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東野圭吾「クスノキの番人」 安らぎと希望の作品に感謝

 私は東野作品の大ファンである。純粋に犯人捜しを楽しめるミステリーのみならず、現代社会に生きる人々の心の闇を描いたかと思えば、抱腹絶倒のエッセイ、はたまたSFファンタジー的小説に至るまで、多作でありながら、その幅広い作風の完成度の高さと深い余韻にはいつも感動させられる。

 飛行機恐怖症の私は、仕方なく出張する際には、シートベルト着用サインが消えるやいなやビールで心を落ち着けながら機内映画に没頭することにしている。『真夏の方程式』『容疑者Xの献身』『ナミヤ雑貨店の奇蹟(きせき)』に描かれた人々の優しさと思いやりに、気づくと涙腺がゆるんでしまい、ビールのお代わりを渡してくれる客室乗務員にさとられないよう苦労した。高所恐怖症のせいか、はたまた気圧の関係なのかは不明なままだ。

 窃盗未遂で捕まった玲斗は、突然現れた伯母のおかげで示談が成立し釈放される代わりに、百五十年以上前からあるクスノキの番人を命じられる。夜遅く何かを祈りにクスノキを訪れる人々の秘密に巻きこまれる玲斗が物語の主人公だ。

 本書ではクスノキを巡る家族愛、そして認知症が縦糸として描かれる。実は他界した私の母も認知症で施設に入所していた。なんとか私を認識できる程度だった母ですら、かつての教え子の方が面会に来てくれたときには、昔のままの元気な笑顔でずっと話しこんでいた。

 取り出すことが困難になろうと、過去の記憶は脳のどこかに消えることなく刻みこまれたままらしい。この物語のクスノキは、家族が死んだ後にも永遠に残る我々の記憶の象徴である。

 残念なことに、我々は歴史に残る危機と戦いつつある。だからこそ、暗さを忘れ明るい未来を期待できるような本が読みたい。救いのない運命を非情に生き抜く二人を描いた名作『白夜行』ではなく、この先に安らぎと希望を感じさせてくれる作品に出会えたことに、一読者として感謝させて頂きたい。=朝日新聞2020年4月25日掲載

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 実業之日本社・1980円=3刷19万部。3月刊行。東野作品の初の試みとして、韓国などアジア圏でも同時発売された。