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追悼・さくらももこさん ほのぼのした日常のシュールにくぎづけになった「ちびまる子ちゃん」

『ちびまる子ちゃん』1巻 ©さくらプロダクション

 1986年。すでに熱心なりぼんっ子(注:少女マンガ誌「りぼん」の読者のこと)だった8歳の私は、新人さくらももこの初連載『ちびまる子ちゃん』にくぎづけになった。

 昭和50年前後の静岡県清水市を舞台に、小学三年生のまる子の日常を描く『ちびまる子ちゃん』。記念すべき第一回は、夏休みの前日、大量の荷物を抱えヨロヨロと下校するまる子の姿から始まる。工作で作ったヘンな人形やのびきったラーメンのようにずうずうしく生長したヘチマ……。身に覚えがあるスットコドッコイな描写に一瞬で引き込まれた。

 しかもナレーションは「計画性のない子どもだけがこうなるのである」と実にクールだ。自分につっこむ絶妙のスタンスや、日常のシュールさを浮かび上がらせるギャグセンスは、子ども心にも斬新だった。ちなみに連載二回目で描かれたのは、宿題が終わらない8月31日。共感の嵐の中に、おじいちゃんが代筆した終戦記念日の日記など、エッジのきいた笑いがちりばめられた神回である。笑いが止まらなくなって友達と「これは私たちのマンガだね!」とヒーヒー言い合ったのをよく覚えている。

 当時さくらがカットを担当していた「りぼん」の読者ページ「みーやんのとんでもケチャップ」(通称とんケチャ)も忘れることができない。ページの端までぎゅうぎゅうにつめこまれているのが嬉しい柱マンガに、編集者・みーやんと読者の軽妙なやりとり。ラジオ番組のような雰囲気で、「とんケチャ」がカルチャーへの目覚めというりぼんっ子は少なくなかったはず。『ちびまる子ちゃん』にもそういうところがあって、傷がある時のお風呂の入り方から好物の食べ方(半分とっておくと、忘れた頃に冷蔵庫で再会できて嬉しい)、なくしものを探す時ははさみに糸を巻くというおまじないまで、まる子のライフスタイルから大いに影響を受けたものである。大げさに聞こえるかもしれないが、人生の楽しみを教えてくれたマンガ家だ。

 さくらももこは1984年に色々なタイプの教師の言動を観察した『教えてやるんだありがたく思え!』でデビュー。特にキャリアの初期は、『ちびまる子ちゃん』と「ももこのほのぼの劇場」シリーズという、自身の体験をもとにしたエッセイ風のマンガで大人気となった(その後は『コジコジ』や『永沢君』など、よりシュールで毒っ気のあるギャグ名作を生み出している)。『ちびまる子ちゃん』コミックス巻末に収録されていることでファンにはおなじみの「ほのぼの劇場」シリーズは、『盲腸の朝』『5月のオリエンタル小僧』など傑作が多いので未読の方にはぜひオススメしたい。『夢の音色』(『ちびまる子ちゃん』4巻収録)には、正統派少女マンガを投稿していたが芽が出ず、作文テストで「現代の清少納言」と絶賛されたことをきっかけに「エッセイをマンガにしてみたら」と思いつき、デビューに至るまでが描かれている。

 『ちびまる子ちゃん』は徐々にエッセイからフィクションとしての色を強めていったが、さくらの温かみのある絵には世代を問わず読み手の記憶に触れるような力があった。『手をつなごう』(『ちびまる子ちゃん』6巻収録)という短編の中に「秋ごろのこんな夕暮れがいちばん好き/あの看板とかあの電灯とか/あの家の窓とか…そういうの全部好き」というセリフがあって、『ちびまる子ちゃん』を読み返すたびにその言葉を思い出す。季節や時間によって変わる空気がマンガの中にすっと溶け込んでいて、懐かしい余韻を残すのだ。

 早すぎる訃報に、驚きと寂しさ、悲しみを感じるばかりだ。それでも、今も、いつだって、『ちびまる子ちゃん』のページを開けばプッと笑いが蘇ってくる。さくらももこ先生、たくさんの素晴らしい作品をありがとうございました。