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高遠弘美「物語 パリの歴史」 時代の「地層」を散歩しよう

 (ランビュトーがセーヌ県知事に)就任の前年、パリではコレラが猖獗(しょうけつ)をきわめました。ランビュトーは曲がりくねった狭い不潔な道路が疫病拡大の主因と考え、中心部で道幅の広い道路の開通に着手します。そのうち一八三九年に開通した道幅十三メートルの一本がランビュトー通りです。「ランビュトー――『公衆トイレ男』」より

 土地の至るところに各時代を物語る「地層」、つまり建物や道路や施設がある。なかでもパリは、ローマ時代から現代に至るまでさまざまな王朝が入れ代わり立ち代わり統治した都市で、だからこそすべての時代が凝縮された稀有(けう)な場所だ。本書はその地層を読み解く。一度もパリを訪れたことがない人でも、まるでSF作品やロールプレイングゲームで訪れた街を探訪し「へー、そうなってんだ!」と発見する喜びの連続である。

 著者の高遠弘美氏は、二〇一〇年より光文社古典新訳文庫でプルースト『失われた時を求めて』の全訳に挑んでいる(現在6巻まで発売中)。現代の日本人にも読みやすく、ニュアンスまで汲(く)み取った翻訳はもちろんのこと、発表当時のフランスの社交界の様子や人々の生活、歴史的背景にまで及ぶ「読書案内」が極めて面白い。『おなら大全』『乳房の神話学』など一風変わった歴史学を手掛けた知の巨人ロミの翻訳でも高名な著者自身の知識量が「パリ」を分解していく。歴史という圧縮ファイルは、現代の人にも理解できるよう解凍する技術が必要だが、言ってみれば高遠氏は最高の技術者だ。日本で読む「パリ」にとって、氏は古典の注記を得意とした本居宣長のような存在だ。

 ただの薀蓄(うんちく)ではなく、なぜそうなっているかまで記述する本は少ない。本書にはそれがある。なぜなら物語るのは著者ではなくパリそのものだからだ。パリの自分語りに耳を傾け、くまなく聞き取った手腕に脱帽。旅行にも出られない今、本書で仮想パリ散歩と洒落(しゃれ)こみましょう。=朝日新聞2020年3月28日掲載

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 講談社現代新書・1100円=2刷1万2千部。1月刊行。担当編集者によると、「物語」としてパリ史に触れてもらおうと、歴史家ではなくフランス文学者に執筆を依頼したという。