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私たちの闘い 自分で動く:3 女とか男とか縛られたくない 文月悠光

2017年08月20日

 先日、知人の中年男性と会った際、ある女性の詩人について話題になった。
 「まあ、あの人は旦那さんが弁護士だからね。安定してるんでしょう」。男性の発した一言により、私の頭の中に幾つもの「?」が浮上した。私はその人の作品について話をしていたのに、なぜ会ったこともない夫の職業の話題になるのだろう? 作品と何の関係が?
 女性の書き手について「旦那の職業が○○だから」と殊更に強調する人がまれにいる。独身の自分は、結婚の可能性を深く考えたことはないけれど、「将来、夫の職業のことで誰かに揶揄(やゆ)されるのか……」と想像してゲンナリする。夫の有無や肩書きは、女性の創作と関係がない。その場では流してしまったけれど、やはり厳しく突っ込むべきだったのではないか。モヤモヤしてしまう。

■想像のつかなさ

 山崎ナオコーラさんのエッセイ集『母ではなくて、親になる』に、一つの回答が示されていた。山崎さんは、「結婚して安定した」という誤解を避けるため、夫との収入差を厭(いと)わずに書く。男性のプライドを傷つけるなどの理由で、「夫より稼ぐ妻」像は、公に語られることが少ない。だが、著者は〈男のプライドの問題で悩んだことは、私も夫も一度もない〉〈フェミニンな男性を肯定したい〉と軽やかに宣言している。
 本書のタイトル通り、山崎さんは妊娠中に「母ではなくて、親になろう」と決断した。〈母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む〉という。さらには、生まれた子どもの性別も伏せている。〈自身の性別について大人になったときの本人がどのような考え方をするか、今の私には想像がつかない〉から。
 多くの人にとって「想像がつかない」ことは苦痛だ。言葉によって断定し、「母親」「男の子/女の子」など既存のラベルを貼りつけることで、「想像がつかない」不安から逃れる。けれど著者は、育児や赤ん坊の抱える「想像のつかなさ」から目をそらさない。
 併せて手に取って欲しい本が、ナイジェリアの作家、チママンダ・アディーチェのスピーチをまとめた『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』。「アメリカに住むアフリカ人の女性作家」である自身の目から見た、ジェンダー間の不均衡を、平易な言葉で掬(すく)い上げる。本書のメッセージは、深刻に身構えたり、反省を強いたりするものではない。〈もしもジェンダーによる期待の重圧がなくなったら、私たちはどれほど幸せで、自由で、個々人が本当の自分でいられるかを想像してみてください〉。「ハッピー・フェミニスト」を自称する彼女の言葉は、終始前向きで、ページをめくるほどに元気が出てくる。

■誰にもこびない

 松田青子さんの『おばちゃんたちのいるところ』は、落語や怪談を下敷きにした連作短篇(たんぺん)集。幽霊と生者が一緒くたに描かれる点が面白い。登場する女性は、生前に不当な扱いを受け、不幸な死に目を迎えた者が多い。けれど、死後の彼女たちは、新たな仕事や使命を見つけ、個性豊かに生きている(幽霊だけど!)。八百屋お七、皿屋敷のお菊——。おどろおどろしい存在として恐れられた彼女たちの〈スーパーパワー〉が花開く。誰にも媚(こ)びないその姿勢に、胸がすっとする。人間界はなんて窮屈だったんだろう! くさくさする日常を、「成仏」させてくれる痛快な物語。
 「女だから我慢しよう」「男だから弱音は吐けない」など、己の属性にふさわしくない言動は飲み込んでしまいがちだ。本を読むことは、その一つ一つを解きほぐすこと。いかに属性に縛られてきたかがわかると、おのずと自分自身にも正直になれる。
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 ふづき・ゆみ 詩人 91年北海道生まれ。16歳で現代詩手帖賞。第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』で中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少の18歳で受賞した。早稲田大学卒。詩集に『屋根よりも深々と』『わたしたちの猫』、エッセー集『洗礼ダイアリー』がある。NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞も。

 気鋭の筆者たちが生き方について考察します。5回連続の3回目。

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