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日本一にはたどり着けなかったけど、それも大事な経験。河合隼雄先生に教わる「道草」の味 中江有里

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 10月28日、私は甲子園にいた。
 ライトスタンドで日本シリーズ第3戦、そして翌日の第4戦を観戦した。

 浜風は冷たいが、ライスタの応援は猛烈に熱かった。しかし願いは届かず、連敗。
 第5戦の朝、始発に近い新幹線で東京へ戻った。午後から仕事に行かねばならない。
 でも少しだけ、ホッとしていた。もし、万が一阪神が負けても、胴上げを見なくてすむ。

 かくして、ソフトバンクホークスは4連勝し、甲子園で小久保監督が胴上げされた。
 私はいまもその映像を見ることができない(現地で観ていた人から胴上げ写真が送られてきたけど)。

 日本シリーズが始まる前は、「4連勝したら、目の前で藤川監督の胴上げが見られる」と浮かれていたのに、逆のことが起きてしまった。

 すでに野球はストーブリーグ。
 安芸での秋季キャンプの映像や、侍ジャパンの練習試合を見たりしているが、砂漠に水をまくようなもの。心はカサカサに乾いている。野球といううるおいが全然足りていない。

 それには日本シリーズの結果も関係している。
 勝つと浮かれて羽が生え、天にも昇る心境だが、負けると自信もなくなるし、テンションもさがるし、枝から落ちて地を転がっていく枯れ葉のよう。まさに天地の差。

 しかしどの球団も来年に向けてスタートしている。
 いつまでも負けを引きずってはいられない……いられないのだけど。

 ところで現在、私は、26年ぶりの主演映画「道草キッチン」の宣伝でフル稼働している。
 ロケ地、徳島での先行上映が決まり、舞台挨拶にうかがった。
 その時に「中江さんの『道草』とは?」と訊かれた。
 「道草」とは道端の草。馬が道端の草を食べて、進行が遅くなるみたいに、目的地へ行く途中で、他のことに時間を費やすこと。

 子どもの頃、「道草」してはいけない、と言われた。でも私はしょっちゅう道草していた。
 朝はまっすぐ学校へ向かうが、帰り道はなるべく遠回りし、新しい道を探して歩いた。

 振り返ると、あの時間がいちばん楽しくて、同時にちょっと不安もあった。
 だけど新しい何かを求める気持ちが、湧き上がる不安を押しのけて、私に道草させた。

 河合隼雄『こころの処方箋』には道草に関する章がある。

 ある経営者は若かりし頃、結核にかかった。他の学生が学問、スポーツにいそしんでいる時に、自分はただ安静にしていなくちゃならない。だけど経営者になってから、結核によって失われた経験が、今は有用なものに思われる。弱い人の気持ちがわかるし、生や死について深く考える機会になった。
 目的地へいち早く着くだけでは、道の味を知ることがない。ここでいう道とは、人生だ。加えて、

「道草によって道の味がわかると言っても、それを味わう力を持たねばならない」。

 道草を時間の浪費にしないために、それ相応の力をつけなければならないのか。

 藤川球児監督率いる新生タイガースも、就任1年目でいきなり日本一という目的地に着いてしまうより、まわり「道」をした方が得るものも喜びも大きいかもしれない。
 人生を重ねて見ているファンとしては、そう信じたい。
 ここまでの時間を浪費にしないために、選手たちはもう来シーズンに向けて準備している。

 私にとっての「道草」は映画を観ること、本を読むこと、そして野球を観ること。
 映画を観なくても、本を読まなくても、野球を観なくても人生はすすんでいく。
 だけど、あえてまわり道する。足を止める。そこに生えている草をじっと眺める。

 「道草」は私の日常生活と並行してそこにある。
 いつも楽しいばかりじゃない。悔しさ、憤りをかみしめることもある。
 どんな気持ちも、けっして自分ひとりでは得られない。

 『こころの処方箋』にはこうも書いてあった。
 「心配も苦しみも楽しみのうち」

 ストーブリーグだからこそ、この言葉が沁みる。それだけ心動かしてくれる存在があるっていうこと。

 日本シリーズは今年一番、悔しかった。この悔しさを糧にできるのは阪神タイガースだけ。
 来年に向けて、信じて応援します!