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「所有論」書評 この身体も一時的な預かりもの

評者: 福嶋亮大 / 朝⽇新聞掲載:2024年04月06日
所有論 著者:鷲田 清一 出版社:講談社 ジャンル:哲学・思想

ISBN: 9784065342725
発売⽇: 2024/02/01
サイズ: 14×19.5cm/576p

「所有論」 [著]鷲田清一

 モノをもつこと。所有を法的に保証すること。これらは自己を自己たらしめる根源的な営みに思える。他人が私の所有物に無遠慮に手をつけると、それだけで自己の存在が軽んじられた気になる。ならば「モノをもつこと」は「存在すること」と等しいのではないか。そう考えたくなる。
 だが、人間はしばしば「所有に所有される」(ニーチェ)。モノに縛られ、所有の奴隷になる。それはモノが簡単に移転するからだ。私の所有物はすべて、よそから移転してきたものである。この移ろいやすさへの不安ゆえに、人間は我を忘れてモノを囲い込む。そのとき「所有」はむしろ「存在」をおびやかすだろう。
 今や世界はすみずみまで「誰かのもの」として現れているが、それに根拠はあるのか。この問いは法制史だけでは解き明かせない。本書は所有のテーマが近代の法や権利の問題に回収される、そのはるか手前ですべてを考え直そうとする。
 著者は所有権を労働によって基礎づけたジョン・ロックを批判しつつ、レヴィナスの身体性の哲学を評価する。レヴィナスが示すのは、法や権利に守られる前の、弱(もろ)く脆い身体である。それを起点とするとき、所有=存在という等式はもはや自明でなくなる。身体は「自己所有」を成立させる基盤だが、同時にこれほど傷みやすく不安定なものもないからである。
 本書は見晴らしのよい本ではない。難渋をきわめた探究の果てに、プルードンの思想と近年の人類学が認識の転回をもたらす――私の所有物は「意のままに処分できるもの」ではなく、社会や自然から一時的に預かっているものなのだ。この《受託》の思想が、排他的な所有をゆるやかな共有へと解き放つ。これは空疎な理想論ではない。例えば、病気や老いは、自己の身体=所有物を大切な預かり物に変えるだろう。要は、誰もが意識せずやっていることに、著者は新しい哲学的な意味を与えたのである。
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わしだ・きよかず 1949年生まれ。「臨床哲学」を掲げる哲学者。著書に『モードの迷宮』『「聴く」ことの力』など。