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ゲバラ飯 海堂尊

 ラテンアメリカの物語を書くようになって十年ほど経ちます。きっかけはテレビ番組でキューバを訪れチェ・ゲバラについて聞いたことです。旅行中に書き上げた短編を元にキューバ革命に関する物語を書き始めました。もともと私は網羅癖と膨張癖と派生癖があり、この「ポーラースター」シリーズは当初4部構想だったのに、気がつくといつの間にか5冊、6冊になってしまいそうな勢いです。

 ゲバラを追いかけ年に二回ほど中南米に取材旅行に行きます。昨年はアルゼンチンからアンデス越えでチリに入りました。国境近くの景勝地バリローチェを旅した時のこと。アルゼンチンだけあって肉が美味(おい)しい街でした。ホテルでおすすめの焼肉屋に行くと、肉が日本の三人前くらいの大きさなのに驚くほど軟らかく、値段は五分の一。腹一杯、肉を味わっていると、ふとワイン棚に目が行きました。

 ラベルにあるオートバイの絵を見て、おや、と思ったのは、医学生ゲバラは友人と、「ポデローサ号」と名付けたバイクでブエノスからアンデス越えでチリへ入ったからです。

 「モーターサイクル・ダイアリーズ」はその旅行日記で映画にもなり、私のシリーズでも第一巻「ゲバラ覚醒」で書いています。ですのでこの地でオートバイといえば、まっ先にチェ・ゲバラが思い浮かんだのでした。

 よく見るとラベルに書いてあるのは「LA PODEROSA」の文字。まさかと思い手に取るとまさにゲバラのオートバイの名です。こうなったら注文するしかありません。若々しい赤ワインで美味しかったのですが、ラベルはスペイン語でわかりません。やむなく空瓶(あきびん)を持ち帰り後日、スペイン語に堪能な人に訳してもらいました。

 「半世紀以上前、パタゴニアは、後に我らが大陸の歴史を永久に変えることとなる、ひとつの旅の舞台となった。緑の谷に河流れるこの限りなき平原は、今日もなお、あの若者の跨(また)がったモーターサイクルの道程を記憶にとどめている。目的のないその旅はしかし、彼の運命を見いだすものとなった」

 ――ボデガ・デル・フィン・デル・ムンド(世界の果てのワイン店)

 そこにはひと言もゲバラとは書いてありませんが、わかる人にはわかる書き方に痺(しび)れました。実は右翼軍事政権時代、アルゼンチンではゲバラは忌まわしい存在だったのです。

 ちなみにこの空瓶を日本に持ち帰ろうとしたら、空港で散々チェックされ、荷物を全部ひっくり返されました。

 そして空瓶とわかると、空港職員は不思議そうな顔で私のことをじろじろと見たのでした。=朝日新聞2020年4月18日掲載