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「手話の歴史」書評 心で聴くための熾烈な闘い

評者: 佐伯一麦 / 朝⽇新聞掲載:2018年07月07日
手話の歴史 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで 上 著者:ハーラン・レイン 出版社:築地書館 ジャンル:福祉・介護

ISBN: 9784806715603
発売⽇: 2018/06/04
サイズ: 21cm/268p

手話の歴史(上・下) ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで [著]ハーラン・レイン

 想像してみる。突然、周囲の皆が自分の理解できない言葉を話している世界に放り出されてしまった。身ぶり手ぶりでどうにかコミュニケーションを取ろうとすると、それは固く禁じられ、あくまでもそこでの言語を学ぶことを強制させられる。そのさい、母語である日本語と対応させて学習するのも御法度。そんな感覚で、ろう者は聴者が絶対多数の世界の中で長い間生きてきたのだろうか。逆に考えてみる。手話を全く解さないあなたが、手話だけが行き交う世界に取り残されてしまったとしたら、どうするだろうか。

 本書は、17世紀革命前夜のフランスで始まった手話法によるろう教育が、アメリカに伝えられて発展するさなか、〈ろう者は聴者の社会に合わせて生きるべきであり、その妨げとなる手話は認めてはならない〉とする口話法の支持者たちから強く否定され、そうした逆境の中で、ろう者たちの自然言語である手話を守り、取り戻すまでの熾烈な闘いの歴史を詳述したものである。

 2部構成の第1部は、〈私の名前は、ローラン・クレール〉と書き出され、フランスろうあ学院卒業後、教師となり、アメリカに渡ってアメリカ最初のろう学校を作ったローラン・クレール(1785~1869)の回想が自伝風に描かれる。ろう者自身の視点から、ろうコミュニティーの歴史を語らせる、というアイデアが秀抜で、ろう者に発声と読唇を強いる口話主義が支配的となるにつれて歴史の闇に追いやられることとなったものの、それ以前に確かに存在していた手話の言語的な固有性が臨場感を持って再現される。また、多様性を追求し、いとおしんだ人となりもよく伝わってくる。

 〈私の名前はハーラン・レーン、聴者である〉と始まる第2部は、言語心理学者である著者の視点から、クレールの死の後、電話の発明者として知られるグラハム・ベルが、手話を追放する指導者として君臨していく様が描かれる。ベルは、ろうを人間の多様性の表れとしてみるのではなく、避けられるべき障害としてとらえる優生学者だった。ベル自身が、難聴の母親と幼時に失聴した妻を持ったことが発話にこだわることとなった一因だったから根が深い。
 原題は『WHEN THE MIND HEARS』。心が聴くとき、とでも訳せるだろうか。評者は、荘子の「豈に唯だ形骸にのみ聾盲あらんや。夫の知にも亦たこれあり」という言葉を想った。あたかも、優生保護法による聴覚障害者の強制不妊手術の実態があきらかとなりつつある現在、言語は耳で聴くものと思っている者にこそ、原題の持つ意味を考えつつ読まれてほしい本である。

    ◇
 Harlan Lane 1936年生まれ。米ハーバード大で心理学博士号を取得。言語心理学と言語学の専門家。著書に『アヴェロンの野生児研究』。共編著『アメリカ手話学の近況』。仏語からの翻訳『聾の経験』を編集。