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一柳廣孝「怪異の表象空間」書評 闇を愛する文学者が近現代の怪異を解き明かす

文:朝宮運河

 私が怪奇幻想方面専門ライターという仕事に就いたのは、1990年代から2000年代初頭にかけて巻き起こったホラー・怪談ブームの影響が大きい。『リング』に代表されるJホラー映画、『新耳袋』をはじめとする怪談実話、小野不由美『屍鬼』などの国産ホラー小説。日々現れる刺激的な動きを追っているうちに、すっかり「そちら側」に染まってしまったのだ。

 横浜国立大学で教鞭を取る一柳廣孝の新刊『怪異の表象空間 メディア・オカルト・サブカルチャー』(国書刊行会)は、この特異な十数年間を「怪異というこの魅惑的な問題系への関心が複数のジャンルで同時多発的に喚起された」時代と位置づけ、2010年代以降の作品・論考も含めて多くの実例を列挙している。
 ただしこの優れたリストには、著者である一柳廣孝の名前が欠けている。『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉 日本近代と心霊学』、『催眠術の日本近代』など近代史のダークサイドに目を向けた先駆的研究や、『オカルトの帝国 1970年代の日本を読む』など戦後オカルトに関する一連の編著書は、文学とオカルトの密接な関係を浮かび上がらせるものだった。

 『怪異の表象空間』は、この闇を愛する文学者による最新論考集。近代、1970年代、現代という3つの時代におけるさまざまな「怪異」を取りあげ、「私たちがこの日常、この現実を把握するために使用している認識の枠組み」を照らし出す。
 現代を扱った第3部「ポップカルチャーのなかの怪異」から読み始めた。21世紀のホラー小説や怪談実話が扱われているのかと思いきや、意外にも半分以上がライトノベルに関する作品論である。柴村仁『我が家のお稲荷さま。』などが鮮やかな手つきで分析され、各作品がもつ今日的な怪異表象が提示されていく。このジャンルには未読作が多いので、大いに勉強になった。その他、第3部で取りあげられるのはコミックと宮崎アニメ。怪異を扱うジャンルを渉猟しつくす、著者の探究心には脱帽である。

 個人的には、オカルトブームに沸いた1970年代を扱った第2部「オカルトの時代と怪異」を一番面白く読んだ。冒頭に並んだ2本のつのだじろう論にまず興奮。昭和の子どもたちにショックを与えた恐怖マンガ『うしろの百太郎』『恐怖新聞』は、オカルトをめぐる人々のまなざしを封じ込めた一級の時代資料でもあり、同時にマンガ家・つのだじろうの「闘争」の場でもあったという。
 その他、小野不由美のホラー小説に見られるオカルト知識を、時代背景と丹念に関係づけた「オカルトの時代と『ゴーストハント』シリーズ」、タクシー怪談を乗り物・場所・時間などの角度から再考する「幽霊はタクシーに乗る」など、興味深い論考が並ぶ。いずれも、メディアが好んで取りあげる怪しげな題材を、あくまで冷静に(しかし愛をもって)、膨大な同時代資料を駆使して論じるというスタンスは共通している。また、80年代を席捲した「ニューサイエンス」の意味をあらためて検討するなど、著者の射程範囲は広い。

 近代日本を扱った第1部では、冒頭の「怪談の近代」が労作だろう。著者が述べているように、「怪異はそれぞれの時空間を映す鏡」だ。そして激動の明治期には、怪談もさまざまな移り変わりを見せた。明治の怪談の概説として、今後多くの研究者・評論家に参照されそうだ。
 今日ほぼ同じ意味で使われている幽霊と心霊。この言葉の混同に、明治期の催眠術・心霊学ブームの影を見る「心霊としての『幽霊』」も意義のある仕事。数十年にわたる明治オカルト研究の蓄積があるとはいえ、よくもまあこんな論じにくいテーマを、スマートに論じられるものだ。ラジオなどの音声メディアと怪異の関係を取りあげた「霊界からの声」も圧巻で……と、いちいち取りあげてはきりがないので、このあたりにしておこう。

 本書のカバーに掲げられているのは、真剣な顔つきで「こっくりさん」をする男女を写した明治期の古写真である。あなたはこの写真を見て、どう思うだろうか。懐かしい、自分たちの頃とやり方が違う、そもそもこの男女が何をしているか分からない……。人によって答えが異なるのは当然だ。著者が一貫して述べているとおり、怪異の枠組みは、時代や場所によって変わっていくものだからである。本書ではその変遷を、分厚い写真帳をめくるように辿ることができるだろう。