人生いつどこで何と出会うのか分からない。
身もふたもない話だが、思いもよらぬ出会いによって、その先の生き方が変わってゆく。
僕が写真を撮るようになったのは2010年、レミオロメンの結成10周年ツアーでのことだ。ライブの最後に「花鳥風月」という曲を演奏したのだが、演出としてステージの背後に各都市の写真を大きく映し出した。そのツアーは僕らにとっても初めての全県ツアーで、47都道府県、全ての写真を自ら撮ってみたいと思ったのがきっかけだ。
最初は何を撮ったらいいのかわからず、その街の何気ない風景や、時間に余裕があるときは名所などを巡って撮影した。決して上手とは言えないけれどライブでその写真が映し出されると、その風景に所縁のあるお客さんから、歓声が上がるのがとても嬉しかった。そこから更にお客さんに喜んでもらおうとツアー中、撮り続けた。
写真を撮り、それを見てもらうことで、僕らがこの土地のみんなに会いにゆき、それを待っていてくれる人がいるということが実感できた。つまり、写真はひとつのコミュニケーションだと感じた。
当然、自分で見るために撮る人もいるだろうし、楽しみ方は自由だ。僕だって誰に見せるでもない写真がiphoneの中にたくさん入っている。
だが写真には、撮る側、見る側の心の交流のようなものがある。子供の頃の懐かしい写真を見て、何かを感じるなら、その時シャッターを切った誰かと今の自分とが、時を超えてコミュニケーションしたとは言えないだろうか。
カメラを手にした時から、写真を撮るという行為の中には、世界を切り取って見たいという想いや、人に見てもらいたいという想いが前提として入っているように思う。そんな想いがあるから、写真は一つの表現として多くの人に愛されているのだろうし、SNSなどでも多くの人が楽しんでいる。
撮った本人だって、見る人だってたった一枚の写真に心を動かされることだってあるだろう。
このエッセイを通して改めて、僕は一番最初から他者へ向けて写真を撮り始めたことが分かった。もし自分の中だけで写真が完結していたとしたら、それ以来10年も写真を撮り続けただろうか。
写真を通して人と繋がる経験をしたことで、写真がどんどん好きになったし、僕自身、写真集を出したり、写真展を開催したり活動の幅が広がった。そこでもまた多くの人との出会いがあり、そのご縁でこの「旅是好日」の連載も始めさせて頂いた。
僕は4月6日より、ソロ藤巻亮太のライブツアーとして全国19カ所をめぐる。春から初夏にかけて今度はどんな景色と出会えるのかとても楽しみである。そして相棒のカメラで旅の様子を写真におさめたい。ぜひ楽しみにしていて下さい。