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「ブッタとシッタカブッタ」誕生秘話 「心のマニュアル本」12年ぶり新作、小泉吉宏さんインタビュー

小泉吉宏さん=篠田英美撮影

最初はCMキャラだった

――第1作の「ブッタとシッタカブッタ」が出てからちょうど今年で30年になります。シリーズを始めたきっかけは?

 僕がCMディレクター、コピーライターをやっている頃に、遊びで漫画を描いていたんです。このキャラクターは1980年代に、僕が作ったシャーベットのCMキャラクターとして描いたのが最初でした。「ブタがベストを着るとブタベストです。フルーツがつぶつぶ入りで凍るとシャーベストです」というナレーションとともに、ブタがベストを着て踊る、ダジャレのCMなんですけど。

 その当時、勤めていた広告代理店に内緒で雑誌にイラストも描いていて、ブタをその雑誌にいっぱい登場させていた。いろんなキャラクターをブタで作って、その中に「ブッタ」もいたんですよね。

 それから10年ぐらい経って、「漫画を描いているCMディレクターがいるらしい」という噂を、当時の版元「メディアファクトリー」の人が聞いて、たまたま僕がその会社のCMも作っていた。それで編集と宣伝の担当者が2人で会いに来たのが、この本が生まれるきっかけ。

――そのCM、覚えてます!

 それは嬉しいな(笑)。僕はその会社の、簡単料理レシピやマンガ版家庭の医学、おまじないの方法といったマニュアルの本のシリーズのCMコピーを書いてディレクターもしていたんです。それが「そのシリーズの一冊を書きませんか」という話になった。それとは別に他の出版社から漫画家デビューが決まっていて、ストーリー漫画を描き始めていたんだけど、ストーリー漫画のキャラクターだと合わないので、「そうだ、ブタベストのブタがいる」と思ったんです。

 ブタって便利だったんです。犬や猫だとある程度、性格やキャラクターが見えますよね。ブタってちょっと滑稽に見えちゃうかもしれないけど、性格的に色がついてない気がしたんですね。悩んでる生き物としてピッタリだったのかもしれない。

――当時は「それいけ!! ココロジー」といった心理テストのクイズ番組もあって、心理学が人気でした。

 そう、ちょっとした心理学ブームだったけど、それは新たな思い込みを作るだけで、何の解決にもなっていない気がしていた。「心の運転マニュアル本」とちょっと揶揄した感じで提案したら「面白い」という話になって、ブタベストのキャラクターをシッタカブッタと名付けて、ブッタと対話する「ブッタとシッタカブッタ」が生まれたんです。

 当時は恋愛で悩んでいる人が多くて、いちばん切実だった。じゃあ恋愛でしんどい思いをしているシッタカブッタを前半に描いて、悩みの根本は何だろうと考えていく漫画が生まれた、というのが経緯です。

『ブッタとシッタカブッタ』より

「そのまんまでいいよ」が軸に

――ブッタというキャラが登場するくらいなので、この著者は東洋哲学に詳しい人ではないかと思って読んでいました。

 父の実家が寺でした。僕が生まれたときはもう祖父はこの世にいなかったけど、仏像もそばにあったし、祖母がお経を読むのを見ていた。そういう意味では、寺というものへの馴染みはありましたね。あと幼稚園は臨済宗系で、昼食前に開経偈(かいきょうげ、お経の前に唱える文章)の後に「おとうさまおかあさまありがとうございます。こぼさぬように残さぬようによくかんでいただきます」と唱えていただくということをやっていた。

 あとは大学時代に、古美術研究会という、京都・奈良の神社・仏閣や博物館を巡って、仏教美術を中心に学ぶ会が立ち上がって、その委員長に抜擢されちゃった。「来年は京都・奈良で飲もうぜ」という話からスタートしただけなんですけど、仏教美術を学ぶには仏教の世界観もある程度知らなきゃいけないから、そこではかなり勉強して、世界観にはすごく興味が生まれましたね。

 まあ、勉強しなくても、日本人としてこの土地で生きていると、なんとなく普通に仏教用語も入ってくるし、考え方も身についてくるとは思いますけどね。それにシッタカブッタシリーズには聖書から取ったエピソードもあるし、別に仏教にこだわらないで描いてはいたんですけどね。

――第1作が出てから3年後、シリーズ2作目で大ブームが来ました。

1997年4月6日付朝日新聞(日曜版)に掲載された紹介記事

 そうですね。12万5000部ぐらいはゆっくりゆっくり上った気がするけど、そこから一気に100万部を突破しましたね。「精神科医が待合室に置いている本」として朝日新聞の健康欄に載ったのがきっかけでした。

――当時の反響は覚えていますか。

 下は5歳から上は95歳まで手紙やハガキが来たのを覚えています。出してよかったなと思ったのは、「自殺するのをやめました」と、長いお手紙を書いてきた人が2人いたこと。「宗教団体を辞めることができました」というのも何人かいた。ほぼ同じ時期、別の出版社から『コブタの気持ちもわかってよ』という絵本も出していたので、両方の出版社からはがきのコピーが冊子状態で来るんです。それを1冊6~7時間かけて全部読むという状況でした。

――当時の人の悩みに刺さったということですよね。なぜそんなに受けたと思いますか?

 それは分からない。自分と周囲に起きていることを、できるだけシッタカブッタの目線でいようと心がけてはいたんです。悩みとか、人間の心の成長は、実年齢とは関係ないですからね。僕が楽になったことがベースになって、「同じように考えると楽ですよ」ということは基本にしていました。

『ブッタとシッタカブッタ いのちのオマケ 上』より

――その「楽になったこと」が「そのまんまでいいよ」だったと。

 そう。対症療法を書いてもしょうがないし、それは既にいろんな本があるので、心の悩みの根本は何なんだろうということを常に念頭に置いて書いていました。「こうあるべき」ともがくのではなく、悩む自分も含めてあるがままを受け入れ、身を委ねる。抗いたいときは抗う。それが「そのまんまでいいよ」ということ。

――シリーズは計8作が出て『ブタのみどころ』から12年経ちました。新刊を書いてみようと思ったきっかけは?

 書き尽くしたと思っていたんですけど、前々からひっかかっていたのは「そのまんまでいいよ」という言葉が、「何もしなくていいよ」と勘違いされる言葉でもあるのかもしれないということ。悩みを抱えていた僕自身が「そのまんまでいいんだ」と思ったときに、自分の中には前を向こうという気持ちのエネルギーが常にあった。それが何なのか気がつくと、気づく前の自分に対して笑えることが多かった。自分自身を笑う。じゃあ「笑い」と「エネルギー」をテーマに描いてみようと思いました。

 それとは別に、普段自分が考えていることをメモするような雑誌連載があったんですね。そこには今の時代の僕の考え方が入っているので、描き下ろしにその連載を加えて本が完成しました。

考える本を出す「意地」

――当初のシリーズは恋愛や人間関係の悩みが多かったのが、今作は「人生とは何か」や、「年を重ねると分かる」といったものがあり、内容が変わってきたなとも思います。

 年を取ったんですね(笑)。

『ブッタとシッタカブッタ いのちのオマケ 下』より

――今作は、SNSを巡る承認欲求や宗教についてなど、時代ならではのテーマがあるように思いました。

 書き始めたときと比べて、経験値はあるけれども、ベーシックなものは変わってないですね。「そのまんまでいいよ」、そこにいつも立ち返る。承認欲求だって、顕著になってなかっただけで、みんな昔から持っていたと思うんですよ。リーゼントだって、60年代の学生運動の論争でマウント取ろうとしたのも承認欲求。みんなに知ってもらいたいということは、人をして子孫を残すための基本だから。

――メンタルヘルスという言葉も定着してきた今、この本を出す意義は?

 意義はわからないけど、「意地」と思ったんですよ。客観的な証拠はないけど、考えることをしない人たちは増えてるような気がする。本を読むっていうのは作者との対話ではなく、本と読者の対話だと思うんですね。読み方は人それぞれだし、どう読みとったって読者の自由。僕の本は、「こうしなさい」とは書いてないけど、答えはそれぞれが勝手に思うこと。結果的にそれが「心のマニュアル本」になっている。考えない人たちが増えている気がする中で、考えなきゃいけない本を出すのは意地ですね。

――こんな人に読んでほしい、というのはありますか?

 それはないですね。もともと、自分に対するメモ書きを集めたような感じもあったので、今何を自分が考えているか、確認作業をずっとしながら来ているところはありますね。最初の読者は自分かもしれない。

――ところで、ブッタはシッタカブッタである小泉さんを教え導く存在なのですか?

 両方、僕かな。ブッタとシッタカブッタは一緒なんですね。今回の表紙みたいに。気がついてても、気がついてなくても人は一緒。気がついたら気がついたで、気がついてないのと同じようにしか見えない。

――続きが出そうな感じですか?

 いやあ、宮崎駿さんじゃないけど、これが最後かな(笑)。