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「台湾のアイデンティティ」書評 負の記憶もつ唯一無二の「作品」

評者: 福嶋亮大 / 朝⽇新聞掲載:2023年12月16日
台湾のアイデンティティ 「中国」との相克の戦後史 (文春新書) 著者:家永 真幸 出版社:文藝春秋 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784166614349
発売⽇: 2023/11/17
サイズ: 18cm/261p

「台湾のアイデンティティ」 [著]家永真幸

 台湾は頭をクラクラさせる迷宮である。正式には「中華民国」を国号とし、ある意味で「中国そのもの」でありながら、島固有の歴史と文化に根ざしている。1987年までは抑圧的な戒厳令下にあったが、今や自由と多様性尊重の価値観に導かれている。日本の九州ほどの小ぶりな島なのに、大国のパワーゲームの特異点として最大級の地政学的関心を集める。このめくるめく反転の裏には何があるのだろうか?
 気鋭の台湾研究者である著者は、これらの難問を解きほぐすにあたり、今日の民主的な社会が作られる前に、いかに多くの犠牲があったかを浮かび上がらせた。1949年以降の台湾を統治した蔣介石の国民党政権は、いわゆる「白色テロ」で反体制的な政治運動(左翼から台湾独立派まで)を弾圧したが、特に左翼作家の陳映真の逮捕はシンボリックな意味をもった。近年陳を意識したホラーゲーム『返校』が台湾で社会現象になったが、著者はその「過去を直視する行動をとらないと、前には進めない」仕掛けを、歴史の暗部を引き受けようとする若い世代の決意として高く評価する。
 2000年代以降は国民党と中国共産党が接近する一方、台湾人のアイデンティティ意識が高まり、過去の歴史への評価も変わりつつある。著者は戦時中の日本人技師・八田與一の銅像をめぐるトラブルを、蔣介石の影響力を公共空間から除こうとする与党・民進党の方針とあわせて、台湾の正義や歴史観が移行期にあることの証(あかし)と見なす。
 本書には反体制運動の蹉跌(さてつ)や葛藤が多く描かれるが、それは台湾の存在や意味が自明でないこと、ゆえに望ましい《台湾》と《中国》の像もたえず揺れ動いてきたことの裏返しでもある。著者は、いわば数多(あまた)の傷を包み込んだ唯一無二の作品として台湾を読み解く――その負の記憶の継承こそが、蔡英文総統の言う「中華民国台湾の前途」につながっているからだ。
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いえなが・まさき 1981年生まれ。東京女子大教授。中国政治外交史、現代台湾政治。著書に『中国パンダ外交史』など。