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映画って、実は読書に似ている。観て、読んで楽しめる書店員オススメの4冊

映画館と観客の文化史

読むことと観ること

 映画史の本は数多くあるが、その多くは映画「作家」や「作品」の歴史を扱っている。 本書はそれらとは異なり、映画を成立させるうえで欠かせない「映画館」と「観客」に焦点を当てた画期的な一冊だ。

 「映画は大勢が同じ空間で静かに観るもの」という思い込みがある。しかし初期の鑑賞装置「キネトスコープ」は、一人が箱をのぞき込む形式だった。映画はもともと「ひとりで楽しむもの」として始まったのである。 またドライブインシアターは多くの人が集う場でありながら、鑑賞は車内という閉じた空間で行われた。VHSやDVD、そしてサブスクの時代を経たいま、再び映画は「個人的な体験」へと回帰している。 映画を観るとは何か――その問いを根底から見直させてくれる一冊。(CAVA BOOKS・宮迫憲彦)

砂の器 映画の魔性―監督野村芳太郎と松本清張映画

秘蔵資料で明かされる名作誕生の秘密

 松本清張の傑作をもとにした野村芳太郎監督の映画「砂の器」。 樋口尚文『砂の器 映画の魔性』は、この作品がいかにして日本映画史上屈指の“感情のドラマ”として結実したのかを探る批評的ドキュメントである。橋本忍による脚本の改変、映像構成、演技、そして芥川也寸志による音楽——それぞれが観客の情動を呼び覚まし、言葉を介さずに心へ訴えかける仕組みを本書は精緻に読み解く。 とりわけクライマックスの「宿命」の旋律に乗せて描かれる父子の再会は、理屈を超えて涙を誘う映画的体験として語り継がれてきた。 文学と映画、その交わる地点に生まれた表現の力を見つめ直す一冊。(宮迫憲彦)

「有難う」(清水宏監督「有りがたうさん」)

植民地支配のいびつさとの出会い

 港の村から峠を二つ越えた汽車の駅がある町へ走る乗合バス。人力車や馬車、大八車を追い抜かすたびに「ありがとう。」と声をかけることから「有難うさん」と仇名される運転手がいる。彼の運転するバスに村の母娘が乗っている。娘はこれから町へ売られに行くのである。

 「今年は柿の豊年で山の秋が美しい。」という一文から始まる、乗り合いバスの一日を描いた川端康成の掌編「有難う」。原稿用紙4枚ほどの物語を76分の映画にするに当たって清水宏は、原作にはない様々なエピソードを加えた。その一つが、峠の道路工事を終え遠く離れた次の現場へ向かう朝鮮人工夫たちとの出会いだ。工夫の娘が言う。「一度日本の着物を着て、有難うさんのバスに乗ってみたかった。」彼らは命懸けの工事で道を作る。しかしその道は彼らのためのものでは無い。日本が朝鮮半島を植民地支配していた1936年当時に、清水宏はその歪さへカメラを向けた。(本町文化堂・嶋田詔太)

「納屋を焼く」(イ・チャンドン監督「バーニング〈劇場版〉」)

満たされなさの変容

 イ・チャンドン監督の「バーニング〈劇場版〉」は、村上春樹の中編「納屋を焼く」の筋書きを大枠では踏襲しながら、しかし出来上がった作品から受ける印象は明らかに異質なものになっている。

 これは1980年代前半、バブル前夜の日本社会のどこか浮ついた空気感、その中で何か満たされない空虚感のようなものを村上春樹が描いたのに対し、2010年代後半の韓国が舞台の映画では、イ・チャンドンは社会の中にただよう閉塞感、そして痛みを伴う疎外感に置き換えた。時折スノッブにも感じられる、「納屋を焼く」の主人公の趣味の良い生活は、やがて「ほしいものが、ほしいわ。」という、数年後の広告のコピーに代表される欲望の飽和へと向かう。しかし、その先で待っていたものは、肥大化する資本主義の世界が生み出した格差と分断の時代であり、その世界の中で、寓話的とも言える原作を、イ・チャンドンは切実な事件として、鮮烈にスクリーンに焼き付ける。(嶋田詔太)

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