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本田靖春「不当逮捕」 色眼鏡外し、複眼で見る 白水社・藤波健さん

 バンド仲間の6畳下宿が溜(た)まり場だった。革ジャンやサングラス、ビニ本やアジビラ、酒瓶や吸い殻が、澱(よど)みの泡沫(うたかた)のごとく浮き沈みする。夜な夜な阿呆(あほう)どもが群がり、船に揺られ、海の藻屑(もくず)と消えた。漂いながら掴(つか)んだ本が、本田靖春の『不当逮捕』だった。濁った目が冴(さ)え、もう一晩居座り、読み続けた。

 戦後の混乱期、読売新聞社会部の記者、立松和博は、疑獄事件でスクープ報道を連発する花形だった。しかし1957年、売春汚職事件報道で、検察内部の権力闘争の罠(わな)にはまり、不当逮捕された。やがて会社組織に飼い殺しにされ、失意のうちに葬り去られる。立松は権力者や組織を相手にしても、硬軟の緊張関係を崩さない。職業倫理として情報源を守り通した。立松の「業(ごう)」の深さ、真の人間力に胸を打たれた。

 中指立てるだけの虚仮威(こけおど)しパンクは自省した。牙を剥(む)く犬の目は血走り、敵しか見えない。阿呆船に揺られて遠吠(とおぼ)えし、尻尾を巻いたままだ。「右か左か」の色眼鏡を外すこと、本田の著作名にあるように、『複眼で見よ』の心なのだ。

 荒波に揉(も)まれていた私は、本を閉じた。レコードをかけ、酒瓶を襖(ふすま)に投げつけた。破れた穴から、松明(たいまつ)の火を見た気がした……。

 眼力を磨き、視野を広げ、現在と未来を見据えるには、「温故知新」が肝心だ。未曽有の犠牲者を出した、ナチ強制収容所跡に掲げられた寸言、「もう二度と(繰り返さない)」を胸に刻む。歴史や記憶に学び、現代史の書籍編集を通して、憂き世に目を凝らしている。=朝日新聞2020年6月17日掲載