い物』の文体が格好よすぎで書き写しましたし、北山猛邦先生の『『瑠璃城』殺人事件』は本当に好きで物理トリックといえば私の中では北山先生という印象になったし、メフィスト賞作家ってみんな面白いんだと思いました。

 そのなかでいちばん好きだったのが佐藤友哉先生の『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』で、文体にはまったんです。それが小学校を卒業するかしないかの頃で、正直言うと微妙に内容が理解できていなかったんですよね。主人公が復讐のために殺人をしているのは分かるけれど妹さんに何があったのかよく分かっていなかった。でも子供にも分かる文体のお洒落さ格好良さがあったんですよね。鏡稜子さんというキャラクターが出てくるんですが、セリフ回しが格好良すぎて、ノートに書き出して、自分もその通りに口調になるように努力したくらいはまってしまいました。

――言い回しを真似して言っていたんですか。

斜線堂:佐奈が「お兄ちゃんにとっての最大の不幸って何?」と訊いて、僕のテレキャスが壊れる事が最大の不幸かもと返されると、「それじゃあ、ギターが壊れるくらいの覚悟をしておいてね」って言う場面があるんです。このやり取りががやりたくて友達に同じことを訊いていました(笑)。「最悪なことって何?」って聞いて、何か返ってきたら「それくらいの覚悟をしておいてね」って(笑)。なんかもう本当に恥ずかしいですね。

――そして鏡家サーガを読み進め...。

斜線堂:鏡家サーガ全盛期で『水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪』まで出ていて、とにかくセリフに影響されて好きな文章を写経のように書き写していました。後から友達に「あの時こういうこと言ってたよね」と言われるのがもう全部鏡家サーガの中のセリフで、恥ずかしくて死ぬかと思いました。

――そうした文体を真似して自分で小説を書いたりもしたのですか。

斜線堂:そこには至らず。そうではなく、なぜか自分が鏡稜子そのものになろうとしていたという(笑)。その頃はまだ中二病って言葉はなかったんですけれど、小6にして中二病を発症して、「私は鏡稜子...」みたいな感じになっていました。
他にも、殊能将之先生の『ハサミ男』とか、岡崎隼人先生の『少女は踊る暗い腹の中を踊る』などを読み、ちょっとダークなミステリーに惹かれていきました。

――ご自身の中で自分はミステリーが好きだという意識はありましたか。それとも、いろいろ好きなものがある中の一部がミステリーという感じだったのでしょうか。

斜線堂:どちらかというといろいろ好きなものの中にミステリーもあったという感じで、メフィスト賞作品はミステリー的に面白いというよりは、とにかく文体や世界観が格好いいレーベルとしてとらえていました。

「ブックガイドを参考に」

――中学校時代はいかがでしたか。

斜線堂:佐藤友哉先生が作品でよくサリンジャーの引用をされるので、自分もサリンジャーを理解しようと思って、野崎孝先生訳の『ナイン・ストーリーズ』を読んだりして。その頃は村上春樹先生訳のサリンジャーは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』しか出ていなかったんですけれどそれも読み、話も面白いし文体やセリフ回しもなんて洒落ているんだろうと思い、そこから村上春樹翻訳ライブラリーのレイモンド・カーヴァーにいきました。『必要になったら電話をかけて』や『愛について語るときに我々の語ること』を読み、センチメンタルなところや、愛というのはこんなに不確かなものなんだというところにすごく共感して、今度はレイモンド・カーヴァーにはまり倒したんですよね。

 レイモンド・カーヴァーを読み終えたら次はフィッツジェラルドにいって、『グレート・ギャツビー』や『マイ・ロスト・シティー』を読み、私は海外文学の中でもフィッツジェラルドが好きなんだと気づきました。その頃に書いたものは佐藤友哉先生とフィッツジェラルドを混ぜたようなものが出力されていました。

 私がフィッツジェラルドでいちばん好きな話は「残り火」です(『マイ・ロスト・シティー』所収)。仲睦まじい夫婦の夫のほうが植物状態になってしまい、周りが「もう離婚しなよ」みたいなことを言うのだけれど、妻はずっと献身的に介護していて、「私は今のその人が好きなんじゃなくて、思い出を愛している」みたいなことを言うという話なんです。「そこにあるものは、燃え尽きた残り火の中に微かな暖を求める、祈りにも似た想いだった。」という一文がすっごく好きで。その頃はまだエモいという言葉はなかったんですけれど、自分はエモい話が好きなんだと理解していきました。そこから自分の求めるエモさを追求するようになるんです。

――エモさを求めて、どのように本を探していったのでしょうか。

斜線堂:何を読めばいいのか分からなくなったので、まずブックガイドを読もうと思って。それで『桜庭一樹読書日記 少年になり、本を買うのだ。』を手に取るんですね。桜庭一樹先生は作品も大好きで、『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』から入り、『少女には向かない職業』などを読み、どはまりして著作をすべて読み終え、こんなに自分がはまった作家さんだからきっと趣味が似ているだろうと思って、『桜庭一樹読書日記』で紹介されている本を読むようになるんです。

 桜庭先生はものすごい読書家で、海外文学にも造詣が深いんですね。シャーリイ・ジャクスンの『くじ』や『ずっとお城で暮らしてる』を紹介されていて、それを読んで海外文学には自分の心に響くものが結構多いなと気づきました。

 それと、かの有名な二階堂奥歯さんの『八本脚の蝶』という、読書家の女性のブログを書籍化したものも、書かれている言葉にものすごく感銘を受けました。そこからポール・オースターの『孤独の発明』とか、引間徹さんの『ペン』という心を持ったぬいぐるみを巡る話とかを読み、室生犀星先生の『蜜のあわれ』を読んで耽美なものにも惹かれるようになりました。

 それと、「人間の文学」というシリーズが河出書房新社から刊行されていて、手に取ったら全部ちょっとエッチな感じの物語だったんです。最初に手に取ったのがブリジッド・ブローフィの『雪の舞踏会』で、これが仮面舞踏会で出会った男女が一夜の逢瀬をするみたいな話で、中学生でこれを読むのはなにかまずい気がすると思いながらも、愛はエモいな...と思って読んでいました。ナボコフの『ロリータ』とか、そういう作品がラインナップに入っていたシリーズで、今なら確かに「人間の文学」だなって思うんですけれど。

 その頃にいちばん影響を受けたのはシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』です。その時は宗教的な思索としてとらえるというより詩を味わうように読んでいて、この世界観がすごく好きだなと感じていました。よく「隔たり」について書かれているんですけれど、それがなぜかその時の自分にすごく刺さりました。

 その頃、はじめてちゃんと自分のお小遣いで高級な本を買ったんです。これがリチャード・フラナガンの『グールド魚類画帖』でした。これもたしか桜庭一樹先生が紹介されていて、どうしても読みたいと思って手に取りました。

――『グールド魚類画帖』って中学生にとっては高くなかったですか。

斜線堂:高かったんですよ。4000円近くしました。フルカラーで文字にも色がついていて、章ごとに魚の絵が挟まれていて。その本が欲しくて欲しくて、母親に「他にも欲しい本があるだろうから、それは買うのやめたら」みたいなことを言われても「いや、私はこれを買う」と言って買ったので、その頃の自分の文学トピックスとして思い出深いです。

――中学生時代、創作はしていなかったのですか。

斜線堂:あんまりしていなかったですね。読むことに必死だったのと、部活が忙しかったので。休みの日もたっぷり活動があるバレーボール部に入ってしまって、結構疲労困憊していました。運動がすごく嫌いだったので...。

――運動嫌いなのになぜバレーボール部に入ったのですか。

斜線堂:私の親友がバレーボール部に入りたいというので、その子に格好いいと思われたくて同じ部活に入ったんです。その子がとにかく大好きだったので...これで私がレギュラーになったらきっと格好いいと思ってくれるな、というノリで入ったらガチガチの運動部で大変な目に遭いました。

――友達に格好いい姿は見せられたのですか。

斜線堂:本当に運動が嫌だったのに、執念でレギュラーまで上り詰めて、親友に「本当にすごいね」みたいなことを言ってもらえました。でも根が不真面目だしバレーボールにも愛着がなかったので顧問の先生にはすごく嫌われていたんです。私が最後の試合でサーブを入れられなかった時に、顧問の先生に「お前はこのサーブの失敗を一生引きずるんだな」みたいなことを言われました。

――えー、ひどい。

斜線堂:多感な中学生にそんなこと言うな!と思いましたけれど、本当に最後の最後でサーブがネットにぱんってかかったのを、確かに今でも鮮明に憶えています。でもその親友には大人になった今でも一緒に飲みながら「本当にレギュラーになってすごかったね」「スパイク上手かったもんね」って言ってもらえているので、頑張った甲斐はありました。元は取った。

――映画は観続けていましたか。

斜線堂:そうですね。やはり夕食の時に映画は流れていましたし。ただ、父が適当に流しているので、絶対に途中から始まるんですよ。なので気になった映画だけ、後で自分で最初から観る、みたいなことを繰り返していました。

 その頃は「キル・ビル」が好きでした。たぶん観ちゃいけない年齢だったと思うんですけれど、家の車で「キル・ビル」の挿入歌の「怨み節」が流れていて興味を持ち、映画も観てタランティーノ監督ってなんて格好いいんだと思いました。めちゃめちゃ強い女が殺人鬼の男を倒す「デス・プルーフ in グラインドハウス」という娯楽に振り切ったタランティーノ作品がものすごく好きで何度も見ました。ミステリー的な観点でいうとやっぱり「レザボア・ドッグス」は最初は込み入った状況で一体何が起こっているのかと思わせて、ものすごくテクニカルなことをやっていて、なんてよくできた話なんだと思って。最終的には当時はそれがいちばん好きでした。今は「ヘイトフル・エイト」が好き。

――高校に進んでからはいかがでしょう。

斜線堂:その頃になると、村上春樹先生の翻訳ではなく作品そのものを読むようになるんですね。『神の子どもたちはみな踊る』とか、『スプートニクの恋人』を読んで、なんて村上作品は面白いんだろうと思って、そこからマジックリアリズムという言葉を知り、自分が好きなものはこれかもしれないと思い、マジックリアリズム系統の本を好んで読むようになりました。

 相変わらず海外文学にはまっていたので、自分の好きな本を出している出版社のシリーズを片っ端から読むようにもなりました。思い出深いのが、松籟社の「東欧の想像力」シリーズで、ボフミル・フラバルの『あまりに騒がしい孤独』などが好きで、その後『厳重に監視された列車』など「フラバル・コレクション」から出ている作品も読みました。

 同じ出版社から「創造するラテンアメリカ」というシリーズも出ていて、コロンビアの作家、フェルナンド・バジェホの『崖っぷち』などが語り口が面白くて好きでした。

 他にはフラン・オブライエンの『第三の警官』とか、それこそ村上春樹的な現実と幻想の境目にあるような作品にはまって、それと同時にこの頃には『異形コレクション』のシリーズにもはまっていました。それで自分にゴシックな趣味があることに気づき、モーリス・ルヴェルの『地獄の門』を読んだりして。『夜鳥』に収録されている「暗中の接吻」という短篇がすごく好きでした。振られた女が愛した男に硫酸をかけて顔を焼くんですが、男のほうも同じことやり返して、自分たちは永遠に一緒だな、みたいな。そういうブラックな愛情を描いたものに惹かれるようになりました。

「ノンフィクションブーム到来」

――小説以外の、ノンフィクションなども読みましたか。

斜線堂:高校生の頃、自分が好きな海外文学はあらかた読みつくしたなと思った時に、ノンフィクションに走るようになりました。父親の書斎に勝手に入って本棚を漁るようになったんです。

 父親は映画好きなのに小説は一切読まない人なんですよ。ノンフィクションだけに価値を見出しているような人で、書棚にはノンフィクションしか入っていない。それを読むようになりました。あの有名なジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』から入って、たぶん父の趣味なんですけれどタイラー・ハミルトンの『シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕』という、世界一過酷な自転車競技に挑む選手が、周りに絡め取られてドーピングにはまっていく様子を追った本を読んで、ノンフィクションってこんなに面白いのかと思って。そこからはもう、ひたすらノンフィクションを読みました。私の読書傾向として、はまったものはローラーで読む傾向がありますね。

――ノンフィクションといっても、テーマは幅広そうですね。

斜線堂:そうですね。結構自分の中では人類誌ブームみたいなものがありました。フェリペ・フェルナンデス=アルメストの『食べる人類誌 火の発見からファーストフードの蔓延まで』という、どうやって人間が進化してきたかがわかるものとか、ダニエル・T・マックスの『眠れない一族 食人の痕跡と殺人タンパクの謎』という本とか。これはある一族にだけ奇病が発生する謎を追っているんです。その奇病は死の数か月前から眠れなくなるという特徴があって、調べていくと食人習慣があった人たちだけがかかる病気があることが分かる、という。

 事件系のノンフィクションも好きでした。それこそ『FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』みたいな実在の殺人鬼についてのノンフィクションとかも読みました。それと、思い出に残っているのはジョセフ・L・サックスの『「レンブラント」でダーツ遊びとは 文化的遺産と公の権利』という、レンブラントを高いお金で買ったお金持ちはその絵でダーツ遊びをしてもいいのか、いけないとしたらなぜか、みたいなことを延々と考察している本です。傷つけず保存していくことはこういう歴史的意味があるというのを教えてくれる本でした。そうした新しい視点を与えてくれるノンフィクションに惹かれていました。

――ところで、読んだ本の記録や日記はつけていますか。

斜線堂:手書きでノートにつけています。もう15年くらい「ほぼ日手帳」を使っていて、その日読んだ本のタイトルと短い感想を一緒に書いて管理しています。「ほぼ日手帳」の1冊目には、桜庭一樹先生の『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』の表紙をコピーしたものを貼っていました。その時自分が影響されたものが分かりやすいですね(笑)。あの小説は本当に刺さりすぎてコピーしてあちこちに貼るくらいでした。

――高校時代は部活やなにか他の活動はやっていましたか。

斜線堂:高校時代は演劇部に所属してました。演者のほうでしたが、脚本を読むのが好きでした。卒業公演で上演したのが前川麻子さんの「センチメンタル・アマレット・ポジティブ」という脚本で、それがすごく好きで。三人の女の子がいろいろ悩みを抱えて、最後にものすごく明るく心中するという話なんですが、舞台ってハッピーエンドではなくてもいいんだ、というところに影響を受けました。

 あとはバンドもやっていました。私はキーボードとボーカルで、「GO!GO!7188」という、当時流行していたグループのコピーバンドをやっていました。

――じゃあ、小説はあまり書かずに?

斜線堂:はい。でも、高校2年生のくらいの時に、あまりに受験勉強が嫌で小説を書くんです。私は一切勉強をする習慣がなくて、本当に受験勉強から逃げたいと思った末に、学生デビューしたら勉強しなくていいと思って小説をひとつ書きました。それを文藝賞に送ったらすごくいいところまでいったので、自信をつけちゃうんですね。その時に、自分は小説家になろうという思ったんですよ。17歳で小説を書いてこんなとんとん拍子でいくなら簡単にデビューできるだろう、って。

――純文学系の文藝賞というのが意外です。どんな小説だったのですか。

斜線堂:その時は海外文学や純文学ばかり読んでいたので、文藝賞に応募するぞ、という気持ちでした。

 応募したのは、自殺志願者の女がいて、それを少年が拾って風呂場で飼うという話でした。文体が佐藤友哉先生で世界観が桜庭一樹先生、みたいな感じのものでした。今思うと、よくそんなものを通してくれたな、くらいの拙い出来だったんですけれど、自分の好きなものがはっきりしている小説だなっていう。

>【後編】斜線堂有紀さんの読んできた本たち ドイツ語が読めない独文学生時代、将来を悲観して作家を目指すはこちら

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で