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金時鐘詩集「背中の地図」書評 東北の被災地に「分身」見いだす

評者: 佐伯一麦 / 朝⽇新聞掲載:2018年06月09日
背中の地図 金時鐘詩集 著者:金時鐘 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784309026794
発売⽇: 2018/04/27
サイズ: 20cm/141p

背中の地図 金時鐘詩集 [著]金時鐘

 今年の4月、『金時鐘コレクション』発刊記念の催しが東京で開かれた際に、自作朗読があり、本書に所収された「夜汽車を待って」「渡る」「ゆらめいて八月」を聞く機会があった。金時鐘の訥々とした朝鮮訛りの日本語は、評者のような東北出身者にとって親しみを帯びた響きがある。関東大震災のときには、「15円50銭」がうまく言えずに、朝鮮人とともに東北出身者も虐殺された。
 詩人は本詩集の序詞に記す。〈ノアの洪水を思わせた東日本大震災の地、東北・三陸海岸は、日本列島を形づくっている本州の背中に当たるところのように私には思える〉。そして、背中とは、〈振り返っても自分では見えない、運命の符丁が貼り付いているかのような背面〉であり、死角、と表現された詩句もある。
 1970年代に発表された「果てる在日(1)」に、〈あなたは 他人。/も一人の/ぼく。〉と記されているように、金時鐘の詩は、分身としての「私」への示唆に富む。本詩集では、関西在住の詩人が、東北の被災地にふるさとを持つ人たちに分身を見いだしている。
 日本の「短歌的叙情」と鋭く対峙する金時鐘の詩が美文調から切れているのはもちろんのことだが、ときに政治的な事柄を扱いながら雄弁調とも対立するところにその詩の特質がある。中野重治は、北村透谷の文体について述べた文章で、異性との交渉の面が欠けていると雄弁調になり、政治とのふれあいの面が欠けていると美文調になる、と指摘していたが、異性との交渉をエロスと解せば、真のエロスとは自分の存在に何か欠けているものがあると感じて、それを求めるところに生まれるものだろう。
 四・三事件によって逃れざるを得なかった祖国の統一、という強い希求が金時鐘にエロスをもたらし、その詩が雄弁調に陥ることから免れているのではないか。その意味で、エロスを取り戻すことの重要さへの自省もうながす詩集である。
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 キム・シジョン 1929年、釜山市生まれ。49年に日本へ。詩集『新潟』、回想記『朝鮮と日本に生きる』など。