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藤巻亮太の旅是好日 浜崎貴司さんのオススメ「やし酒飲み」を読んで

文・写真:藤巻亮太

 大先輩である浜崎貴司さん(FLYING KIDS)からあるとき紹介された本が、エイモス・チュツオーラが著した『やし酒飲み』(河出書房新社)だった。「アフリカ発の文学で、読む前にどんな本か多くは語らないけど、まずは読んでみたら」とすすめられて、僕はピンときて速攻注文した。読書好きになってから、古今東西の本をなるべくひろく読むようにしているが、アフリカの大地発祥の物語は初めての体験だった。ただ、僕はかつてアフリカを旅した。だから、アフリカのジャングル、草原地帯、赤い土、そして、そこを吹き抜けていく風の匂いも覚えている。おそらく、なにか心に響くものがあるはずだと思い、特に先入観を持つことなく読みはじめたのだ。

 物語の冒頭はこう始まる。

「わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時は、タカラ貝だけが貨幣として通用していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。父は、八人の子をもち、わたしは総領息子だった。他の兄弟は皆働き者だったが、わたしだけは大のやし酒飲みで、夜となく昼となくやし酒を飲んでいたので、なま水はのどを通らぬようになってしまっていた。父は、わたしにやし酒を飲むことだけしか能がないのに気づいて、わたしのために専属のやし酒造りの名人をやとってくれた。彼の仕事は、わたしのため毎日やし酒を造ってくれることであった」

 この始まりだけ読めば、かなりやばいアルコール依存症の男の告白になる。もちろん、そんなシンプルな話ではない。やし酒飲みの日々は突然終止符を打たれることになる。やし酒造りの名人が突然亡くなり、その日を境に主人公はやし酒を飲むことができなくなる。そして、ただ酒を目当てに集まっていた友人たちも潮が引くかのようにきれいにいなくなってしまい、途方にくれた主人公は亡くなったやし酒造りの名人を探しにいくことにした。「この世で死んだ人は、みんなすぐに天国へは行かないで、この世のどこかに住んでいるものだ」という老人たちの言葉を信じての行動だった。主人公の旅はここから始まる。

 これ以上にストーリーの展開を追う野暮はしないが、一言いえるのは、ここからの物語は奇妙奇天烈、奇想天外な話の連続となっていくのだ。僕たちが当然のごとく受け入れている常識や論理が通じない世界、重力法則や因果関係、現世と幽玄の境い目などもあやしく、そして、あいまいな世界を、これでもかというくらいに想像力を駆使して書き上げているのだ。

「家というものは、その上で寝るために建てたのだ」

 この「世界」の描写の例を一つだけあげておきたい。物語のなかで主人公はある街にたどり着く。そこには未知の生物たちが住んでいるが、その生態について次のような描写がある。

「この未知の生物たちは、何かにつけて、人間の逆張りを行くのだった。たとえば、木に登る時には、まずハシゴに登っておいて、そのあとから、ハシゴを木にもたせかけたし、また、町の近くに平坦地があるのに、家はすべて、傾斜の急な丘陵の中腹に建てたし、そのため居住者も落っこちそうなぐらいに、家は傾斜し、事実、子供たちは、家からいつもころがり落ちていたが、親たちは一向におかまいなしといった調子だった。その他にも、自分たちの体は洗わないくせに、家畜はよく洗ってやるし、自分たちは木の葉のようなものを着物代わりにまとっているくせに、家畜には高価で、ぜいたくな着物を着せ、家畜の爪は切ってやるのに、自分たちの爪は、百年間も切らないでのび放題といった具合だった。それからまた、その町で、多くの人々が、屋根の上で寝ているのを見かけたが、彼らの言い分によると、家というものは、その中ではなく、その上で寝るために建てたのだということだった」

 こんな情景描写を字面で読んで想像するだけでもかなりの熱量を使うが、加えて、原色に近いアフリカ的なジャングルの中に、インクを煮詰めたような濃いキャラクターたちが次々と登場してくる。それがもう圧倒的に濃いのだ。そして、繰り返すが展開されるストーリーは奇妙奇天烈、そして、ひとつひとつに切迫感もあるから読み手をもうおなか一杯という感覚にもさせる。ただ、これもまた別の表現をすれば圧倒的な想像力ゆえに読み手を圧倒しているともいえるのだ。

 この物語を読み進めていくときに陥るなんとも言えない感覚を、あえてもう少したとえで表現するならばこういうことだ。人は浅い眠りのときに夢をみる。そして、ときにその夢が現実のようで、どこか現実とは乖離した奇妙なものである経験は誰にでもあることだろう。その夢の中では、人はその世界のルールや法則のようなものに半分は従わなければならない。しかし、残りの半分は自分の意思でコントロールできるようなものだったりもする。そんな不条理のなかを藻掻き、抗い、どうにかサバイブしているうちに朝が来る。そして、目覚めたときに、奇妙な夢の後味や爪痕が残る中で、一体全体なぜこんな夢をみたのだろうと考える。この作品を読んでいるとどこかそんな錯覚が重なるのだ。

やし酒飲みになりたい?

 どんな物語にも始まりがあり、そして終わりがある。この物語を楽しむ一つのポイントがあるとすれば、この主人公がどのような変化を遂げていくか、かもしれない。かつて、やし酒飲みとして過ごし、いうなれば微睡(まどろみ)のなかで生きることだけが欲望のすべてだった主人公がどのようになっていくかを、物語をおいつつ考えてみるのも面白い。

 ところで話は逸れるが僕たちの欲望とは、食欲や睡眠などの生理的欲求に端を発するシンプルなものからスタートして、それがいろいろな形をとり、名誉や地位、恋愛やお金にまつわること、人を巻き込み、独自かつ複雑な発展を遂げていく。

 そう、欲望はあらゆるものを吸着して膨れ上がってゆく。

 それが絡まり固まるほどに、時にはそれがパワーにもなる。そんなパワーに身を任せても、それが空気をまとうかのように軽々しく生きていられるときもあれば、一方で重しをつけて水中歩行を迫られているように動きがままならなくなることもある。人が生きていくなかでの幸福とはなにか・・・・・・物語を読み終えたときふとそんなことを考えさせられた。

 ただ、僕は今回四十歳を目前にして浜崎先輩からこの本をすすめられたのはベストのタイミングだった。これが二十代のときであればこの作品の味わいはもっと異なっていただろう。さて、結論としては『やし酒飲み』はすばらしい作品で僕はとても気に入っている。ただ、僕自身「やし酒飲み」の旅に出る前の人生を送りたいとは思わないし、旅に出てからの人生のほうがきついけどまだいい。だって生きることが微睡みの中であって良いはずがない。この心と身体をフルにつかって自分自身の旅を続けていきたい。