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朝日新聞書評委員の「今年の3点」③ 保阪正康さん、前田健太郎さん、三牧聖子さん、山内マリコさん、横尾忠則さん

保阪正康さん(ノンフィクション作家)

①また会う日まで(池澤夏樹著、朝日新聞出版・3960円)
②ラジオと戦争 放送人たちの「報国」(大森淳郎・NHK放送文化研究所著、NHK出版・3960円)
③増補新版 現代語訳 墨夷応接録・英国策論 幕末・維新の一級史料(アーネスト・サトウほか著、森田健司編訳・校註・解説、作品社・3740円)

 ①は著者の大伯父(海軍軍人)の生涯を描いた評伝的小説。近代史に特異な足跡を残した人物を通して画一化された軍人像とは異なる像が浮かび上がる。虚実皮膜の表現が文学の優位性(ノンフィクションや伝記を超える例)を示している。考えさせられる作品だ。
 ②ラジオの発達史は図らずも昭和の戦争史と重なり合う。その実態を身内の意識と絡ませて正直に活写する。放送人の教科書ともいえるように思う。数多くのエピソードは次代への教訓たり得ている。
 ③ペリー来航時に幕府はいかに対抗したかの文書の口語訳がなかった。それゆえ語られていなかったが、それを惜しんだ編訳者の訳文は新たな見方を提示する。サトウ著「英国策論」の訳文もわかりやすい。

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前田健太郎さん(東京大学教授)

①現代ロシア政治(油本真理・溝口修平編、法律文化社・2970円)
②現代日本の新聞と政治(金子智樹著、東京大学出版会・6270円)
③セックスする権利(アミア・スリニヴァサン著、山田文訳、勁草書房・2970円)

 本欄で紹介できなかった政治学の本を三冊。①はロシア専門家による概説書。プーチン大統領に注目が集まりがちな国だが、憲法もあり、選挙も行われてきた。扇情的な話題に走らず、落ち着いた筆致でソ連崩壊からウクライナとの戦争に至る歴史を解説する。②は地方紙の研究。意外に知られていないが、大部分の都道府県には全国紙よりも発行部数が多い地方紙がある。では各紙の主張にはいかなる特徴があるのか。この未知の世界を、本書は膨大な統計データで描く。③は性に関する政治的な問題を描いた話題作。性行為には同意が必要だというが、同意があればそれでよいのか。インターセクショナリティの視点から、人種差別や貧困に苦しむ人々には問題の見え方が大きく異なることを示す。

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三牧聖子さん(同志社大学准教授)

①アメリカ知識人の共産党 理念の国の自画像(中山俊宏著、勁草書房・5170円)
②アメリカ哲学入門(ナンシー・スタンリック著、藤井翔太訳、勁草書房・3630円)
③沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い(岡典子著、新潮選書・1925円)

 ガザで続く戦闘。国連総会では停戦決議が採択されたが、アメリカは停戦に反対し、国内にはイスラエル批判が封殺される言論状況がある。これが「理念の国」か。①が示すように、冷戦期にも、不寛容な反共主義こそアメリカの理念に反していないかと激論があった。この問いを呼び起こすときだ。②はアメリカ哲学史を、定番の思想家--大半はヨーロッパ系白人男性--のみならず、女性や非白人の思想家にも光を当て豊かに描き出す。誰が「哲学者」か。そもそも「哲学的」とは。スリリングな問いを内包した本書にアメリカの知の広がりを見る。③はナチス時代にユダヤ人を救ったドイツ人の群像。人格者ばかりでもなかった彼らの勇気は、争いや不信が満ちた時代に人間への信頼をつなぐ。

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山内マリコさん(小説家)

①ハンチバック(市川沙央著、文芸春秋・1430円)
②ガラスの帽子(ナヴァ・セメル著、樋口範子訳、東宣出版・2420円)
③女性の自立をはばむもの 「主婦」という生き方と新宗教の家族観(いのうえせつこ著、花伝社・1650円)

 それぞれに「今の時代」を写し取った3冊を。
 ①冒頭のコタツ記事から最高に挑発的。ネット界隈(かいわい)に精通した人にしか書けない文体とユーモアセンスで積年の怒りをぶちまけ、重度障害者による当事者文学というフィールドをたった一人で爆誕させていて本当にかっこよかった。「出版界の健常者優位主義(マチズモ)」、おっしゃる通りです。
 ②著者はイスラエル生まれ。戦争で受ける傷の深さをホロコースト第二世代の立場から描いた短編集。遠くの物語と捉えて書評した8月と今とでは、世界が根こそぎ変わってしまった。
 ③長期政権の正体があらゆる角度から暴かれつつある中、長年にわたって新宗教を取材してきた著者の筆が静かに冴えまくってました。フェミニズム入門にも最適な1冊。

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横尾忠則さん(美術家)

①無用の効用(ヌッチョ・オルディネ著、栗原俊秀訳、河出書房新社・2475円)
②無目的 行き当たりばったりの思想(トム・ルッツ著、田畑暁生訳、青土社・2420円)
③未完の天才 南方熊楠(志村真幸著、講談社現代新書・1034円)

 僕は毎年、1年を通じて書評以外の本を読んでいないので、今年も書評を書いた本からあげる。
 ①、②、③の3冊はいずれも僕の生き方を語ってくれているように思う。無用とか、未完とか、無目的とか、一般的には役に立たないようなテーマについて語られる。
 ひと言でいうと、「何もしない」無為な怠け者の考え方というか生き方である。それは僕の芸術をそのまま語っているのである。芸術は何の役にも立たない「無用の長物」である。
 また芸術には目的というものがない。さらに完成というものがない。人生が未完であるように芸術も未完である。
 人のため、世のため、なんて言って行動しているものは全て偽善的に聞こえる。

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>朝日新聞書評委員の「今年の3点」①はこちら

>朝日新聞書評委員の「今年の3点」②はこちら

>朝日新聞書評委員の「今年の3点」④はこちら