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隣室かもしれない不安 松原タニシ「事故物件怪談 恐い間取り」

 「嘘松(うそまつ)」なるネットスラングがある。真偽の疑わしい体験談を指摘する際に用いる単語で、あまりに出来すぎている逸話には容赦なく「嘘松」判定が下されてしまう。容易(たやす)く情報を検索できる時代の産物だが、その背景にはすべてに根拠を求める震災以降の世相が影響しているのでは……などと、のんきに分析している余裕はない。私が書きつづる怪談実話にも「嘘松」の影響は確実にあらわれている。虚実のあわいを楽しむジャンルにすら、真実を担保するなにかしらの情報が求められるようになった。そんな世知辛い時代の波をくぐり抜けてベストセラーになった怪談本が「恐(こわ)い間取り」だ。

 お笑い芸人の著者はテレビ番組の企画として事故物件(住人が変死を遂げたいわくつきの賃貸物件)に次々と転居する。殺人事件が起こった、薬の過剰摂取で亡くなった、住人が仏壇の把手(とって)で首を吊(つ)った……概要を聞くだけで入室すらためらう部屋へ果敢に引っ越し、身の毛もよだつ出来事に遭遇する著者。体当たりで「怪談の当事者」となっていく過激なドキュメンタリー性が「嘘松では」といった野暮(やぼ)な問いを吹き飛ばし、「ここで人が死んだ」という冷たい事実が無粋な詮索(せんさく)を一蹴していく。本書を怪作たらしめているのは、各話の冒頭に記載された間取り図である。淡々と描かれる「情報」が、かえって読者の想像力を喚起し、えもいわれぬ不安を呼び起こす。見れば、いずれも作り自体は平凡な部屋ばかり。つまり事故物件は私たちのすぐ近く、もしかしたら隣室かもしれないわけだ。「嘘松」の不安に駆られて真実を求めるあまり、不安に侵食されてしまう……いかにも現代らしいヒット作と言えるだろう。

 ふと思う。本当に怖いのは事故物件の怪奇現象やそこに住み続ける著者ではなく、本書を嬉々(きき)として読みふける我々と、これらの物件がもはや珍しくない社会ではないだろうか……答えはさておき、転居シーズンを迎える前にお勧めしたい一冊だ。

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 二見書房・1512円=14刷7万部。7月刊行。ツイッターや口コミで火が付く。怪談好きは男性が多いが、若い女性にも人気。担当者は「家賃の安い事故物件に興味があるのでは」。=朝日新聞2018年9月15日掲載