夢枕獏さん「隠態の家」 伝奇小説をつきつめると縄文時代にたどり着く
――『隠態の家』は久しぶりの短編集です。前作の短編集『ものいふ髑髏(どくろ)』が2001年刊ですから、実に24年ぶりですね。
そんなになりますか。このところ短編はほぼ『陰陽師』しか書いていないから、シリーズものでない短編はたまるまで時間がかかるんですよ。先日部屋を片づけていたら短編を寄稿した雑誌が出てきて、そういえば他にも書いているなと記憶をたぐったら、すでに一冊分たまっていた。それで編集者にお声がけしたというわけです。怪談あり、空手あり、ショートショートありで、いかにも僕が書きそうな話ばかりですよね。
――9編の中で一番古いのが、2004年に書かれた「伊右衛門地獄噺」。鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の世界を、悪役である民谷伊右衛門の視点から語ったものです。
江戸怪談のおどろおどろしさって好きなんです。平安時代の『今昔物語』などにも化け物の話は多いけど、読む人をぞっとさせてやろうという企みはあまりない。そういう意識が生まれてくるのは江戸時代からじゃないですか。『東海道四谷怪談』なんて明らかに読者を怖がらせてやるという意図がある。お岩さんが髪の毛を梳いたら毛が抜けるとか、鼠が現れて赤ちゃんを連れ去っていくとか、ものすごい場面がありますから。それを伊右衛門の側から書いてみた作品で、これは朗読しても面白いと思うんですけどね。
――代表作の『陰陽師』をはじめ、古典に材をとった作品を書かれることが多いですね。
好きなんでしょうね。朝ドラで話題の小泉八雲に「茶碗の中」という短い話があるでしょう。あれは八雲が意図して書いているんだけど、幽霊話がいいところでぶつっと終わっている。ああいうものを読むと、続きを書いてみたいなと思ったりね。芥川龍之介にも「邪宗門」という怪しげな宗教者と対決する話があって、いかにも面白そうなんだけど、途中で終わっているんですよ。この続きはどうなるんだろうなあとか、古典や近代文学を読むといろんなイメージが湧いてきますよ。
――巻頭作の「踊るお人形」はコナン・ドイルのシャーロック・ホームズものを下敷きにしたもの。明治時代、東京の夏目漱石の自宅にイギリスからホームズが訪ねてくる、という愉快なミステリーです。
漱石がイギリス留学していた時期は、ちょうどホームズの活躍と重なっているので、イギリスで友人になっていてもおかしくはない。このアイデアを最初に使ったのは山田風太郎さんですね。「踊るお人形」はもともと白石加代子さんの朗読劇『百物語』のために書いた作品なんです。白石さんって怖がらせるのもお上手ですけど、笑わせるのも抜群に上手なんですよ。だから不気味な殺人事件を描きつつ、どこか愛嬌のある話になっている。カヨちゃんという語り手も白石さんをイメージして書いています。
――獏さんの文章はリズムが心地よく、朗読にぴったりだと思います。
音読した時のリズムは、意識して書いている方だと思います。特に「踊るお人形」は白石さんの声や口調を明確に意識しましたね。ホームズの推理はことごとく外れているんだけど、結果として事件は解決する(笑)。こういう滑稽味は白石さんだからこそ思い浮かんだものだと思います。
――「仰向けに這う老人」というわずか3ページの作品もあります。喫茶店で仕事をしていたら、テーブルの端にもぞもぞと動くものが……。こういう不条理なホラーもたまにお書きになりますよね。
思いつくと書きたくなるんです。長編は努力して考えないと書けないんだけど、この手のショートショートはネタが浮かんだら、それを掴まえて書けばいい。答えを出さなくていいから、書いていて楽しいんですよ。こういう短い作品ばかり集めた本を、別のペンネームでも出しているんです(九星鳴〈いちじくせいめい〉名義の『K体掌説』)。10行くらいの、ショートショートより短い作品がたくさん入っている。出版社は「夢枕のペンネームで出しませんか」と言ってきたけど、いや、謎の新人作家として出させてもらいました。
――「空飛円盤夢始末(とんでころんでゆめのあとさき)」は小田原のスナックに集う若者たちが、UFO観測に出かけるという物語。獏さんの若い頃の体験談でしょうか。
そうそう、一部実話です。若い頃、小田原に仲間が集まるスナックがあって、そこで売れない原稿を書いたりしていたんですよ。店にたまっているのは音楽家とか詩人とか、自称芸術家みたいな連中で、みんなで何度かUFOを見に行ったことがあるんです。国府津の山の上空に赤い光が出るというんだけど、あれ厚木基地のヘリじゃないかとぼくは思ってた(笑)。お店がなくなって次第にそのメンバーとの会わなくなり、何人かは亡くなりました。そういう時代のことを思い出しながら、書いた作品です。
――「法華悟空」はイラストレーター・寺田克也さんとのコラボで生まれた作品だそうですね。
寺田克也さんが小説の活字そのものをデザインしたものをやりたいって。そういう楽しい挑戦は、できるだけ受けることにしています。先を考えず書き出しましたけど、孫悟空が法華経の中に囚われるという発端から、思いも寄らぬ方向に展開していきました。この作品はつい先日、ジャズピアニストのスガダイローさんのライブで朗読をしたんです。前々から一緒にやりましょうと話していたんだけど、彼は最近『西遊記』に凝っているらしくて、じゃあぴったりの作品があるよと。彼らの曲に合わせてステージ上で小説を書いて、朗読するという企画も大成功で、とても楽しかった。絵や音楽からの刺激でイメージが膨らむということも多いですよ。
――表題作の「隠態の家」は怪異の起こる屋敷に、傀儡屋・多々良陣内が招かれるというホラー味の強い作品。
多々良陣内は長年連載している『闇狩り師 摩多羅神』というシリーズに今は出ているキャラクターなんです。最初に出たこの「陰態の家」では単体で登場しています。
――事件の鍵となるのは縄文時代の呪い。古代のマジカルな力が、現代の事件に関わってくるという設定がユニークですね。
僕が書いている伝奇小説と呼ばれるジャンルは、つきつめてゆくと日本人はどんな神様を信仰し、何を畏れていたかという問題を扱うことになるんです。そのテーマを追いかけていくと、江戸時代から平安時代にさかのぼり、最終的には縄文時代に行き着いてしまう。でも縄文時代の信仰って、誰にも分からないんです。縄文時代の神話をでっちあげても、確たる証拠がないから、お手軽なファンタジーにしかならない。それで「陰態の家」では現代の事件に縄文的な要素を紛れ込ませる、というやり方をしていたんです。ただ今はこの頃と考えが変わってきまして。
――と言いますと?
今、「オール読物」で〈おくのほそみち〉という短編シリーズを連載しているんですが、これはいつとも分からない時代を、葩瞧(ばしょう)という男が旅をして、行く先々で神様と出会って俳句を詠むという話なんです。ホラーともファンタジーともつかない奇妙な話なんだけど、読む人が読むと「これは縄文のことを書いているんじゃないか」と分かるようになっている。しかも、物語に答えがない話を書いている。こういうやり方なら自分なりの縄文小説が書けるという発見をしたわけです。「陰態の家」の頃から同じようなことを、手を替え品を替えてやり続けている。これほどしつこい作家はあまりいないんじゃないかと。
――今も並行して多くの作品を書かれていますが、短編一本書くのにどのくらいの時間がかかりますか。
以前はアイデアがあれば一晩で書けたけど、今はもう無理だね。長時間、机に向かっていると、脳みそがかさかさしてきてね(笑)。年齢とともに体力は落ちていますよね。編集者や校閲に指摘されて気づくミスも増えたし、昔は目をつぶってでもできたことが、徐々にできなくなっている。これは仕方のないことで、脳も体と同じように衰えると思うんですよ。100メートルを10秒弱で走れたカール・ルイスが、中高年になっても同じタイムを出せるかというと、それは無理でしょう。作家も同じだと思う。
――アイデア満載の『陰態の家』を読んでいると、とてもそんな気はしませんが。
あれはかなり前に書いたものですね。成功例をくり返すのは、年を取ってもできるんですよ。でもそれだけじゃ面白くないんだよね。ここは新しい表現を探りたいという場面に差しかかると、昔より時間がかかります。そういう衰えを見せていくのも、作家のひとつのあり方じゃないかと思うんですよ。さすがにもう100メートルを10秒では走れない。15秒、20秒はかかります。その分、色んなテクニックも覚えてくるんでね、74歳なりの全力疾走が見せられたらいいなと思っています。
――獏さんの作品には初期の『悪夢喰らい』から代表作『陰陽師』まで、恐怖や怪異を扱ったものが多いですね。怖い話の魅力とは、どこにあるとお考えですか。
あまりちゃんと考えたことはないけど、怖い話って気持ちの深いところまで届いて、心を揺らすんだよね。化け物が出てくる話というのは、表面的には食われて死んじゃうとか、そういう肉体的な恐怖を扱っているわけだけど、その背後にはもっと根源的な感情、たとえば自分や他人に対する怖さみたいなものが横たわっていると思います。だから好奇心をそそるし、いつの時代も廃れないんじゃないでしょうか。
――書き手としてはどうでしょう。
書く方の立場からすると、怖い話は楽しいんです。答えのない物語を書けるから。推理小説で犯人が分からないって普通はありえないじゃないですか。でも怪談だったらそれが成立する。色んなことが許されるジャンルなんだよね。挑戦もできるし、迷っている時に怪談を書くと、自分はこういう方面に関心があるのかと見えてくる。新しいドアを開けてくれるんです。
――今年2月には大長編『キマイラ』シリーズの完結編にあたる『キマイラ 聖獣変』が、途中巻を飛ばす形で刊行されて話題を呼びました。その他のシリーズも完結に向かっていくのでしょうか。
そのつもりです。長年描き続けているシリーズものがざっと10本あるんですけど、再来年のデビュー50周年に合わせて『キマイラ』『餓狼伝』『陰陽師』以外はすべて完結させたいなと。多々良陣内が出てくる『闇狩り師 摩多羅』も完結させるつもりですよ。これは全2巻くらいかなあ。再来年あたりから、分厚い新刊がごんごんと20冊くらい続けて出ることになると思います。
――それは楽しみですが、シリーズ作品を完結させる理由とは。
新しいのを書きたいんだよね。書きたい小説がまだいっぱいあるんです。そのために今あるシリーズを無理に終わらせるんじゃつまらないから、きっちりと満足のいく形で完結させたい。健康なら80歳を過ぎても書き続けられるんじゃないかなと思っています。