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藤巻亮太の旅是好日 一人はみんなのため、みんなは一つのために戦っている 

文・写真:藤巻亮太

 「その生き方がかっこいんだよね。そして、その語り口も粋なんだよね」。そんな書評を知人から聞いて買い求めたのが勝海舟の『氷川清話』で、読んだのはいまから1年くらい前だったと思う。江戸幕末は日本史の中でも常に人気があり、ヒーローのように語られる人物も結構多い。司馬遼太郎さんの小説の影響もあって、坂本龍馬、西郷隆盛は常にスポットを浴び続ける人気者だ。ただ、彼らを語るときに欠かせない人物が、勝海舟なのだと思っている。僕は20代の頃は歴史にほとんど関心を持つことなく生きてきたけど、最近は、40代を前にしてこのフィールドにも知的好奇心を覚えており、本や映像を通して学ばせてもらっている。

 さて、勝海舟は一言でいえば敗軍の将である。坂本龍馬が奔走して出来上がった薩長連合(薩摩藩と長州藩の同盟)の力を前に、260年以上続いてきた江戸幕府は政権を失い、さらに京都で戦いそして敗れることになった。薩長連合の勢いがぐんぐんと江戸に迫ってくるなかで、徳川側の一部は決戦を叫び、薩長連合の一部もまた江戸城を攻撃する準備に入る。そのなかで、勝海舟は包囲下のなか文字通り一騎で品川にあった薩摩藩邸に出向き、西郷隆盛と談判して、無血開城を実現させた。文字にしてしまえば簡単だが、このとき勝海舟はその背中に一体どれだけの人命と責任を背負っていたのだろうと想像するだけで気が遠くなる。

当日のおれは、羽織袴で馬に乗り、従者一人つれたばかりで、薩摩屋敷へでかけた。まず一室に案内せられて、しばらく待っていると、古洋服に薩摩風の引っ切り下駄をはいて、例の熊次郎という忠僕を従え、平気な顔で出てきて、「これは実に遅刻しまして失礼」と挨拶しながら座敷にとおった。そのようすは、少しも一大事を前に控えたものとは思われなかった。さて、いよいよ談判になると、西郷は、おれのいうことを一々信用してくれ、その間一点の疑念もはさまなかった。「いろいろ難しい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします」西郷のこの一言で、江戸百万の生霊(人間)も、その生命と財産とを保つことができ、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。・・・このとき談判がまだ始まらない前から、桐野(利秋)などいう豪傑連中が、多勢で次の間へきて、ひそかにようすをうかがっている。薩摩屋敷の近傍へは、官軍の兵隊がひしひしと詰めかけている。そのありさまは時に殺気陰々として、ものすごいほどだった。しかるに西郷は泰然として、あたりの光景も眼にはいらないもののように談判をしおえてから、おれを門の外まで見送った。おれが門を出ると近傍の街々に屯集していた兵隊は、どっと一時に押し寄せてきたが、おれが西郷に送られて立っているのをみて、一同うやうやしく捧げ銃の敬礼を行った。おれは自分の胸をさして兵隊に向かい、「いずれ今明日中にはなんとか決着すべし。決定しだいにて、あるいは足下らの銃先にかかって死ぬることもあろうから、よくよくこの胸を見覚えておかれよ」と、いい捨てて、西郷にいとまごいをして帰った。
(『氷川清話』角川ソフィア文庫、58~59ページ)

 この勝と西郷の対峙では、それほど言葉を交わさずに事が成ったとのことだ。巨大な人格同士が言葉を超えて、お互いの事情や考えていることを察しあい無血開城に至るこの名場面、どれほど腹をくくってその場に臨んだのだろう。想像してみただけで胃が痛くなる。こういう決断ができることが本当のかっこよさなのかもしれないと思った。

 この『氷川清話』では他にも西郷の人格を褒めたたえる場面があるがどれも素直な言葉であり、それらが勝の腹から出たものだと思わせる。一方で、自分のことはほとんど気負うこともなく、脚色もしないで描く勝のその態度には惚れ惚れとしてしまう。彼らのやりとりなどをみていると、一つのリーダー論、リーダーとはどういう人物がなるべきで、本当にかっこいいとはどういうことなのか、そんなことを40歳手前にした僕にはガツンと突き付けられた気がした。

 好むと好まざるにかかわらず、生きていくなかで人の為に戦わねばならないことがある。その戦う対象が人なのか、具体的な組織か、社会の問題なのかは、人が背負うものによって異なるだろう。ただ、いずれにしても、そんなとき目的やミッションを最優先にし、自分のことを一番後回しにし、度外視できるスゴさには素直な敬服を覚えてしまう。

 話は少し変わるが、先日ラジオ番組の取材で宮城県釜石市を訪れて、そこで生まれてはじめてラグビーの試合をみる機会に恵まれた。日本対フィジーの一戦で、両チームの選手たちはそれぞれに肉体を極限まで鍛え抜いており、その体と体がぶつかり合う音は観客席にまで届きその迫力には圧倒された。

 たまたまラグビー関係者に取材したときに教えてもらったことがある。ラグビーの有名な言葉である「ワンフォーオール オールフォーワン」、「一人はみんなのため、みんなはひとりのため」、こう訳されることが多いが、本当は、「一人はみんなのため、みんなは一つの目的のため」という訳のほうが適切な気がするとのことだった。その言葉は僕の胸の深いところに残ることになった。そして、試合をみているとき、チームの15人が一つのボールをつなぎ、自分をなげうって、そして力の限りを尽くしていく。その姿をみていて、一人はみんなのため、みんなは一つのために、被災地、地域、国を越えて、多くを背負って戦っていることを見せつけられた気がした。

 ところで、ラグビーには、「ノーサイド」という言葉がある。試合が終わってしまえば、その瞬間に敵味方はなくなり、さきほどまで激しく戦った者たちが互いをたたえ合うのだ。これは同じくラグビーを誠実に愛するもの同士という共通のプラットフォームがあるから成立することなのだろう。さて、もう一度 『氷川清話』の勝と西郷の話に戻りたい。品川の薩摩屋敷での談判の時点で、徳川にもう勝ち目はなく、戦の勝負は見えていた。破れかぶれの戦いを避け、無血開城に持ち込み、江戸を火の海にしなかったことである部分で「ノーサイド」が成立したのだと思う。そして、最後に一つ、この『氷川清話』の終わりは、こう書いてある「要するに処世の秘訣は『誠』の一字だ」と。勝海舟と西郷隆盛の談判にはきっとこれがあったのだろうと僕は信じている。