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「インド映画はなぜ踊るのか」書評 度肝抜く集団異次元ラブシーン

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2025年11月08日
インド映画はなぜ踊るのか 著者:高倉 嘉男 出版社:作品社 ジャンル:エンターテイメント

ISBN: 9784867931097
発売⽇: 2025/10/08
サイズ: 13.6×19cm/397p

「インド映画はなぜ踊るのか」 [著]高倉嘉男

 「インドには行ける者と行けない者がいる。君にはその時期が来た」と三島由紀夫に唆された僕は、彼の死の3日前の謎めいた言霊に押されてインドに魂を飛ばされてしまった。ビートルズがマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに導かれて聖地リシケシュに行った、50年ほど前の話。
 インドは地上のフィクションだったが、そんなインドを凌駕(りょうが)したのは虚実転倒したインド映画だった。フィクションへと裏返された現実そのものだった。その現実を内在化するために撮影所を訪ね、インドの原節子ともいえる名優に会い、シネ・アーティストとアーメダバードで巨大絵画のコラボレーションを制作して、インドの映画的現実を内在化させた。
 以来僕はインドを7度訪ね無国籍絵画を確立していくわけだが、ここにもっと驚くべき日本人がいる。日本でたった1本のインド映画に洗脳されて27年、そして12年インドに居を構えた本書の著者がその人。
 まずインド映画で度肝を抜かれるのは、画面狭しと踊りまくる群舞に客席が歓喜と狂気のるつぼと化す、集団異次元ラブシーンである。どこかの国の昔のラブシーンのような、月を背景に口づけする甘っちょろくて気恥ずかしい道徳的情緒はない。トマホークがヒマラヤの山中を飛び交う狂喜乱舞の宇宙的集団愛と至上の光に打たれ、言葉が無力化される。
 「インドに行ける者と行けない者」を定めるのはカルマでも輪廻(りんね)でも遺伝子でもない。近作「RRR」「バーフバリ」を見たまえ。無私と邪悪と暴力と荒ぶるシヴァ神。全篇(ぜんぺん)クライマックスのインド映画に三島は何と言うだろう。「インドに行ける者など一人もいない」と言うに違いない。
 われわれはインド映画の現実の外側で生きて(死んで)いたことに愕然(がくぜん)とする。本書『インド映画はなぜ踊るのか』を手に、死体になったつもりでインドに行ってみたらどう? 
   ◇
たかくら・よしお 1978年生まれ。インド映画研究家。ジャワーハルラール・ネルー大学で博士号。豊橋中央高校校長。