小学校三年生の時、図書館で中沢啓治『はだしのゲン』を読んで、私の人生は変わった。原爆が投下される恐怖に怯えながら過ごすようになったのだ。どうしてあんな酷いことが起きたのか。不安を口にする私に、周囲の大人は「大丈夫だよ」と言った。「日本はもう戦争はしない」、「核兵器は誰も使えない」、「万が一戦争になってもここは田舎だから大丈夫」。
自分で調べてみて、全然大丈夫ではないことがわかった。日本に投下され、二つの都市を壊滅させた原爆は、現在では「核兵器の赤ちゃん」くらいの位置づけで、使い切れない数が生産され、世界中の都市を狙っている。全面核戦争になれば勝者は存在しないため、核兵器は使用できない。とはいうものの、キューバ危機以外でも、誤報により核ミサイルのボタンが押されそうになったこともある。埼玉県東松山市の実家近くにある「丸木美術館」の、血で描いたような迫力のある巨大絵画、「原爆の図」を繰り返し見たことも、私の核に対する恐怖を核分裂の連鎖反応のように増大させていった。
核に対する恐怖にとらわれた私は、戦争に関する書籍を読み漁った。そうして、いつしか戦史を好んで読むようになっていた。
戦争を知らなければ平和を維持できない。よく聞く言葉だ。だが私は世界平和を維持するために戦史を読んでいたわけではない(そんな力もない)。国家の存亡を賭した決断や、人命に対する思想、論理、そして人間ドラマに惹きつけられたのだ。次回で少し述べるが、私は恐怖の対象であった蜂の研究に高校生活のかなりの時間を費やし、パキスタンまで行ってしまったことがあるので、そういう性質が備わっているのかもしれない。
中でも、柳田邦男『零戦燃ゆ』は海軍の零式戦闘機(零戦)に焦点を当てて、日米の思想の違いを浮き彫りにした大作だった。今でも手元に置いて、折を見て読み返している。
零戦は、太平洋戦争の劈頭から長大な航続距離と優れた機動性、重武装により連合軍を圧倒していった。あまりの強さに零戦と遭遇したら逃げるように指示が出された。連合軍はその強さの秘密を探るために、零戦の鹵獲を試みるがなかなか成功しなかった。苦労の末に修復可能な零戦を手に入れた米軍は、徹底的な性能テストを行い、一つの結論に到達する。それは要約すると「零戦は優れた戦闘機だが、自分たちのパイロットを同じような飛行機に乗せるわけにはいかない」というものだ。
零戦の強さは徹底した軽量化の追求で成り立っており、そのために防弾性能と機体強度が犠牲になっていた。被弾しなければ問題ないが、人はミスをする生き物である。防御力の弱い零戦は被弾が致命傷につながりやすい。また、機体の強度不足のために急降下に耐えることができず、空中分解の可能性があった。そこで、米軍は単独で零戦に格闘戦を挑むことを禁止し、二機でペアを組んで対応することにした。背後を取られた場合は急降下で逃げ、攻撃する際も高高度から急降下による一撃離脱に徹するように指導が行われた。新型機でも防弾性能を優先してパイロットの生存性を高めた。生き残ることで米軍のパイロットは経験を積み、ベテランへと育ち、多くのエースパイロットが生まれた。反対に、戦争が長引くにつれて日本軍のベテランパイロットの多くが喪われ、練度は低下していった。その一つの帰結が、練度の低いパイロットでも戦果が見込める体当たり攻撃だった。
『零戦燃ゆ』には他にも米軍側の、自軍の人命を重視したエピソードが沢山描かれている。米軍の人命重視の姿勢は東京湾に不時着したパイロットの救助を飛行艇を着水させて試みるなど、時に不合理なほどであった。学生時代の私は、だからこそパイロットは命を賭して戦うことができたのだろうなと感じた。一方で、アメリカは都市への焼夷弾攻撃や原爆の投下など、日本国民の人命を軽視した虐殺を行った。
本書の冒頭で柳田氏は執筆時の日米貿易摩擦について言及し、今は日本が勝っているが、早晩巻き返されるであろう旨を述べている。その後の経済成長率でアメリカに大きく水を開けられてしまった現実を目にすると、本書で述べられているような当時の、そしては現在も存在しているであろう日米のマインドの差が、現状を生み出しているのだと痛いほど理解できる。
本稿を執筆している2022年4月現在、ロシアがウクライナに軍事侵攻している。驚いたのは、ロシアが核兵器の使用をちらつかせて欧米の軍事介入を抑止していることだ。まさか21世紀になって、核兵器使用の懸念がこれほどまでに高まるとは思わなかった。
伊藤計劃『虐殺器官』では、各国の軍人が「核兵器は使える」と判断するまでの過程が淡々と描かれている。あの予言詩のような文章が持つリアリティを現実のものとしないためになにかできることはないか。考える日々を過ごしている。