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「日本思想史と現在」書評 先入観を覆す東洋と西洋の対話

評者: 前田健太郎 / 朝⽇新聞掲載:2024年03月02日
日本思想史と現在 (筑摩選書) 著者:渡辺 浩 出版社:筑摩書房 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784480017833
発売⽇: 2024/01/18
サイズ: 19cm/323,8p

「日本思想史と現在」 [著]渡辺浩

 日本の政治思想は、自国だけを対象とする内向きの思想だというイメージがあるかもしれない。だが、それは違う。徳川時代の思想史の研究で国際的に知られる著者が発表してきたエッセイや書評を収録する本書では、荻生徂徠(おぎゅう・そらい)からルソーまで内外の思想家が自在に対話する。そこに広がるのは東アジアと西洋の思想が混淆(こんこう)して独自の発展を遂げた多様な思想空間だ。
 本書の特徴は、言葉の意味を突き詰め、その意外な側面を照らし出す手法だろう。例えば、多くの人が誇りに思う「日本」という国号は、自国語ではなく中国語由来だ。また、日本語の「自由」と英語のlibertyは意味が違うにもかかわらず、日本人は「自由民権」や「自由主義」を論じてきた。何とも不思議ではないか。柔らかな文体で、著者は読者の抱く先入観を軽やかに揺さぶる。
 中でも、著者の議論に初めて接する読者は、儒学への理解が大きく変わるはずだ。西洋が啓蒙(けいもう)思想でキリスト教から解放されたのに対して、東アジアは儒学に囚(とら)われたまま停滞したという偏見は今も残る。だが、儒学はキリスト教のような宗教ではなく、世襲身分制を否定するという点では徳川体制を揺るがす思想だった。洋学者の福沢諭吉も、儒学の用語で議論した。日本では、儒学こそが文明開化を準備したのだ。
 他方で著者は、日本の思想的な伝統をただ再評価するわけではない。例えば、女性に「可愛い女」であることを期待し、自己抑制を求める現代日本のジェンダー規範は、実はより深い歴史的な起源をもつのではないか。こう問いかける著者は、男性もジェンダーについて考えることを促す。
 この視野の広い学風は、指導教官の丸山真男に学んだ部分もあるだろう。本書からは、『近世日本社会と宋学』で丸山の学説を覆した著者の、師に対する深い敬意を知ることができる。丸山は、教育者としても実に魅力的だったのだ。
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わたなべ・ひろし 1946年生まれ。東京大名誉教授、法政大名誉教授。著書に『東アジアの王権と思想』など。