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「温泉旅行の近現代」/「戦後政治と温泉」 余暇の地にして転換期の拠点に 朝日新聞書評から

評者: 澤田瞳子 / 朝⽇新聞掲載:2024年03月09日
温泉旅行の近現代 (歴史文化ライブラリー) 著者:高柳 友彦 出版社:吉川弘文館 ジャンル:産業

ISBN: 9784642059824
発売⽇: 2023/11/21
サイズ: 19cm/218p

戦後政治と温泉 箱根、伊豆に出現した濃密な政治空間 著者:原武史 出版社:中央公論新社 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784120057311
発売⽇: 2024/01/10
サイズ: 20cm/301p

「温泉旅行の近現代」 [著]高柳友彦/「戦後政治と温泉」[著]原武史

 年末年始、ゴールデンウィーク……長期休暇のたび、報道では旅客数の多さが取り上げられ、観光地や空港・駅からの中継がテレビに映る。
 『温泉旅行の近現代』は今日の日本人には大変馴染(なじ)み深い温泉旅行の軌跡を追った通史。温泉の歴史をただたどるのではなく、旅行という視座を用いることで、交通・観光・経済活動など、温泉を取り巻く多くの要素をも分析対象としている。
 かつての本邦において、温泉とは療養目的の長期滞在、いわゆる湯治の場であった。しかし明治以降、鉄道を中心とする交通網の発達や、業界ごとの公休日の設定に伴う行楽の一般化といった様々な要素により、温泉は余暇の過ごし方の一つに組み込まれる。長期間の湯治から、短期間の観光・行楽へと、大きな変革を迫られるのである。
 その変化は単純ではなく、様々な浮沈を伴う。たとえば太平洋戦争中には、増加していた観光行楽目的から忘れられつつあった湯治療養目的へと、温泉への眼差(まなざ)しが切り替わる。また戦後、気楽に温泉を楽しむレジャー施設として造られたヘルスセンターは、温泉旅行の更なる多様化の中で衰退する。日本の近現代の歩みと不可分の存在として温泉旅行を切り取り、新型コロナ禍後の未来にまで焦点を据えた親しみ深い歴史書である。
 『温泉旅行の近現代』が主に一般大衆と温泉の関係を描くのに対し、第2次世界大戦直後から1960年代の日本の政治家を温泉の側面から捉えたのが、『戦後政治と温泉』である。
 避暑地である軽井沢や那須にはかつて、政治家を含む多くの名士が別荘を構え、一種のサロン的な空間を作っていた。著者は政治家の日記や回想録、各種の報道などから、同種の場が戦後の一時期、箱根などの温泉地にも置かれていたと指摘する。
 日本の「戦後」を築いた人々、ことに吉田茂や鳩山一郎といった大物たちは、政治の大転換に臨む直前のひと時を温泉地で過ごし、官僚や政治家たちはまるで社寺に参拝する如(ごと)く、その滞在先に足を運んだ。永田町や軽井沢とは異なり、私的な滞在先と捉えられがちな温泉地を「政治空間」と捉える本書は同時に、その空間の早すぎる没落にも筆を及ばせている。
 箱根における吉田茂の滞在先は現在、3軒中2軒までが解体されてマンションや旅館に代わり、岸信介が滞在した高級旅館は某会員制リゾートホテルに、熱海の別邸跡はこれまた某社の保養所になっているという。あまりに短く、それゆえ濃密な温泉政治の存在は、戦後政治史の新たな視座を我々に提示する。
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たかやなぎ・ともひこ 1980年生まれ。一橋大講師。著書に『温泉の経済史』▽はら・たけし 1962年生まれ。放送大教授(日本政治思想史)。著書に『昭和天皇』『滝山コミューン一九七四』など。