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「精神史的考察」 喪失にすら気づかぬ現代 岩波書店・小田野耕明さん

 大嘗祭(だいじょうさい)を問う集会に参加した。札幌でぼんやりと学生生活を送っていた1990年の晩秋のこと。講師は思想史家の藤田省三氏。痩せぎすで気難しそうなその人が、「今の時代、何に気が滅入(めい)るかで、人としての値打ちが違ってくる」と語った言葉が記憶に残った。

 それで手に取ったのが『精神史的考察』。強度のある独特な文章に惹(ひ)きつけられた。例えば、次のような一文に。「理想的に言えば、全成員の脱出と亡命の可能性が常に考慮に入れられている時、始めて、国家を含む全ての組織団体は健康的でありうる」

 登場する題材も時代も様々だが、現代にあって失われたものは何かを一貫して問うている。藤田によれば、それは「経験」であり、「理性」であり、「想像力」であり、「社会」である。つまり、人間を人間たらしめてきた営みが失われた時代、それが現代なのだ。全生活を既製品が覆い尽くす高度成長後の「新品文化」の中で、喪失にすら気づかなくなってしまった、と。

 安楽さに浸りきった新し物好きの自分などは、なんだかずっと叱られているように感じた。再読する今も、居住まいを正してしまう(が、長くは続かない)。

 こんな時代に出口なんてあるのか。ベンヤミンがブレヒトの詩に、「絶望のなかにしっかりと足場を築け」という励ましを見いだしている、と藤田は書く。気が滅入る時代の底にこそ、失われたものを蘇(よみがえ)らせる根があるのではないか。荒地(あれち)の中に再生への微(かす)かな気配を何とか読み取ろうとする姿勢、そこに惹かれた。=朝日新聞2019年11月20日掲載