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幽霊求めて東奔西走! 芥川賞作家・藤野可織さんの怪談エッセイ「私は幽霊を見ない」

文:朝宮運河 写真:山田秀隆

――『私は幽霊を見ない』は、藤野さんが日々の暮らしのなかで見聞きした不思議な出来事を綴ったエッセイです。怪談雑誌『冥』『幽』に連載されたものですが、そもそも「怪談を書いてほしい」という依頼だったのでしょうか。

 そうですね。もともと怪談が好きで、それを知った編集さんが声をかけてくれました。怪談を読むようになったのは、『新耳袋』シリーズ(木原浩勝、中山市朗著)がきっかけ。それまで「怪談実話」というジャンルがあることも知らなかったんですが、本屋さんでたまたま手にした『新耳袋』がすごく面白くて、シリーズ全10巻を買い揃えました。それ以来、気になる怪談実話は手に取るようになりました。

――『新耳袋』以降盛んになった怪談実話には、「短いエピソードをオムニバス形式で収録する」というおなじみのスタイルがあります。一編のエッセイに複数の怪談を織り込んだ『私は幽霊を見ない』は、その点ユニークな試みですね。

 本当は『新耳袋』的なものを書いてみたかったんです。でも半ば引きこもり的な生活を送っているので、たくさんの知らない人に取材して書くのは無理だなと。ストレートな怪談実話を書く方はたくさんいらっしゃいますし、わたしは変化球で行こうと、自分を甘やかすところからスタートしています(笑)。毎回締め切りまでに聞くことができた怪談を書いているんですが、なんとなく共通するテーマやモチーフが浮かんで、エッセイの形になってくれました。

――とはいえ取材して書かれたエピソードも多数含まれていますね。取材のご苦労もあったのでは?

 知り合いが少ないので、どうしても仕事関係の方が多くなってしまうんですけど、人と会うたび「何か怖い話を聞かせてください、締め切りがやばいんです!」と泣きついていました。連載中『爪と目』で芥川賞をいただいて、東京に出てくる機会が増えたので、ここぞとばかりに怖い話を聞いてまわりました。受賞作が新潮社の作品だったので、「新潮社クラブ」にも泊めてもらうことができましたし。

――おお!文豪の幽霊が出ることで有名な、新潮社の保養施設ですね。

 枕元にデジカメとスマホを置いて待機していたんですが、出てきてくれませんでしたね。三島由紀夫や開高健の幽霊ならぜひ見たかったんですが。ミーハーな気持ちでは見られないのかもしれません。

――高校時代の恩師が体験したという、堀辰雄にまつわるエピソードも印象的でした。怪談自体は怖いのに、それを取りまく雰囲気はどこかユーモラス。そのバランス感覚が絶妙です。

 怖い話をしている時って、和気藹々としていることが多いんですよね。そういう楽しい雰囲気は、できるだけ忠実に書くようにしています。わたし自身、勘が鋭いわけでも、特別な知識があるわけでもない。ただの怪談好きにすぎないので、「この世ならざるものに触れてしまった!」みたいな大げさな書き方をしてもしょうがないなと。触れられてないですし(笑)。本の装丁も可愛らしいですし、怖い話が苦手な方でも、最後まで読み通してもらえるんじゃないかと思います。

――そもそも藤野さんが怖いものを好きになった原点とは?

 どこに原点があるのかよく分からないんです。父も母も現実的なタイプで、お化けの話はエンターテイメントとしては楽しむけれど、本気にしていると「しょうもない、あほらしい」と叱られてしまうような家庭でした。親戚にも怪談好きはいませんでしたね。子供の頃、いとこのお姉さんが怖いマンガをたくさん持っていて、遊びに行くたび読ませてもらっていたんです。そのお姉さんの影響が大きいのかな、と思っていたんですが、後日「うちには普通の少女マンガもたくさんあった。可織ちゃんがホラーばかり選んでいた」と言われてしまって(笑)。物心ついた時から、なぜか怖いもの好きだったという感じですね。

――その一方で、たいへんな怖がりでもあるとか。

 最近はそうでもないですが、以前はありとあらゆるものが怖かったですね。たとえば昔から実家のマンションが怖くて、「どうして自分の家がこんなに嫌なんだろう?」と不思議でした。具体的に何があるというわけでもないんです。ただトイレのタンクの陰とか、開いたままの洗濯機とか、ちょっとした空間が怖くて。家族が平気そうにしているのを見て、自分は怖がりなんだなあと気づきました。

――今回のエッセイによると、通っていた小学校も怖かったそうですね。

 京都市内にある築120年くらいの古い小学校で、少子化のせいで使われていない空き教室がたくさんありました。雰囲気が暗くて、通学するだけでも怖かったんです。古い学校なので怪談も多くて、放課後の女子トイレには「四時ばばあ」が出るとか、階段から落ちた三つ子の幽霊がさまよっているとか。怖いのにそういう話をつい聞いてしまって、半泣きになりながら帰る、みたいな子供時代でした。

――『私は幽霊を見ない』は、そのほかにも初めての心霊スポット訪問や、アメリカで各国の作家に「ゴースト」と呼ばれた経験など、怖くて愉快なエピソードが満載です。藤野さんのお気に入りは?

 イギリスの古城ホテルに泊まった日本人が、ベッドで白人女性の幽霊にのしかかられたという話ですね。その人は英語が分からなかったので、幽霊の言葉がまったく理解できなかった。笑い話なんですけど、出てきた幽霊の側からしたら、これほど残酷な話もないだろうと。ちょっと忘れられないエピソードです。

――なるほど、幽霊の側に感情移入してしまうわけですね。

 そういう部分はあると思います。わたしはモンスターや怪獣が出てくる話も好きなんですが、ついそちらの視点で鑑賞してしまいます。ゴジラはただ歩いているだけなのに、攻撃されて気の毒だなとか。もし実際にゴジラが出てきたら、私なんか序盤で踏み潰されるなとも思うんですが(笑)。

――このエッセイを書き上げたことで、幽霊や怪談への思いは変化しましたか。

 わたし自身一度も幽霊を見たことがないですし、多分いないだろうとも思っていて、それは変わりません。でも幽霊が出てくる本や映画は大好き。連載を始めるまでそういう趣味を持っている人は、世間でも少数派だと思っていました。それが書いているうちに、実はこの社会こそ幽霊が大好きなんじゃないか、と気がついた。聞いてみれば誰でもひとつふたつ怪談を持っているし、怪談実話本やホラー映画は日々量産されています。きっとわたしだけじゃなく、この社会全体がこんなにも幽霊を必要としているんだなと。当たり前のことかもしれませんが、つくづく思い知りました。

――なぜ人は幽霊を必要とするのでしょう?

 本にも書きましたけど、幽霊とは「生きている時に上げられなかった声」なんじゃないか、というのがひとつの結論です。もちろんそれは無数にある答えのひとつに過ぎなくて、ただ単純に面白いから、というのもあると思います。自分がどうして幽霊を見たいのか、というのはまだ分からないですね。

――ではもしも目の前に幽霊が現れたとしたらどうしますか?

 どのくらい危険かにもよりますよね。ドラマでよく「怖さのあまり気絶して、気づいたら朝になっていた」という展開がありますけど、その間に何が起こっていたのか気になります。気絶したら逃げ切れるものなんですかね?大いに疑問です。気絶しているあいだに殺されたりしないんでしょうか。あるいは、気絶から覚めてもじっと目の前で待ってるとか。あ、もし危害を加えられることがなさそうなら、心霊写真を撮ってインスタに上げたいです(笑)。

――『私は幽霊を見ない』は飽和気味の怪談実話ジャンルに、一石を投じる素晴らしい作品だと思います。今後また怪談やホラーを手がける予定があれば教えてください。

 今のところ計画はないですが、フィクションは「怖ければ怖いほど価値がある」となぜか思っているので、常にそういうものを追い求めつつ、私は私で自分に書ける小説を書いていくことになると思います。

――うーん、「怖いほど価値がある」というのは心強い言葉ですね。

 本当にそうだと思います。もし同じくらい優れた作品で、怖いものと怖くないものが並んでいたとしたら、わたしは怖い方を好きになると思います。私にとっては絶対そっちの方が面白いですから。