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意味づけ不能「死の欲動」 ジークムント・フロイト「快感原則の彼岸」

大澤真幸が読む 

 フロイトは、臨床経験を通じて「無意識」という心の領域を発見し、それを探究する学問「精神分析」を一人で創造した。その苦闘の中で彼は、心の仕組みに関する独創的な仮説をいくつも作っている。「快感原則の彼岸」で提起された概念は、中でもとりわけ人々を驚かせた。
 人間は一般に快を求め、不快を避ける。と、フロイトは思っていたのだが、そうではないことを発見し驚愕(きょうがく)する。不快きわまりないとわかっていることへと敢(あ)えて向かう執拗(しつよう)な傾向が、人間にはある。これをフロイトは「死の欲動」と名づけた。
 死の欲動とは何か。フロイトは道無き道を暗中模索しながら歩んでいる。こういう本は、概念の発明を促した動機を理解し、創造的に読む必要がある。
 フロイトに死の欲動を発見させたきっかけのひとつは、第一次大戦後、反復強迫に苦しむ患者にたくさん出会ったことである。患者は夢でみたり、フラッシュバックしたりして、戦時の苦難に満ちた体験に繰り返したち帰る。やめたくてもやめられない。視野を広げると、戦争に関係がないケースでも同じような症状があると気づいた。
 だから私は「死の欲動」を次のように解釈している。人間は、自分の人生を、あるいは社会を、物語や歴史の形式で意味づけている。ところが物語や歴史の枠に収められない出来事がある。戦場で受けた衝撃などがそれだ。どうして、何のために私はあれほど恐ろしいことを経験しなくてはならなかったのか。納得のいく説明は不可能だ。
 物語化・歴史化に抵抗する、喉(のど)に刺さった魚骨のような出来事。そんな出来事を想起することは苦しい。人生に意味を与え、安心感をもたらしてくれる枠組みが崩壊するのを感じるからだ。しかし人間はその崩壊の場にたち戻らずにはいられない。なぜか。私の理解ではフロイトの答えはこうなるはず。意味づけ不可能な出来事は、人生や社会を物語化・歴史化したことの代償として、それらに必ず伴っているからだ、と。=朝日新聞2018年6月9日掲載